一番共感されたエピソード
この曲に寄せられたエピソード
(9件)-
母が亡くなったのは
雲一つ無い青空で汗が滴る真夏の暑い朝だった。
病院嫌いな母は自宅に帰りたいという思いが強く
『これを逃すと自宅に帰れなくなります』と医師に言われ、その翌日に急遽退院することになった。実家には兄妹と、それぞれの伴侶や孫達も勢揃いし
食事を囲み『やっぱり家が良い』と言って
出前で取った好物の近所のお店の冷やし中華を
『美味しい』と一口食べた。
その日の夜は
兄妹4人で朝までほとんど寝ずに
ずっと『下の世話』をした。
母の体は腹水が溜まりに溜まって体は
全身むくんでいた。
体動もままならない状態だった。
『お父さんとおばあちゃんがそこにいるよ』と言い
本当にお迎えがあったかどうかはわからないが
朝の9時過ぎ、たまたま皆が母の側を離れた時に
ひとりで息を引き取った。夫である父が病に倒れ死別したのは40歳直前の時で
それ以来、ひとりで私達を育ててくれた。ある時『誰か良い人がいたら再婚してもいいよ』と本当に何気なく言ったのだが
母は『お父さんが亡くなった時に「おんな」はやめて一生「母親」になろうと思ったの』と言った。
子供として、この母親の元に生まれてきて
実は幸運だったのかも…と思えてしまうだ。前から夫には『お義母さんみたいな表情してるよ』と言われることがよくあり、実際鏡を見ると
『あれ、なんかお母さんの顔してる…』と
最近では思う事が常で親子とはいえ
怖いくらい似ているのだ(笑)今日はあの日からちょうど4年。
早く逝った父と天国で仲良く過ごしているかなと
今朝は窓越しに青空をしばらく眺めていた。
らんちゃん
2024/08/05
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24年前、私の父は癌で亡くなりました。地方公務員で誰からも愛され頼られる人でした。当時37歳だった私には決して超えられない大きな存在。消防士となり41年走り続け、61歳になった私、父に似てきたはず、同じ歳になったのですから。父の闘病生活を思い出すと同時に私がやるべき道筋を示してくれた、妻も好きな浜田省吾の1曲です。感謝!
H.Imada
2024/08/01
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昔、開発していたシステムでテストデータを入れる必要があった。
何気なく、省吾の歌詞をデータに打ち込み検索テストをしていた。全てローマ字で。
片想い、DARKNESS IN THE HEART など様々な曲を。納品時、消さないとダメなのにそのまま残して納品してしまった。
客先の女の子が使用する時に、でたらめの文字だと思ってたら省吾の曲の歌詞だと気が付いた。
彼女も省吾のファンだった。客先から電話。
ダミーデータ消してないよと。
クレームだと謝ろうとしたら、彼女が「省吾のファン?」
って聞いてきた。
そこから省吾の話しで盛り上がり、付き合うことに。いい思い出です。
くらさん
2024/08/01
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23歳の時に 父親にガンが見つかり 即手術の抗癌剤治療入院 仕事帰りに寄るたびに 痩せてく父親の顔 家に帰っても 落ち着かない日々 毎日理由もなく 車を乗り そんな時に この曲を思い出し彼の顔似てるって歌詞が!今でも…思い出です! そんな自分も父親になり…
太宰雅士
2024/08/01
父が癌で亡くなったのは、2008年。
私の誕生日の翌日が命日。
家族が
「あんたの誕生日避けてくれたんやね」
と言ってくれました。
父が生きてた頃、父の知り合いの
私自身面識が無い知らんおっちゃんが、
「お父ちゃんそっくりやなぁ」
とよく言われた。
本当によく言われた。
父を亡くした後、この曲を聴いて
泣いた日々を過ごしました。
何も親孝行も出来なかった。
私達子供を本当に大事にしてくれた。
父親は大変苦労したから、
余計に子供を大切にしてくれた。
時折この曲を聴くと泣けます。