この曲に寄せられたエピソード
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本当に仕事が辛かった。仕事から逃げ出したかった7年前。
でも、私には2人の子供と母親と猫が居るシングルマザーであった。
仕事の行き帰りは必ず、浜田省吾様の曲を聴いていた。
職場に行く気持ちを奮い立たせる為に。
帰りの電車で家路が流れた時、ちょうど電車の窓から「青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見下ろし。」ていた。窓を見ながら曲を聴いていたら、涙があふれて来た。
「そして夜が明けたらまた生きてく為にくらしを背負って歩き出す」のフレーズに・・・
「子供が一人前になるまで、母を見送るまで頑張ろう。」と思い直した。
自分が腹くくって決めた結婚・出産・離婚。
もうひと頑張りする事を決めた曲が「家路」。
今はその仕事を続けている。これからもこの仕事で生きて行く。
よしえ
2024/08/04
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思い出の曲は家路です。
21歳で出会った今の妻。妻を初めて連れて行った浜田省吾さんのコンサートは、昭和記念公園でした。もともと体が丈夫でない妻はお薬と共に生きてきた人生。我慢してきたことも人一倍多かったことと思います。
そんな妻は、どんな時でも100%スマイル「笑顔の人でした」。その笑顔に支えられて、夫婦で成長してきたように思います。そして39歳の初夏、妻は心臓血管の病に倒れました。11時間にも及ぶ手術で何とか命を繋いだのですが、妻の顔から笑顔は消えてしまいました。長く続いた入院生活は7ヶ月にもなり、毎日の面会の最後は妻の耳にイヤホンをつけてあげ、浜田さんの「家路」を流してあげる事。そして私も病院の駐車場から車に乗り「家路」かけて帰る日々でした。
退院のめどが立たず、倒れる以前にチケットを用意していた、11月の横浜アリーナのコンサートが近づいた時、「行ってきて!私の分までしっかり聴いてきて!」と背中をおされました。
そしてアンコールで流れた「家路」。疲れ果てていた自分に休みなさいと言ってくれたように感じ、浜田さんの声が身体を包んんでくれました。安堵、悲しみ、痛み、救いの気持ち、湧き上がる力、あらゆるものが体を駆け巡る一曲でした。
あれから7年、少しずついつもの生活を取り戻し、以前のようにはいかないことはあれど、それはそれなりに夫婦2人犬1匹、仲良く幸せな毎日です。
EarlySummer
2024/08/04
子供の頃から健康だけが取り柄だった私が
ある日交通事故で大怪我して足に大きな障害を
負ってしまったり、あるときは頭の中の
血管異常で急に倒れて
病院に運ばれて緊急手術したり…
それでも不死鳥のようによみがえり
復活をとげてきたのですが
数年前にお腹の中に悪性腫瘍がある事がわかり
その時ばかりは『もうダメだ…』と限界を
感じていました。
ヒトはいつか死ぬのが宿命でそれが
私はそれがみんなより少し早いだけ
なのかもしれない…
そのときに突きつけられた偽りのない現実です。
その時にたまたま聴いていた省吾さんの家路が
胸に突き刺さったんです。
この命が尽きた時に『帰る場所』に行くときに
この歌を聴いて逝きたいと…
夫や兄姉には今際の時や出棺する時には
家路を掛けて見送ってほしいと伝えてました。
『何言ってんの?!』と言われましたが
偽りのない本心でした。
あれから6年…変わったことはたくさんあるけど
今現在、転移も再発もなく過ごしています。
そして省吾さんを通じて新たな友人も増えました。
そんな中でファンの方がひとりで開いている
あるお店を友人が発見しました。
ひとりですべて手作りのお惣菜を作って
地元のお客さんが多く通う小料理屋さんです。
ある時に友人に誘われ何気なく行ったのですが
そのオーナーさんの作る料理を食べて
ふと感じたのが、亡くなった母の料理の味に
よく似ていたのです。
もう少し、ここのお料理食べていたいな…
素直な私の思いです。
今の家路は『その時』ではなくて
オーナーさんのお店へ行くときに
駅からの道をイヤホン越しに
省吾さんの家路を聴きながら
『どんなに遠くてもたどり着いてみせる』と
自宅からは近くはないお店へ行く
ワクワクするような気持ちで
夕暮れ時にバスに揺られて聴いてます。
今では、オーナーさんのお店は
私の第二の実家となりました!
あの時は生きる事を少しだけ諦めていた部分も
ありますが、今は違います。
夫はもちろんのこと、大切な『浜友』さん達と
今あるこの時を楽しくみんなで笑って
そして、今しかないこの時を
大切に有意義に過ごしていきたいと思っています。