青空のゆくえ

浜田省吾

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みかんちゃん

子供が幼い頃、私の両親に預けて夫婦でライブに行かせてもらいました。ライブが終わって主人は家へ私は実家へ帰りました。 子供達は沢山遊んでもらってよく眠ってました。遅い時間になったのですが母と妹は起きてくれていてライブの話しなどを聞いてくれました。普段は子供がいるのでゆっくり話せなかったので昔に戻ったように楽しい時間を過ごせました。その時のライブで聴いた曲が青空のゆくえでした。省吾さんのライブは何度か行かせてもらい両親と妹に子供を見てもらって有り難かったです。母にはもっと親孝行をしたかったけど2年前に病気で亡くなりました。もっと話したかったのにとても寂しいですが今までしてもらった事を大切な思い出として頑張って生きていきたいと思います。

野上秀人

1995年1月17日、5時46分に発生した阪神淡路大震災は今も鮮明に記憶に刻まれてます。その日は前日までが三連休だったこともあり、1時過ぎまで神戸で友人と食事してました。その後自宅まで阪神高速を走って帰り寝床についたのですが、早朝に激しい揺れと聞いた事のない爆音、そして暗闇で青くひかる火花という光景から戦争でも起こったのか思うくらいで、頭がまず整理されなく、恐怖さえ思う間もない程の驚きでした。ただ家族を守らないととだけ思ったのははっきり覚えてます。暗闇の中で声を出し合い、割れて床に散らばったガラスを素足で踏みながらただ必死逃げた事を今も鮮明に覚えてます。なので暫く続いた余震には本当にトラウマのような恐怖を感じて過ごし、知人が何人か亡くなっていたりした事もあって心が随分落ちていました。当時は某宗教団体によるサリン事件もあり、世の中も暗い空気に包まれていたようにも感じてました。そんな何とも言えない感情を持って半年が経過した頃、省吾 さんが浜田省吾with THE R&S INSPIRATIONSの名義で町支さん達と『我が心のマリア/恋は魔法さ』を発表していただき、心の重みが少し解けたのです。それまでは暫く音楽を聴くこともないくらい落ちてましたので、この楽曲の発売で少し前を向ける気持ちになれました。そしてその翌年11月、14作目のオリジナルアルバム『青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜』が発売され、浜田さんにしてはとても明るいラブソングが散りばめられ(笑)新鮮な気持ちと共に、『コレはメッセージなんだ!』と解釈して聴き込みました。このアルバムは僕にとっては特別なアルバムになりました。そしてその中の『青空のゆくえ』には癒され励まされ、久しぶりになんだか温かいものに包まれた気持ちになったのです。初めて聴いた瞬間、涙腺が完全に崩壊して号泣しました。音楽を聴いてコレだけ泣いたのは初めてです。それまで閉じこもっていた感情が全て解き放たれたかのように溢れ出たのだと思います。どれだけ暗く霞んだ人生もきっと向こう側には幸せな世界もあるはず!そう諭してくれているように、僕の人生において一番って言っても過言ではない宝物のような楽曲となりました。 省吾さん、その節は、そっと背中を押していただき、本当にありがとうございました。

野上秀人

1995年1月17日、5時46分に発生した阪神淡路大震災は今も鮮明に記憶に刻まれてます。その日は前日までが三連休だったこともあり、1時過ぎまで神戸で友人と食事してました。その後自宅まで阪神高速を走って帰り寝床についたのですが、早朝に激しい揺れと聞いた事のない爆音、そして暗闇で青くひかる火花という光景から戦争でも起こったのか思うくらいで、頭がまず整理されなく、恐怖さえ思う間もない程の驚きでした。ただ家族を守らないととだけ思ったのははっきり覚えてます。暗闇の中で声を出し合い、割れて床に散らばったガラスを素足で踏みながらただ必死逃げた事を今も鮮明に覚えてます。なので暫く続いた余震には本当にトラウマのような恐怖を感じて過ごし、知人が何人か亡くなっていたりした事もあって心が随分落ちていました。当時は某宗教団体によるサリン事件もあり、世の中も暗い空気に包まれていたようにも感じてました。そんな何とも言えない感情を持って半年が経過した頃、省吾 さんは浜田省吾with THE R&S INSPIRATIONSの名義で『我が心のマリア/恋は魔法さ』を発表していただき、心の重みが少し解けたのです。暫く音楽を聴くこともないくらい落ちてましたので、この楽曲の発売で少し前を向ける気持ちになれました。そしてその翌年11月、14作目のオリジナルアルバム『青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜』が発売され、浜田さんにしてはとても明るいラブソングが散りばめられ(笑)新鮮な気持ちと共に、『コレはメッセージなんだ!』と解釈して書き込んだのです。その中の楽曲『青空のゆくえ』を聴いた時には、涙が溢れ出てきました。コレは今もです。まるでパブロフの犬みたく、涙腺が崩壊するのです。ただ悲しい涙ではなく、しっかり前をみて生きようと思えるエネルギー的な感情が溢れて出すのだと思います。どれだけ暗く霞んだ人生もきっと向こう側には幸せな世界もあるはず!そう諭してくれているように、僕の人生において一番って言っても過言ではない楽曲なのです。 省吾さん、そっと背中を押していただき、本当にありがとうございました。

S/A

 この曲は、亡くなった妻との思い出の曲です。 まだ、若く最初の結婚で三人の子供たちに囲まれて幸せに暮らしていたあの頃、家族ぐるみで付き合っていた仲のよかった夫婦の奥様がまさかの不倫、一人の男の子を残して離婚、その後もご主人と息子さんとは変わらず家族ぐるみでお付き合いをしましたが、今度は私の妻とそのご主人が仲良く身体の関係になり、三年間子供のために我慢していた私も一番上の娘が、中学に入学と同時に突然、離婚届を突きつけられそのまま娘をつれて二人の息子を残して家を出て行きました。残された私と当時小学6年と4年生の男の子二人との生活が始まります。子供のために賢明に生活を支えて頑張っていた当時、取引先で亡くなった妻と知り合います。知り合って7年最愛の妻は、癌で亡くなりました。悲しみにくれていたあの頃、大きな愛で手を広げて迎えてくれた今の彼女がいたから今の自分がいます。亡くなった妻は去年7回忌も終わり、勇気をだして三度目の結婚を考えています。もう誰も失いたくありません。愛の始まりも終わりも、全て知ってしまう人生になりました。青空のゆくえは当時、亡くなった妻といつも聴いていた曲で、今の彼女ともよく聴く曲です。省吾さんのコンサートには必ず二人で行っています。お互いの子供たちも全員大人になり、今、とても幸せに暮らしています。真夜中に目覚めても君の温もり傍に感じる、生きてくことが こんなにも たやすい たとえ君を失って一人さまようとしても引き返すには遅くI'm fallin'for you

ひまわり

バツイチ同士の私と彼。 お互いいろいろ人生の苦楽を経験してきたつもり。 10年ぐらい前にFBの浜田省吾のファンの会みたいのに入った。『私が一番好きな曲は『青空のゆくえ』です♪』と投稿すると1番にいいね!を押してくれ、『ぼくも好きな歌です』とギターで弾き語りを投稿してくれた。 そして『今度のライブに一緒にいきませんか』とメッセージで誘ってくれた。 会ったこともない人と行くなんて…ドキドキと戸惑いもあったが一緒に申し込むことに。 それがきっかけで少しずつお互いの近況などをLINEで話すようになった。お互い省吾さんの歌が好き、ということで話も弾みすぐに意気投合。彼に少しずつ惹かれていった。 遠距離でなかなか会えないが会いに来てくれた時は、海岸に車を停めて、海を見ながらふたりで『青空のゆくえ』や省吾さんの歌をいっぱい聴いたり語りあった。 最高に幸せで楽しかった。 歌詞にもある、♪〜恋のはじまりも終わりも知り過ぎてるから…♪というフレーズが真に心に沁みわたった。 大人の恋愛は若い時のように、想いのまま気持ちをぶつけたり、わがままも言うこともなかった。 ましてや何もかも捨てて飛び込んでいけないことはわかっていた。 秋になり、一緒に省吾さんのライブに行った。 バラードで彼が手をぎゅっと握ってきた時、ホッとそのぬくもりにあたたかな気持ちになった。でもなぜか涙があふれてきた。 あれから、『青空のゆくえ』を聴くたびに彼を思い出す。 もうあんなときめきを感じることはないだろう… 彼もこの歌を聴くと、遠い青空のどこかで私の事思い出してくれているのかなぁ…?とふと思う。