この曲に寄せられたエピソード
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オートバイが中心の生活だった俺と彼女と出会ったのは昭和の終わり、タンデム、車と二人で出かけた。平成に代わり原付に乗る彼女も自分でライディングして旅する気持ちを味わって欲しくて原付で小豆島キャンプツーリングを企てた。仲間に声かけて総勢6台の原付にテント、鉄板などキャンプ道具を積み姫路の飾磨港からフェリーに乗り込む。束の間の船旅、見つけたジュークボックスで聴いたのが 風を感じて 島に渡り未だシーズン前のビーチを見つけてキャンプベースを設営してビール食材買出し、満天の星空の下、チーム 風を感じて のパーティが始まり、焚き火のほのかな明るさと波の音なの中、静かで濃厚な時間を楽しんだ。今から35年前の思い出です。
summer.sun
2024/08/03
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高卒で就職を決めた息子ですが、試験を受けては落ち受けては落ち、1人だけ進路が内定しないまま卒業式を迎えました。
自力で移動出来ないような面接場所は私が車で送っていきました。
面接が終わり車に乗り込んできた姿が暗く声をかけられず、私は静かな車内で風を感じてを流しました。自由に生きてく方法なんて100通りだってあるさ。気にするな大丈夫と伝えたかったのです。反抗期で母親の声がうるさい息子を勇気づけたくて浜田省吾さんの力をお借りしました。優等生ではないけれど、嘘のない素直な気持ちで何度も当たって砕け、お陰様で採用された会社で頑張っています。
YOSHIKO.A
2024/08/02
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1979'7月「風を感じて」で、省吾さんと初出会を果たした当時中学3年の自分は、NHK-FMの土曜午後放送されていた FMリクエストアワーに、(ハガキで)当時の身の回りのエピソードを添えて 「風を感じて」リクエストしました。
ハガキが読まれ、曲へ。となる段階で DJが「レコードが見当たりません すみません 今週はおかけできません」と。結局その週は曲がかからず、翌週改めて謝罪の言葉と曲をかけて頂けました。そのことが理由で、毎週一人だけもらえる Fリクバック(布のしっかりした作りのバック)をプレゼントしてもらいました。その後、自慢もかねてFリクバックで中学校へ通っていました。「風を感じて」を聞くと、あの夏の出来事を思い出します。あれから45年。省吾さん一筋です。
ペンとパン
2024/08/02
60歳 還暦定年を迎えた。
定年を迎えた当日、過去の出来事がフラッシュバックのように思い出された。
楽しい事、悲しかった事、出逢い・別れ この旅の途上で 愛した人の懐かしい面影を
その中のひとつ。
1979初夏 TVから流れるインスタトラーメンのCMで 「風を感じて」に、浜田省吾さんに出会った、
言ってしまうと、この時の出逢いが、自分のこの人生最大の出逢い。
その後の自分の人生・生き方に影響与えた。と言っても過言ではない。
「自由に生きてく事方法なんて 100通りだってあるさ」
14歳・何も知らない、無知な自分はその歌詞を信じた。未来を夢見た。
けどその後、自由に生きてゆく方法が100通りも無い事に気づいた。一通りもあるかどうかに。
時は流れた。
60歳を迎える前から、やけに「風を感じて」 を聞くようになった。なぜか。
聞きながら、「ふと」思った。
もしかしたらこの詩は、あの頃の若い自分の背中を押す歌ではなく 「60歳以降の第二の人生を生きてゆく自分の背中を押す歌なのかもしれない。」と。偉大な曲だと。
「自由に生きてゆく方法なんて 100通りだってあるぜ。 ペンとパン」
省吾さんは、60歳を迎える(迎えた)自分の耳元でそうささやく。強く・優しく。
この人生 1979 14歳のあの夏 「風を感じて」に、 浜田省吾さん あなたに会えて本当に良かった。出会えなかったら、今頃度であただろう。どんな人生歩んでいただろか。
出会えたことで、豊かな人生を過ごす事が出来ました。自分に対して、誇りに思える人生過ごす事が出来ました。
もし14歳のあの夏に戻って そこからも一度 やり直せたら どんな人生を送るだろ。
浜田省吾さん あなた・あなたの詩を選んで過ごす人生を送る。と言いきれます。
12/29 省吾さんの72歳の誕生日。
おめでとうございます。
そして、ありがとうございます。
心からお礼を言います。