グッドバイからはじめよう

佐野元春

楽曲を聴く

投稿されるユーザーについては、利用規約に同意したものとみなします

ママリン

ダンナさんが佐野元春さんのファンで、27年前に結婚してからよく聴くようになりました。中でもこの曲は、切ないけれど心に沁みるいい曲だと思います。

まっこ

中学卒業の日 みんなが帰った教室の黒板に 詩を書いて帰ったなぁ

Mikus

或る意味芸能の仕事をしている。 エンターテイメント(表舞台)と技術(裏方)の表裏一体を協力を得ながらひとりで。 そろそろ表舞台から身を引く時かなと思いつつ、寂しくなかなか思い切れなかった。 2024年のとある秋の日、高く澄み切った青空の下、物思いに耽りながら佐野さんのアルバムを延々と聴いていた。永遠かと思われるほど長い時間。 その時、この「グッドバイからはじめよう」が曲がれた。何度も何度も聴いてきた曲である。 この日この時、とても心の琴線に触れた。 「終わりははじまり♪」 この佐野さんの曲は、「表舞台から引くことが哀しいことではない。舞台裏でもたくさんの仕事もあるし、新たな出会いもあると、そっと肩をおしてくれた。 表舞台の最後の日、涙はこぼれなかった。笑顔で締めくくれたこの日、ずっとこの曲が心の中でながれていた。 終わりは始まり。 今は自分の学んできたこと経験してきたことを教えている。 今までの経験を生かした新しい一歩を踏み出したばかり。 佐野さんの曲はいつも人生の支え。 佐野さんはいつも聴いている者の心の支えである。 こんな自分のなんでもないエピソードだけれど、佐野さんの心の支えの小さいけれど一個になれたらな。

Masako

初めて聴いた10代のときに、 これはよくある、ただの男女の別れの歌ではなさそう、と、直感した。 その後、元春さんが10代のときに、大好きだったお祖父様が天に召される時のことを歌にしたものだと知りました。 それから、30年近くの時を経て、長男が小学校2年の時に、6年生を送る会で2年生として披露する歌にこの曲が選ばれた!と教えてくれた。 ちょっと受け止め方は違うけど、 終わりははじまり、という希望に満ちた締めくくりには、こんなシーンも似合っていた。 もう少し時が経ち、義理の姉が若くして亡くなる時、子供達も一緒にホスピスで看取りをした。 地上でのお別れの時には、 本当に言葉は要らないんだなと思った。 それまでに、たくさんの、ありがとうを伝えていたから。 本当に、ただ手を振るだけだった。 その光景に、この歌は、死は決して終わりではないことを教えてくれていると、思えたものだった。 もう一つ、現世での、悲しい別れを体験することがある。今まさに、大切で大好きな人(恋人ではないよ)と、袂を分かたなければならないかもしれない。説明させてもらえたらわかってもらえそうなものの、そうならないってことは、その人にとっては私は大切ではないのだろうと、悲しくなる。 終わりははじまりだと、いいんだけどな、と、切に思う。。少なくても、終わりは始まり、というフレーズは、いろんな場面で大きな支えと、これからもなり続けてくれるのだろう。

なか

父が亡くなった時に頭によぎった曲です。