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小学生の時にテレビで、美里さんが明治生命のCMに出演されていて、そのCMで美里さんの事を知ってからファンになったきっかけの一曲です。
自分の推し活の原点となった記念となる特別な曲ですね。
うお
2024/12/02
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義理の母が亡くなった真冬の夕暮れに、病院から自宅へ戻る車中で、たまたまこの歌を聴き涙した思い出の歌です。
普段何気なく聴いていた歌でしたが、あの日から楽曲のせつなさと、歌詞のせつなさを改めて感じ、歌詞の中の
友達は五月に 子供が産まれ
友達のひとりは もう返らないのところで、いつも母を思い出します。
この世に生を享ける者もあれば、生を終える者もあるという現実、生きとし生けるものの定めだと納得しながらも、もう少し母と話がしたかったな、なんて思いながらいつも聴き、この歌と歌詞に慰められています。
歌詞の本当の意味とは解釈が違うとは思いますが、そんな気持ちで聴いている大切な歌です。
チロル
2024/12/02
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中学生の頃、すごく好きな人がいました。毎日学校へ行くたびにドキドキするほどでした。当時は思春期で付き合う事がどこか恥ずかしく周りからも冷やかしがあり告白する勇気もなく1年ほど片思いでしたが、思い切って告白しましたが振られてしまいました。自分に自信もなく「しょうがないか」と思いながらも吹っ切れずそれからもずっと好きでいました。卒業が近づいてきた頃、同級生の女の子からこの人の曲いいよって教えてくれたのが美里さんでした。そして「ribbon」を貸してくれました。よく受験勉強しながらribbonや過去のアルバムを聴いてました。卒業式の日、たまたま話す機会があってその時聞いたことに愕然としました。実は自分と同じ時期に相手も自分のことを好きだったと知りました。でも告白するまでの時間が長すぎて気持ちが薄れていったそうです。自分が好き過ぎで、恥ずかしさばかりがためらってしまいすれ違ってしまいました。後にも先にも唯一の後悔です。そんな時に頭をよぎったのが「悲しいね、悲しいね…愛する事ためらうなんて…」というワードでした。しばらく狂ったように「悲しいね」をリピートしては泣いていました。今でもこの曲を聴くと懐かしさ、後悔、そしてあの子を思い出します。
岩田政信
2024/12/02
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今から36年前、私が中学生だった頃のことです。
部活動とは別に、週に一度クラブ活動があり、私は親友と一緒に音楽鑑賞クラブに入って、聖歌からロックまで様々なジャンルの音楽を聴いて耳の肥やしにしていました。その年の秋は、中学生活最後の文化祭ということで、音楽鑑賞クラブとし
て何かやれることはないかと親友と考え、当時ヘ
ビロテして聴いていた美里さんのアルバム
「ribbon」を、是非全校生徒に聴かせたいという
想いから、顧問に直談判して放送室を占拠できる
権利を勝ち取り、最初にかけた曲が「センチメンタルカンガルー」でした。
全校生徒が体育館に集まり、昼食休憩を始めたタイミングをみて音楽鑑賞クラブからのサプライズ放送をスタートし、センチメンタルカンガルーのイントロが流れたあの瞬間のゾクゾクが今でも忘れられません。
普段、学校のスピーカーから流行りのロックミュージックが流れることはないのもあってか、多くの人が驚き、そして笑顔になってくれていたのを覚えています。
その後の作品観覧時間も、美里さんのアルバムを流し続けて最高の時間を過ごしていたのですが、とある教師が突然放送室に乗り込んで来ると、「これをかけろ」と言って強引に山下達郎さんのカセットテープを渡されてしまい、後半からのBGMはオトナチックなシティーポップへと変わってしまったという、ほろ苦い思い出ありの私のエピソードです♪
チロル
2024/12/02
渡辺美里
1985年デビュー、翌年「My Revolution」がチャート1位に。その後も数多くのヒット曲を生み出してきた、名実ともに日本を代表する女性ヴォーカリスト。40周年 BITTER☆SWEET ULTRA POP TOUR 2025を開催中。
Shared Episodes
美里さんと同い年で、美里さんの曲は私の青春そのものです。
カラオケが普及したのもこの頃でした。
友人達とカラオケに行き、リクエストされるのは決まってこの曲でした。
いまだに歌詞を見ずともフルで歌えます。