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浜田省吾
20代だった頃、職場で上司がかけていたCDを聴いて、胸に染み入りました。
18歳の時に出逢った歳上の男性に片想いしていた私には、痛いくらい気持ちが伝わる曲でした。
相手の好みのタイプとは、私はかなりかけ離れていたので、自分の気持ちを伝えること無く。
友人として、彼の傍にいた数年間でした。
他人に甘えるのが、超苦手な私でしたが、彼には素直に何でも話せていました。
向こうは、私の事を妹みたいに思っていたのだろうと思っていました。
26、7の頃に彼ではない人とお付き合いすることになり、それを伝えると珍しく反対され、挙げ句「そんな男はやめとけ」「お前は俺にしておけ」「俺が40になってもまだ独り身でいたら、お前を嫁さんにしたい」だの言われ、戸惑ってしまった、長い片想いでした。
こんなことを言う人じゃないし、彼も長く付き合っていた彼女さんと別れて、ずっと引きずっていたのを知っているので、彼女の代わりにはなれない。と、自分から終わらせてしまいました。
結局、あの日反対された人ではない、勿論彼でもない人と一緒になり、幸せな日々を過ごしていますが、聞くたびに秘めた想いを思い出します。
もしあの日、素直に彼の胸に飛び込んでいたら…そんな気持ちを思い出します。
彼もいい人とめぐり逢って、幸せな日々を送っていることを切に願います。
あい
2024/10/10
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浜田省吾
1年に1度だけあなたに会える。
運が良ければ2回会える事も。
今年は1回会える。
会えるという表現はちょっと違うか。
見れるという表現が正しいかも。
どんだけ思っても届くことはない。
どんだけ思いを寄せても届かない。
とても切なくて、
苦しくて、泣きたくなる。
何度も会えると良いなぁと
思ってしまうのは人間の欲?
最初はちっぽけな欲で済んでも、
その欲はきっと膨れ上がる。
その欲を押さえ込めるか自信は無い。
もし、会えたとしたら、
それが、もし、叶ってしまったら、
もっと会いたくなるのは明白。
だけど、この片想いの状況を
楽しんでいる自分がいる。
学生の時も、
片想いの状況を楽しんでいたような。この現実を受け止めて、
片想いを楽しもう。
あなたは、省吾さんの事ですよ。
KAGOME
2024/10/09
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浜田省吾
還暦を過ぎて、この夏上高地に行きたくなって一人で旅をした。上高地の景色は変わらず僕を迎えてくれた。
本当は大学の頃彼女と行く筈だったがその前に別れてしまった。いわば淋しさ忘れの旅だったか?
上高地の雄大さに癒されかえるバスの中、途中大正池の停車場から老夫婦が乗ってきた。僕の一つ斜め前の席だ。何げなく見ると大学の時まさに彼女だった。
斜め後ろからだがホクロの位置、かぎはなの形40年と月日は流れどかわらなかった。初めてあった時のささやき
<初めてあった時ビビッと感じたのあなたと恋するって>
それからわずかだったけど夢のような時を過ごし別れた。彼女を忘れる為にいくどか恋して別れた、その思いが40年前の事なのに彼女の後ろ姿から走馬灯のように
蘇るようだった。涙が出そうな時間だった、最終で降りた時彼女も僕を見た時は何も感じなかったが先を歩く彼女がふと振り返って僕を見直した時何か感じたのかも知れない。男は過去の幻想に生き女は現実に生きていく。
家にかえり家内は知らない箱の中に彼女の写真がある
変らない。
ナオキ
2024/10/09
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浜田省吾
25年前の結婚式。
披露宴にて夫の部下の子が、歌を歌ってくれました。タイトルと歌声をききながら「誰の歌?」と、隣にいた夫に聞くも、出席者からのお酌をされまくっており、返答もできない状況でした。時は流れ、2005年のコンサートツアー。
「一回でいいから 浜省のコンサート行ってみたいんだよ。チケット取るから行かない?」との、夫からのお誘い。チケットは二枚取れ、「えー本当に行くの?」と、気乗りしないまま、会場のスーパーアリーナに行きました。
ライブが始まると、「ワアッ、本物の浜省だ。」と、思いつつ、うろ覚えのアルバム曲などを聞いていました。
途中に「星の指輪」が流れ、「あれ?これ、聞いたことある曲だな。」と、思いました。
そして、ライブが終わる頃には、すっかり省吾様のファンになっていました。ライブ後何日か経って、夫にその事を話すと「そういえば披露宴の時にT(くん)が歌ってたな。あいつ浜省好きだったからな。」との返答。
私は、「ああ、あの曲だったんだ。あの時にも、聞いていたんだ。」 省吾様の曲との巡り合わせに感動したのでした。
初めての省吾様のライブの時、義母に2人の子どもを預けたことも、曲の通りだなと思い感慨深かったです。そして、夫とファンクラブに即入会したのでした。
今でも省吾様を こよなく愛しております。
サンザシとわたゆき
2024/10/08
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浜田省吾
14歳だった。
その日は家に自分一人だけで、勉強のBGMにたまたまFMラジオをつけた。
DJがゲストを紹介し、曲が流れた。イントロが聞こえた瞬間ビクっとなった。
『愛の世代の前に』一聞惚れした。
もう勉強どころではない。その後ラジオから流れるいくつかの曲たちを夢中で聴いた。
『浜田省吾って誰?』
『I was born in 1952』ってことは28歳?
世間はアイドル全盛期。友達がトシちゃんだマッチだとはしゃいでる中、私は浜田省吾を探した。
レンタルレコードをカセットテープにダビングして、何回も聞きながら歌詞を書き起こしたりした。
顔がわからないから音楽雑誌を立ち読みし、やっと見つけた小さな記事…『カッコいい』一目惚れした。
恋も愛も知らない田舎の少女は、テレビに出ない彼を必死に追いかけた。
彼のプロフィールや人となりを少しずつ知るたびに、ますます夢中になった。
『顔も声も曲も歌詞も大好きだー』
ある日ゲストで出ているラジオをワクワクしながら聞いていたら
「結婚してます」失恋した。
ずっと片想いのまま、私は今年58歳になる。
そして今も夢中で追いかけてる。
きっと、そんな人たちがたくさんいるはずだ。
みまねみ
2024/10/03
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
絵画と言えば忘れる事ができません十二歳の私は大学生の兄に私立中学の受験勉強を教えてもらっていました、この漢字読める?とおしえてもいましたのが絵画です。もし知らないままでしたら受験に落ちていたかもしれません別の人生を歩いていたでしょうその兄は58歳の若さでなくなりました。絵画の言葉を聞くと胸がいたみます。