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今の主人は会社の2つ上の先輩。何となく仲良くなって付き合うようになって、お互い浜田省吾さんのファンだと知って驚きました。
主人は会社の僚住まい。20分くらい歩いたところが私の住む実家でした。女人禁制の僚でしたがいつもこっそり遊びに行き、帰りは歩いて送ってくれていました。手を繋いで浜田さんの歌をお互いが知ってる限り、本当に沢山の歌を歌いながら帰りました。特に毎回歌っていたのがこの《君に会うまでは》でした。
当時私は19歳。主人と結婚して今年で30年になります。当時若かったふたりにはお金もなかったのでライブに行ったことがなかったのですが、子供も手が離れ主人の為に先日横浜のライブに初めておじゃますることが出来ました。コロナで声だしは出来なかったのですが、曲が始まると終始ピョンピョン跳ねている彼を観て申し込んで良かったと思いました。メイドの土産になったよと笑
まだ早いよ、あなた。今度のライブは近所のお友だち夫婦も浜田さんのファンだと判明したので4人でうかがおうと思っています。
釘貫 優子
2024/08/01
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14才の時にお袋が知り合いの方に
ダビングしてもらったカセットで初めて聞いた曲がこの曲。全てがここから始まった。もうかれこれ35年。
同じ中学で凄い大先輩の後輩で嬉しいです。
マコスケ
2024/08/01
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この曲は私が浜省の曲で1番初めに覚えた曲です。
父が浜省の大ファンで物心つく前から車の中はいつも浜省でした。このころは歌詞の意味もわからず、何となく歌っていました。地元でライブがあると知り、父に頼み込んで一緒に行き、数少ない知っている曲だ!くらいにしか思っていませんでした。
高校生になるとみんなが聞いてる曲を聞くようになり、浜省を聞く機会が少なくなっていました。
私は大学生になり、ふと久しぶりに聞くかと軽い気持ちで流したら、号泣しました。I am a fatherの歌詞をやっとこの時理解しました。私が幼かった頃、父が何度も流したこの曲は父の思いそのものだったんだと気づきました。
この曲は何より大切な曲です。
うぉーん
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
まだ、十代前半の頃、従兄弟の家に行った帰りの電車で、アルバム<君が人生の時>を抱えていた髪が肩まであるお兄さんに遭遇した。彼は友達らしき人に、このアルバムの良さを笑顔で話していた。近くで話を聞いていた僕は、よく日にはアルバムを買いにレコード店に行き、生まれて初めてアルバムレコードを購入した。そのアルバムのタイトル曲が/君が人生の時/
浜省にハマった理由曲です。