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沖縄在住です。忘れもしない2000年9月、宜野湾市の野外でこの曲が披露されました。今も続く沖縄の基地問題。近くに普天間基地があります。その日、省吾さんは多くは語らず、この曲を披露することで、反戦平和を訴えました。嬉しかった。省吾さんの数多の名曲の中で、この曲も私の心に残る曲になりました。
nmhdo
2024/08/01
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2005年、この年は母が他界、その3ヶ月後に娘が産まれた年に発表されたこの曲。
MCで浜田さんが言ってるように父や家族の歌でした
歌詞に心震え、励まされました。
ほまれパパ
2024/08/01
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会社の先輩(先輩の友達も一緒彼女連れで)スキーに誘われて初めてのお泊りその時に省吾の曲が車で流れてた。その後それぞれの人生をおくってます。
いまだにその時知り合った先輩の友達の彼女とはお友達です。私はそれからRoad&Skyに入会してそろそろ35年になります。
harupoo
2024/08/01
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浜省さんを知ったのは約20年前、当時4歳の時でした。
父の影響でお出かけの時車の中でよく曲を聴いていました。
幼かったので歌詞の意味などは分からず、なんとなくで聴いていましたが、何度も聴いているうちに歌詞を覚えて歌えるようになりました。
幼稚園児だった私は、お迎え待ちでブランコに乗っている時よくJ.BOYを歌っていたんです(笑)
幼稚園の先生やお迎えに来た友達のお母さんには驚かれましたが、J.BOYに限らず浜省さんの歌を園でよく歌っていたのは思い出に残っています。
とにかく浜省さんが大好きで、園の工作の紙粘土で好きなものを作ってマグネットにしよう!という時間にも紙粘土で浜省さんを作りました。
20年経った今でも家の冷蔵庫に貼ってあります。
そして20年前父の車の後部座席で歌っていた私は今、自分の車の運転席で浜省さんの歌を歌っています。
みょんみょん
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
初めて聞いたのはこの曲でした、ラジカセにカセットを入れてボタンを押したら流れてきた曲がこの曲でした。下にいる妹達がまだ小さくて両親の手がまだかかる頃で妹達が羨ましくて、何気ない気持ちで『抱っこしてほしい』と父に甘えてみたら『お姉ちゃんだから我慢しなさい』と一喝。
元々自分の子供には情けや愛情をかけることのない両親で、自分の兄弟達の子供達にはものすごく手を差し伸べるちょっと一風変わった人達だった。
何気に幼心に傷付いて苦しんだ私の耳に優しく聞こえ届いた省吾さんの『ラストダンス』。あまりに優しくてあまりに温かくて泣きじゃくって聞いた、この日を境に私の心の中で省吾さんが『心の父』になった。
あれから36年もの月日が流れ、色褪せることなく私の人生に『浜田省吾』はいます。
人生に必要なこと、大事なこと、大切なことは『浜田省吾』の背中から学び教えてもらった、そう言っても過言ではありません。
私にとって『浜田省吾』は人生そのものです。