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この曲を聴いた時、この詩は私の気持ちを代弁してくれていると感動しました。
私と旦那様は中学の同級生で、18歳で結婚しました。子供が産まれ幾重の年月を共に過ごして来ました、私は大好きな旦那様と過ごす毎日がとても幸せでした。MY FIRST LOVEのアルバムを買い、君と歩いた道を旦那様に聴かせて、この詩は私の気持ちそのまま歌ってくれてるから、私が死んだらこの歌を流して思い出してね!と伝えたことがあります。
そんな大好きな旦那様は、45歳の時突然亡くなり今では私がいつもこの詩に励まされてる毎日です。
歳を取るといつもと変わらない愛情を表現することがなかなかできなくなっていく中、この詩のおかげで素直に出会えた感謝を伝えることができたことを今でも忘れることはないです。
もし、15のあの夏に戻ってそこからもう一度やり直すことができても、私はあなたと出会うことができなかったら今より幸せな日々を過ごすことはないでしょう。
あきんちゃん
2024/08/01
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20歳の私、当時住む隣りのアパートには仲良くしている大学の先輩がいました。彼女には二つ年上の彼氏が居て、時々一緒に三人でご飯を食べていました ある時、先輩はその彼氏と別れてバイト先の違う人とお付き合いをはじめました 良いカップルだったのに残念だと思っていたそんな時、先輩の元彼と、大学の中ですれ違い話をする機会がありました。彼はフラれた反動なのか?げっそりと痩せてしまっていて食事が喉を通らないと言います。つい、かわいそうに見えて、次の週末、ランチを食べに行くことにしました その迎えにきてくれた彼の車の中で流れていた曲がこの歌で、省吾さんのギャンブルなんだよという歌詞に、より落ち込んだ彼を、叱咤激励した縁で、いまは、その人が、私が35年連れそう配偶者になりました
恋はギャンブルというより、縁はギャンブルです
追伸
その隣りの部屋の先輩も、省吾さんのファンで、私と
二人で何度か、当時、なかなか手に入らなかったjboyツアーのために発売日前夜に音楽ショップに徹夜して並びチケットを手に入れ参加するファン仲間でした。ただ、元彼が、私と付き合うことになってからは連絡が全く途絶えていましたそして、そして、月日は流れて
その後、私も先輩も共に、省吾さんのファンは
続けていて、SNS で先輩を見つけ連絡がお互いにとれ、2016年のマリンメッセ福岡でのライブにて再会、彼女もよき伴侶と人生を歩んでいました私の人生の中に省吾さんが人を繋いでくれています
ずっとずっと歌い続けてくれてありがとう 感謝!
Ban
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
田舎から都会へ出て一人暮らしを始めた19歳の夏の終わりに手に取ったアルバム「J.BOY」の中に収められていたAMERICA 。まさに歌詞の通りハリウッド映画や当時流行っていたMTV、80年代のベストヒットU.S.Aを観て聴いてアメリカに憧れていました。
大学を卒業する年にどうしても行きたくて、なけなしのバイト料でロスアンジェルスに飛びました。格安チケットだったので確か12時間くらいかかったと思います。そしてロスの空港でシボレーのコンバーチブルを借りて二週間の旅が始まりました。
サンディエゴから国境を超えて砂ぼこり舞うメキシコのティファナにも行きました。
それから中西部を北上ラスベガスに寄ったり、所々の小さな町のモーテルに泊まり歩きサンフランシスコにたどり着きました。
そこから17マイルドライブを通ってゆっくり南下しロスへ戻って来ました。
日本からカセットテープを持って行きシボレーで聴きながら走りましたが、中西部の何もない道を走っていた時に聴いた「YOUR BRIGHT BABY BLUES」やゴールデン・ゲート・ブリッジを走ってる時に聴いた「WE'RE ALL ALONE」は最高でした。
そして何よりもこの旅のきっかけとなった「AMERICA」は格別です。日本に帰る最終日にサンタモニカの海岸に向かう車中で聴いた「家路」も忘れられません。
この度は僕の人生に自信を与えてくれました。
「Take it easy」辛い場面になったら思い出す言葉です