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生きていると色々ある。
そんな色々を支えてくれた彼女にプロポーズした。
当時仕事が忙しく週末休みがなかなか取れない環境だったから結婚式は省吾さんのコンサートの日に決め、堂々と仕事を休んで式が終わったその足で省吾さんのコンサートに2人で行った。コンサートの中盤、メインステージからセンターステージに移り観客の近くに来てくれた省吾さん
「今日カップルで来た人?」と会場に問いかけてくれた時に「今日さっき結婚式を挙げてきました!」と叫んだら、私と妻の名前を呼びおめでとうと言ってくれ
この星の指輪を歌ってくれた。あれから20年近く
あの頃わかっていたようでわかっていなかった星の指輪の歌詞の深さ
妻には苦労の掛けっぱなしで
描いた夢の通りとは程遠くて今はオレ51初めて知る行き止まりの路地裏で〜だけど今も変わらずオレ妻に恋してる
なんとか早く楽させてあげたいなぁ〜
日又昇
2024/08/08
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今でも聴くと口ずさみながら涙が流れる曲。
初めて聴いた時から、ひとり生きてく、という歌詞がココロのどこかにずっと残り、MVを見て更に忘れられない曲になった。
何故そこまでの感情を持ったのか、その時は分からなかった。
この曲が好きなのか、聴きたくないのか、、、
ただ、浜田省吾の曲の話をする時、気になる曲と言ってはいけない、、言えない自分がいた。夫が逝って10年が過ぎた。
我が身の事となる予感があったのかどうか分からないが、曲の事を口に出すのが、どこか怖い気持ちがあったのは確かだ。
子どもたちは皆巣立ち、今年、彼と一緒に過ごした家から引越した。暮らす環境が変わり、彼がそこに居る感覚は無くなったが、自分に残された時間を精一杯生きていこうと思う。
ゆき
2024/08/07
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42年前、私が中学のとき兄貴の部屋で見つけたのが浜田省吾さんのレコード。初めて聴いて鳥肌が立ちファンに。カセットテープに録音して毎日が浜田省吾。
私の仕事は消防士で、13年前に父が事故にあったとき救助現場へ駆けつけ救助したが…残念ながら父親が他界。
父は木材の仕事をしていたので、I am a fatherを聴くとDVDの映像が頭の中に浮かび、今でも父が頑張れって言ってるようで、今は娘のため家族のために頑張れる力になっています。
森上芳彦
2024/08/07
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私は2年前心筋梗塞で数日生死を彷徨い5ヶ月間入院していました。当初は心臓移植を待ちながら人口心臓を使うとまで言われましたが奇跡的にペースメーカーだけで生きていく希望が持てました。先生方は「生きているのもここまで回復したのも奇跡だ」と言って頂きましたが、入院生活はリハビリ等とても辛いものでした。精神的にも落ち込み一人になれる個室を家族に無理を言って移動させてもらいました。
私は音楽が好きで自分で動ける様になったら一日音楽を聴いていました。
一番のお気に入りは当然省吾さんの楽曲です。他の歌手の楽曲も聞いていましたが。
1ヶ月位したら私の病室ではいつも音楽が流れていると看護師さん達の間で話題になりよく一番好きな歌手は誰ですか?と聞かれるたびに「浜田省吾さんです。」答えていました。ある日午前3時頃省吾さん大好きな看護師さん二人が私の病室に訪ねて来ました、私も寝れない日が多くて起きていました。ただ、この時間は驚きましたが(笑)
女性の看護師さんは母子ともにコンサートが当たれば何処でも参加する方とお父さんの影響で好きになった方でそれもCDよりレコードが良いという渋い人でした。
話は朝方まで続き大変楽しい時間が過ごせました。私が数日メンタル面で落ち込んでいると他の看護師さんから聞くと男性の看護師さんは仕事明けの夜中に何とレコードジャケットを数枚カラーコピーして私の病室に貼ってくれ、「〇〇さん、省吾さんを見ながら頑張りましょう!」言ってくれました。
また、別の日夜中(この時間は慣れました(笑))にレコードプレイヤーを持って来て聴かせてくれました。ただし、この時は当直の看護師さんに怒られました(笑)省吾さんを通して心の絆が出来た事は本当に幸せでした。
そして、この11月コンサートに行ける事になりました!
みんなと立っている事もも出来ず・途中で退席するかも知れませんが、あの空間に戻っていけるだけで幸せなんです。
地元のコンサートがあると毎年コンサートに参加していましたがこの二年間は我慢していましたが、闘病中の目標で「絶対、省吾さんのコンサートに行く。」をやっと達成出来ます。でも、ここまでの道のりは長かったな~
haru12v3
2024/08/07
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
この曲、本当に大好きな曲の1つなんです。
ですが……うん10年前の中学生の頃の事。
修学旅行中、バスの中でカラオケ大会が
始まった。
ある男子生徒が、省吾さんの「MONEY」
を選曲したまではとても良かった。
その男子が歌い始めると…………
最初から最後まで音外しっぱなし。
超音痴。
私は心の中で
「省吾さんに土下座して謝れ!!!!」
と叫び続けていた。
(何をとちくるってんねん!)
(誰の歌やと思うとんねん!)
(お前が歌うなぁ~~!)
と心が荒れ狂っておりました。
隣の友達と
「外してんな~」
「そやな」
「なんで選んだんやろ?」
「歌えると思うたんとちゃう」
(厚かましい奴や!)
耳が腐る一歩手前でした。
改めて省吾さんのお声で聞き直し
耳が腐らずに済みました。
唯一無二のあなたの声、
ますます大好きで
日々更新しています。