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友人がアルバム「J.BOY」をカセットテープにダビングしてくれたことがきっかけで、浜田さんを本格的に聴くようになりました。
この曲で完全に射貫かれたように思います。いろいろ忘れていく年齢になりましたが、テープを差し出す友人の手と校舎の風景は鮮明に覚えています。
tomi
2024/08/03
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35年前、私が転勤になった職場で彼と出会いました。
彼は大学生で大学を休学してアルバイトで働いていました。
一目見た瞬間に私は彼を好きになりました。
私なんか相手にされるわけがないと自分に言い聞かせていた、そんな時、彼から食事やドライブに誘われるようになりました。
当時私にはお付き合いをしている人がいました。
彼のことを好きになったのでその方には何度も別れを切り出しましたが、結局別れる事が出来ませんでした。
彼と一緒にいる時間は私にとって本当に幸せな時間でした。
彼の好きなもの全てを私も好きになりました。
彼の好きなスポーツ、彼の好きな場所、彼の好きな曲、彼の好きな浜田省吾さん。
私と浜田省吾さんを結びつけてくれたのは彼でした。
彼と初めてクリスマスに行ったディズニーランド。
ホテルの部屋で「受け取って欲しいこの指輪を〜
受け取って欲しいこの心を〜」と頂いた指輪を今でも大切に持っています。
結局、彼は大学に戻ることになり私は振られてしまいました。
今振り返っても彼との時間が私の人生で1番幸せな時間であったことは間違いありません。
今、娘が当時の私と同じ年になり、あの頃を思い出すと今でも切なくて、悲しくて、苦しくなります。
35年経っても未だにあの時の失恋から立ち直れていないことに気づきました。
もし、来世また、彼に出会えることが出来るなら、今度は自分の気持ちに正直になり、もっともっと沢山の時間を彼と一緒に過ごしたいと心から願っています。
彼がよく歌っていた「もうひとつの土曜日」は私にとって人生最高の瞬間の思い出の曲です。
運命かな
2024/08/03
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夫が10年程前に手術をし、脊髄を痛めてしまいました それまでゴルフや車が大好きで、ちょうど退職した年だったので、農業もやる気を出し、忙しかった仕事から、離れ
自由に好きな事をして暮らしていくつもりでした 歩けなくなりリハビリに励む時
丁度リハビリ棟が5階で、辛い手術後の長いリハビリ中、いつもこの歌を聴いていたそうです 階下に街が広がり、夜明けから朝になり、又辛いリハビリに挑戦しながら、どんなに遠くてもたどり着いてみせる、
と言い聞かせていたそうです
残念ながら、年齢と共に両杖でしか歩けない今ですが、今でもその気持ちでいる、と言っています おそらく、誰もいない所で泣いた事もあるでしょうが、私にはいつも強気で、憎たらしい位ですが、尊敬できる夫です こらからもどこまでたどり着けるのかか、又はたどり着けないのか
どちらにしても二人で手を取り合って生きていきたい、と思っています
山口 尚子
2024/08/03
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高校2年の時に先輩の影響で浜田省吾を知った私の当時の担任は吉田拓郎の大ファン。
その拓郎さんの曲を浜showが…?
卒業後も交流のあった恩師に会った際に『イメージの詩』が浜showカバーで出た事を自慢気に話したとき『お前は何も知らんのか?拓郎と浜田省吾はな…』と二人の関係性を語られ閉口したと同時に『浜田省吾はいい‼️俺も好きだ🎵』と言ってくれたのが物凄く嬉しかった事を思い出しました。
最近アップされたMVも拓郎さん以外は全て海外のミュージシャンだった事にも驚愕。
最近ですが浜showから少し縁遠くなっていた私を再燃させてくれた友人にも感謝です。
かずじぃ
2024/08/03
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とにかく大好きです。
聴いてるだけで情景が浮かびます。
幼い頃プールで溺れて以来、海どころか水も怖いカナヅチでしたが、私の海・波・夏のイメージを変えたアルバムの中で最高の一曲です。
tomi
2024/08/03
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オートバイが中心の生活だった俺と彼女と出会ったのは昭和の終わり、タンデム、車と二人で出かけた。平成に代わり原付に乗る彼女も自分でライディングして旅する気持ちを味わって欲しくて原付で小豆島キャンプツーリングを企てた。仲間に声かけて総勢6台の原付にテント、鉄板などキャンプ道具を積み姫路の飾磨港からフェリーに乗り込む。束の間の船旅、見つけたジュークボックスで聴いたのが 風を感じて 島に渡り未だシーズン前のビーチを見つけてキャンプベースを設営してビール食材買出し、満天の星空の下、チーム 風を感じて のパーティが始まり、焚き火のほのかな明るさと波の音なの中、静かで濃厚な時間を楽しんだ。今から35年前の思い出です。
summer.sun
2024/08/03
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
浜田省吾のはの字も知らない33年前。17才。
テレビにも出ない。なんとなく名前を聞いたことがある程度。
何気なくレンタルで借りた「誰がために鐘は鳴る」
オープニングの「MY OLD 50,S GUITAR」
初めて聴いて一瞬で頭を撃ち抜かれました。
朝早く新聞配達しながら毎日カセットウォークマンで聴いていたなぁ。
浜田省吾を初めて聴いた曲ということで、
アルバムのオープニング「MY OLD 50,S GUITAR」がいちばんの思い出の曲かな。
思い出の曲…いっぱいありすぎて難しいです~😭
そしてラストの「夏の終り」で稲妻がオレの身体駆け抜けちゃいました。
救われた歌、泣いた歌など思い出の曲は数えきれないくらいたくさんあるけど、「MY OLD 50,S GUITAR」は