-
ずいぶん前のロッキンクリスマス。終演後、客電が明るくなってから大音量でホールに流れた『コーヨテ、海へ』。帰り仕度をしていた私が、ふと顔を上げると、そばの女性が感極まった表情で、もう誰もいないステージをまっすぐ見つめて歌っていた。
周りを見ると、何人かのファンが同じように聴き入っている。思わず私も正面を向いて口ずさんだ。目指せよ海へ 目指せよ海へ
そうさここから先は勝利ある…「コンサートは終了しましたー!」と叫ぶ
場内整理の男性の、呆れたような顔…。スタッフの方、あの時はごめんなさい。でもライブの後に歌ったあの『コヨーテ、海へ』は沁みた。忘れがたい一夜でした。
ペペリーナ
2025/05/09
-
禅ビートに振り付けをして、息子と踊っていた時期があった。
最後のサビ、エンディングまでの短いフレーズだった。
聴いていると心地よいのに、踊るとなるとテンポが速い(笑)!ひとつひとつの振りが、ビートに煽られ粗末にならないように気を付けた。
練習場所は、(狭い)部屋の中。家の外。市の観光館が閉館してからの鏡張りの外壁。ある商業施設の中の鏡張り。2箇所の鏡張りは、ダンスの練習の人気の場所だ。
振り付けは、当時の映像もなく、あれだけ踊っていたのにだいぶ記憶から抜け落ちている。でも当時の楽しい高揚感はまだ覚えているし、何だか青春っぽかったなあと振り返る。…というか、何かに夢中になる事、それが青春なのかもしれない。息子は「大変だった!」と言っているが(笑)。
禅ビートは、不思議な感触のある、魂惹かれる曲。ライブで聴くのが大好きな、ロックンロールだ。禅ビートを、ありがとう。
空風
2025/05/07
-
2005-04-17【当時の私用ブログより】
佐野元春さんの「in motion 2003-増幅」を聞きまくってる。
スポークン・ワーズ形式のライブアルバム。
初めて聞くのに、安らぐ…しかもイメージがばんばん沸いて来る。
佐野さんは去年の春とっくに、長年いたソニーから飛び出して独立してた。
「連中にはついていかない。ついていかなくても不安じゃない」。
(「ベルネーズソース」より)
そーゆーコトやね☆かっくい〜♪私もそうなりたい、ちうか、なる!↑と記してひと月後の(ほぼスポークンワーズな)ライブをもって私のバンドは解散。
そして12年後↓2017-04-06【佐野元春公式Facebook4月4日記事への私のコメント】
(In motion 2017 変容 渋谷O-EASTの)
ライブ中、まちがいなくキモチ良かった。なのに終了直後から、まるで麻酔が切れたみたいにイタミが積み重なって…まる一日のたうちまわりました=私にとっては抜き打ちのオペ★しかもとびきりサディスティックなやり方で★佐野さんの「ビート」の怖さが私の全身に刻まれた、忘れようのない一夜…このタイミングでリアルなライブで体感できて良かったのだと思います。
ありがとうございます。
続くNot Yet Freeフェスのパフォーマンスに想いを馳せながら、私も自分の表現を磨いていきます。NYレポも楽しみにしてますネ。↑と記して3ヶ月後にリリースされたアルバム「Maniju』限定盤アートワークを見た瞬間
「どちらも私だ」と確信=マニジュガールが誕生したのが昨日のことのようです。再び 再び 再び 路上で
ゆきねこ
2025/05/07
-
1994.1.6 THE CIRCLE TOUR
@大阪フェスティバルホールアンコールで佐野さんが客席に
降りてこられました。
当然の事ながら、手を取られステージに
上げてもらったワケでも
目と目が合ってカモン!と言われた
ワケでもありません。この日は佐野さんLiveがまだ5回目で、
勝手が分からなかった私は
「え~っ降りて来はった!何これ?
どういう事?ステージ上がっていいの?
上がらな損やん、こんな機会もう二度と
ないで!」
と図々しくも自らの意志で上がりました。
そして偶然一番近くに突っ立って居た私に佐野さんが『僕の後ろに来て』と。
十数名のファンの方々とステージを
グルグルするという、それはそれは夢の様な時間でした。ただLiveには1人で参加してたので、
それを証言してくれる人は居ません。
「妄想でしょ?」と思われそうな話
ですが、私にとってはかけがえのない
大切な大切な想い出の曲です。『彼女はデリケート』は厚かましく
ステージに上がった様に、躊躇せず
何にでもTRY出来た若かりし頃を懐かしむと同時に、まだまだこの先の人生に訪れる
であろうたくさんの「はじめて」も、
年齢を言い訳にせず果敢に挑んでみようと私を奮い立たせてくれる曲です。
佐野元春様、ありがとうございます。
45周年Tourでも演奏してくださると
いいな~。
まきらるは
2025/05/06
佐野元春
1980年、シングル『アンジェリーナ』でエピック・ソニー(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)よりデビュー。日本のロックにおいて言語・音楽・映像等での先進的かつ革新的な表現を追求。DJ・雑誌編集・パーソナルレーベル(M's Factory)展開等の多岐にわたる活動と併せて常にアグレッシヴな発信を続ける。
1992年発表のアルバム『SWEET16』が第34回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。インターネット時代の到来を予見し、1995年に公式ウェブ・サイトを立ち上げ、1998年には国内初のライヴ有料生配信「地下室からの接続」を開催、現在も先駆的・実験的な活動を展開中。
2004年、独立系レーベル「Daisy Music」を設立。2022年、40年間の活動が評価され第72回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
2025年、デビュー45周年を迎え、3月に自身のクラシックスを新世代に再定義したアルバム『Hayabusa Jet Ⅰ』をリリース。7月からは20周年を迎えたTHE COYOTE BANDと共に全国でアニヴァーサリー・ツアーを行う。
1992年発表のアルバム『SWEET16』が第34回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。インターネット時代の到来を予見し、1995年に公式ウェブ・サイトを立ち上げ、1998年には国内初のライヴ有料生配信「地下室からの接続」を開催、現在も先駆的・実験的な活動を展開中。
2004年、独立系レーベル「Daisy Music」を設立。2022年、40年間の活動が評価され第72回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
2025年、デビュー45周年を迎え、3月に自身のクラシックスを新世代に再定義したアルバム『Hayabusa Jet Ⅰ』をリリース。7月からは20周年を迎えたTHE COYOTE BANDと共に全国でアニヴァーサリー・ツアーを行う。
Shared Episodes
1995年に佐野元春を知って以来、夢中になって毎日聴いた。大学の行き帰り、自室のベッドの上、いつも佐野元春がいた。
特にお気に入りは3枚組のライブアルバム『The Golden Ring』だった。
The HeartlandとTokyo Be-Bopの完璧なアンサンブルの上で、ワイルドで説得力があり、それでいて色気のあるボーカルに夢中になった。
ライブに行ってみたいと思ったけれども、多少の危惧があった。
佐野元春を知る前、大好きだったミュージシャンのライブに初めて行ったとき、ライブアルバムやライブビデオの収録のときには全力でベストなパフォーマンスをするものの、ツアーの中のある1日ではそんなにテンション高いわけではないんだなと残念に思ったことがあった。きっと佐野元春もそうなんだろう。
1996年、「フルーツツアー」のチケットを友人が取ってくれた。初めて生で見る佐野元春は、1曲目から「それまで毎日聴いていたあの佐野元春」だった。
録音していようがビデオカメラが入っていようが関係ないんだと鳥肌が立った。
ライブの終盤、「ロックンロールナイト」が始まった。
出会ってから1年の間に何百回と聴いていた曲だった。
曲の後半、「ウオオオオオオ」と雄叫びを上げる瞬間がある。
口を大きく開け、天を見上げて咆哮するその姿は、まさに「ライオン」そのものだった。
収録しているから全力を尽くす。収録日まで力は温存する。それもプロなんだろう。
佐野元春からは、プロ以上の、生粋のアーティストを感じた。
以来、僕は佐野元春に夢中だ。
彼は今でも、プロ以上の、生粋のアーティストのままでそこにいる。