SWEET LITTLE DARLIN'

浜田省吾

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choco

間違えました。25年前に再会ではなく、出会って25年末後に再会したしま。

choco

16歳の時バイトしてた喫茶店で3つ上の彼と出会いました。一目惚れでしたが彼から友達伝いにもらった手紙。そこには地元に帰ってしまった事、そして一目惚れしましたと言うことが書かれていました。その手紙をきっかけに文通が始まりました。いつも私の悩みに親身にアドバイスと励ましをしてくれていました。毎回の様に手紙の終わりに励ましの内容にあったような歌の歌詞を書いてくれていました。 私が21歳の時、弟のように思っていた人がバイク事故で亡くなりました。事故現場には私がプレゼンしたグローブが片方だけ残されていて…かなりショックで眠れない、食べれない日が続いて…彼にその事を手紙に書いて自分の思いを聞いてもらいました。返信にはそんなになるまで頑張るな、なんでもっと早く連絡くれなかったんだ。と。そして、その時の手紙の終わりにSWEET LITTLE DARLIN'が書かれていました。 「誰よりもお前の事気にかけてる俺さ、1人崩れ落ちそうな夜は俺のテレフォンナンバー思い出せよ」 のフレーズを読んで泣き崩れたのを思い出します。 あれから35年?になりその彼とはその後お互い結婚、離婚を経験し25年程前に再会しました。一緒に省吾のライブでSWEET LITTLE DARLIN'も聴く事もできました

Smile

<🎵ガラスの部屋 より 続き> 長い一日が過ぎようとしていた。 彼が隠し続けたもう一人の女性と3人で会う約束の日。 どのような女性なのかを想像するには あまりにも不必要な時間だ。 考えたくないと思いながら 頭の中は そのことでいっぱいになる。 心が “考えたい”と欲している。 夜になってから 二人は現れた。 彼女の口から 直接 “本気です”と言われたなら なんとか 心の動揺を鎮める手がかりを見つけられるはずだった。 でも 昨日の彼と同じく ひと言も語ろうとはせず 時に 何が愉快なのか 今にも吹き出しそうになるのを 必死に我慢しているかのような彼女の表情に違和感を覚えたが 何とか無言を通すことで お互いが お互いをかばい合っていることは理解できた。 一番苦しい時に 一番身近にいて助けてほしい人が 今は 反対側の岸辺で 別の女性を気遣っている。 そんな構図が頭の中に浮かんだ。 気まずい雰囲気の中 彼は黙って出ていき その後を 彼女は追った。 ひとり残された部屋は 真っ暗だった。 音も なかった。 心は 波立っていた。 でも 何も感じられない。 何をどのように感じたらいいのかさえ 全く分からなかった。 もう 心が欲するという事もなかった。 肉体のみを残した空っぽの私が 眠っている子供の傍で ぺっちゃんこになって座っていた。 その時 声が 歌ではなく ある詩の一編が  時間的経過を伴うことなく 瞬時に 真空状態の耳に 矢が真っすぐ飛んでくるように突き刺さった。    🎵 Sweet little darling 誰よりも・・・ 遠い昔に聴いたこの曲の言葉が 何故 急に耳に映し出されたのかわからない。 だけど 大きく空いた私の心の穴に この言葉はすっぽり入ってしまった。 涙があふれた。 肉体のみだった私の身体に 熱い涙が戻ってきた。 ほんの1,2秒の不思議な出来事。 ファン心理を遙かに超えた場所から届けられた感覚 この日 特別 重要な歌になった。

ふじこ

眠れない夜 この曲が1曲目に入ってるアルバムを聴く ボリュームを小さくして 美しい前奏が流れると 涙が溢れたまま瞼を閉じる 『今、泣いてるのは辛くて悲しくて泣いてるのではなく、曲に感動してるから』だと 自分に言い聞かせる 20代の頃、厳しい人間関係や辛い恋愛で眠れない時 この方法で乗り越えられた 翌朝、睫毛同士がくっついてるけど 30代、『人生でこれほど嫌なことはない』 裏切られ怒りと悔しさで眠れない 『俺と過ごした間、そんなに嫌なことばかり起きた?楽しいこと本当にひとつもなかった?』 返事に詰まった もう乗り越えられないのではないかと思った でも私にはあのアルバムがあるからと また強く言い聞かせる CDで良かった レコードなら擦り切れてたわと 省吾さんのたくさんの曲と 時間の経過が心に折り合いをつけてくれた 色んなことが起き、過去の嫌なことだけを考えてる時間が無くなった 50代の今、なんとかなってる いつも寄り添ってくれるたくさんの曲について想いを伝えることができ 皆さんの投稿も読めて嬉しい ありがとうございます

きゃんでぃ

我が家は長い間、単身赴任家庭でした。 夏休みもなかなか家族揃って遊ぶことが叶わず、それを知っている兄家族や両親が一緒に遊んでくれていました。 娘が小学校6年生の時です。 実家から戻る車の中、いつもは後部座席で眠ってしまう子供たち2人ですが、その日は娘は起きていました。いつも車の中に流れているのは省吾の曲。私が好きな曲をセレクトしたカセットテープを聴きながら運転しています。 暗い窓の外を見ながら、娘が 「この歌を聴きながら、夜の風景を見てると、なんか切なくなるんだよね」 この歌というのが♪sweet little darling。 兄夫婦も祖父母も、いとこたちも、よくしてくれて一緒に遊んで楽しく過ごしていても、帰り道に、どこかお父さんがいない淋しさを感じていたのでしょう。おねえちゃんでいようとする彼女の頑張りの中に、淋しさが蓄積されていたのかもしれません。甘えるのが下手な娘の気持ちがルームミラー越しに見えた横顔に浮かんでいる気がした。 もの思う春の入口にいる娘に、かける言葉が見つからず、ただフロントグラスを見つめ、ハンドルを握りしめながら 「♪いい曲だよね…」としか言えなかった。 今でも、ライブでこの曲を聴く度に、フロントグラスに流れた夜の景色と、ルームミラー越しに見た娘の横顔が浮かんできます。