浜田省吾 / 1999年
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浜田省吾
今から35年くらい前、当時付き合っていた彼女とは、高校時代に付き合い始め、お互いギターで弾き語りを楽しむ趣味を共有し、地元の誰も来ない山の中の隠れた神社の社殿に腰を下ろし、よくギターを弾いていました。 高校卒業と同時に、彼女は地元の看護学校へ、私は神奈川県の大学へ進学、遠距離恋愛の始まりでした。 4年間、週に一回くらい、近くの川沿いにある公衆電話に100円だまを数枚握りしめ、寮生活を送る彼女へ電話し、月一回くらのペースで彼女は、私のオンボロアパートへ通い、一晩過ごして帰るという、そんな日々を過ごしていました。 大学卒業後、私は東京の会社へ就職し、彼女は、地元で看護師として働いていました。 そのころ、18枚目のシングル『LONELY-愛という約束事』が発売され、そのB面に収められていた『もうひとつの土曜日』がすごくよくて、そのEP盤を彼女に贈りました。 そして、「地元へ帰ろう」「彼女のそばにいて、指輪を贈ろう」と心に決め、地元へ戻りました。 「子供の頃、君が夢見てたもの、叶えることなど出来ないかもしれない。ただ、いつも傍にいて、手をかしてあげよう。受け取って欲しい、この指輪を。受け取って欲しい、この心を。」 と、しかし数か月後、私の青春は幕を閉じたのでした。指輪も贈れず、なぜ彼女が去っていたのかもわからず。 あれから35年、こんな話をするなんて思ってもみませんでした。
もともと好きで良く聞いていましたが、県内ではありますが転勤で当時の彼女と少しはなれていまい、紆余曲折ありましたが、転勤から帰りそのタイミングで彼女に指輪とプロポーズをして今に至ります。
職場の同僚でカラオケに行った時、気になる男性が歌っていたのがこの曲。一瞬で恋に落ちました。 受け取って欲しい。この指輪を…ずっと待ち焦がれていたこの言葉は、私ではなく守ってあげたくなるような可愛らしい女性へ贈られました。 彼女のキラリと光る左薬指を見た時、胸が痛み私じゃダメだったと毎日眠れずに泣いていました。
別の男性と別れたばかりの女性にこの歌を歌って、交際を申し込み、付き合いを始めました。まだ二十代の若かった頃の思い出です。この歌を聴く度に彼女のことを思い出します。今は、お互いに別々の人生を歩んでいますが、幸せに暮らして井手欲しいと思いますり
今から27年前にカラオケで歌って歌の最後で指輪を渡してプロポーズ! それが今の嫁さんです
もうひとつの土曜日がきっかけで浜田省吾さんにどはまりし、それ以来ずっと浜省の毎日です。 おまけに浜省がきっかけてギターも買いました!
これからも長いご活躍お祈りしております。
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今から35年くらい前、当時付き合っていた彼女とは、高校時代に付き合い始め、お互いギターで弾き語りを楽しむ趣味を共有し、地元の誰も来ない山の中の隠れた神社の社殿に腰を下ろし、よくギターを弾いていました。
高校卒業と同時に、彼女は地元の看護学校へ、私は神奈川県の大学へ進学、遠距離恋愛の始まりでした。
4年間、週に一回くらい、近くの川沿いにある公衆電話に100円だまを数枚握りしめ、寮生活を送る彼女へ電話し、月一回くらのペースで彼女は、私のオンボロアパートへ通い、一晩過ごして帰るという、そんな日々を過ごしていました。
大学卒業後、私は東京の会社へ就職し、彼女は、地元で看護師として働いていました。
そのころ、18枚目のシングル『LONELY-愛という約束事』が発売され、そのB面に収められていた『もうひとつの土曜日』がすごくよくて、そのEP盤を彼女に贈りました。
そして、「地元へ帰ろう」「彼女のそばにいて、指輪を贈ろう」と心に決め、地元へ戻りました。
「子供の頃、君が夢見てたもの、叶えることなど出来ないかもしれない。ただ、いつも傍にいて、手をかしてあげよう。受け取って欲しい、この指輪を。受け取って欲しい、この心を。」
と、しかし数か月後、私の青春は幕を閉じたのでした。指輪も贈れず、なぜ彼女が去っていたのかもわからず。
あれから35年、こんな話をするなんて思ってもみませんでした。