この曲に寄せられたエピソード
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1987年高校3年の夏、親に叱られ家出をした。当時行きつけの喫茶店があり、バイトしていた1歳年上の先輩に片思いしていました。友達の家だと親や学校にバレてしまう、帰りたくないと訳を話すと先輩は知り合いの部屋に連れて行ってくれました。そこには男の人二人が共同生活をしていてしばらく先輩も一緒に過ごしてくれました。しかし、先輩には彼女がいたことを部屋人の一人、仁君から聞き、その時初めて「この歌、いい歌だから聞いてみて。」と渡されたのが❬J.BOY❭のカセットテープに収録されていた「もう一つの土曜日」でした。部屋人のYさんとG君は私に気を遣いたまに帰ってくるが、ほとんどの日を仕事や遊びで家に帰らず、私は毎日一人でこのカセットテープを何度も何度も聞いていました。初めて聞いた時、浜省の声に体に衝撃か走りました。何て素敵な声なんだと。何度も聴いているうちに収録されている全ての歌に惹かれました。せつなそうに歌う声や語りかける声、詞もメロディも心地よく寂しかった心が軽くなりました。親に見つかったら連れ戻されると隠れて生活をしていた私に浜省の歌だけが心の拠り所でした。顔も知らない浜省の声に惚れ、唄い方に惚れいつしか大ファンになっていました。その頃G君の家に女がいると話を聞いて信じられなくてG君の友達のT
君が酔っ払って訪ねて来ました。ロフトにいた私は下から見上げてる透君のキラキラした瞳に「星の王子様」と思いました。あれから30年以上経ちましたが今でもあの時のT君の事は鮮明に記憶しています。それからT君はチョコチョコ遊びに来ました。一緒にファミコンゲームをやったり食事に連れていってくれたり、私は寂しくなくなりました。T君から「ここにいると二人に迷惑がかかる。俺の家に来れば俺しかいないから、俺のところに来ないか?」と言われました。当時まだ17歳、家出してから2ヶ月が経っていました。私は優しくしてくれT君に惹かれ始めていました。それからT君との同棲が始まりました。その時にT君が「浜省好きなんでしょっ。」とアルバムのカセットテープ2個くれました。それからまた毎日が浜省の曲で過ごしていました。18歳の誕生日をT君と迎え12月になり、彼は「NYに半年間行くがどうする?」と聞かれ、高校3年生で進路も決まっていた私に「高校だけは卒業したほ方がよい。」と家に帰るよう言われました。私に家に帰る勇気をくれ私は家に帰りました。NYに行く前までは何度か会ったりしていましたがしばらくしてNYへ行ってしまいました。国際電話で何回か連絡は取り合っていましたがその後、音信不通になりました。出会った時から「俺は日本は好きじゃない。将来はNYで暮らすんだ」と話していた彼。私と出会う前から一年の半年は日本で仕事して残りの半年はNYで暮らしていた彼。大好きだったT君との同棲は私の青春の一部でした。❬もう一つの土曜日❭から始まり❬AMERICA❭❬Midnight flight❭と当時を思い出す歌で私の青春そのものです。
Nanami
2024/09/04
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社会人になったばかりの当時、よくみんなと遊びに行っていた大好きな先輩が結婚すると知り、凹んでいた私を、励ましてくれた同級生がいました。ある日、その同級生から「もう、忘れちゃえよ。俺でいいじゃん」と言われて…
あの時、目が腫れるほど泣いて泣いて過ごしました。この曲を聞くと当時を思い出し、ほのかに胸がキュッとなります。
テンプレどおりの話で申し訳ないけど、数年後、その同級生と結婚し家庭を持ちました。
昨年、成人した子どもとライブに行きました。この名曲が、今の私たち家族の出発点です。浜省の優しさが溢れていて、心から癒されます。
こんな話、恥ずかしくて子どもたちには言えない…
かときち
2024/09/04
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7泊8日で本州を一周する船で行われた研修。その最終日の朝、ベッドサイドのスピーカーから流れてきたのが『もうひとつの土曜日』だった。
前日の夜、フェアウェルパーティーを抜け出し、デッキで語り合った彼のことを想い、眠れない夜を過ごした私は、まるで自分のことのように感じ、次に流れてきた『傷心』が終わるまでじっと耳を傾けていた。
それが私と浜田省吾さんの歌との出会いだった。
1週間前、私はワクワクした気持ちで船に乗り込んだ。4 月から始まった社会人生活は思い描いていたものではなく、現実の厳しさに打ちのめされそうになりながらもなんとか毎日を過ごしていた。
そんな中、夏に行われる船での研修は海のない県で育った私にとってとても魅力的だった。しかも使われた船は一目で見渡せないほど大きく、美しい船だった。
しかし、晴海埠頭を出た船がまだ東京湾も出ないうちに私は強烈な船酔いに見舞われ、ベッドから起き上がることもできなくなった。
彼と出会ったのはそんな私がなんとか歩けるまで回復した、最初の寄港地北海道で見学地に向かうバスの中だった。
やっと動けるようになった私に周りの人は優しかった。体調を気遣う言葉が次々にかけられた。
しかし、隣の席に座った彼だけは違った。開口一番『消えていた人』と言われ、カメラのフィルムを自分で入れられずにいた私に、『自分で使えないものを持ってきても無駄』といい、フィルムをさっと入れると使い方を丁寧に説明してくれた。そして、私が受けられなかった研修内容もわかりやすく説明してくれた。
そんな彼とは僅か1日しかない寄港地活動でのバス移動で隣の席になることが重なり、私にとって気になる存在となっていった。
しかし、研修は厳しく、朝6時から始まり、課題に追われ寝る時間は毎日3〜4時間という生活の中、私は自分の気持ちについて考える余裕はなかった。
僅か1週間での出来事。いつもとは違う生活で気持ちが昂揚しているだけでこの研修が終われば元の生活に戻るだけだと自分では思っていた。
そして最終日。浜田省吾さんの歌を聴いた瞬間、自分でも整理がつかなかった自分の想いに気づくことになったのである。
その想いを抱えたまま、約束も何もせず2人は船を降りた。
しかし、その後縁あって遠距離恋愛を実らせ今に至っている。
あの時、曲名も歌手もわからず心に刻んだ曲は彼が大好きな歌手の曲だった。その後教えてもらって買ったアルバムは何百回も聴き今でも彼が買ったアルバムとともに並んでいる。
海想
2024/09/02
今から35年くらい前、当時付き合っていた彼女とは、高校時代に付き合い始め、お互いギターで弾き語りを楽しむ趣味を共有し、地元の誰も来ない山の中の隠れた神社の社殿に腰を下ろし、よくギターを弾いていました。
高校卒業と同時に、彼女は地元の看護学校へ、私は神奈川県の大学へ進学、遠距離恋愛の始まりでした。
4年間、週に一回くらい、近くの川沿いにある公衆電話に100円だまを数枚握りしめ、寮生活を送る彼女へ電話し、月一回くらのペースで彼女は、私のオンボロアパートへ通い、一晩過ごして帰るという、そんな日々を過ごしていました。
大学卒業後、私は東京の会社へ就職し、彼女は、地元で看護師として働いていました。
そのころ、18枚目のシングル『LONELY-愛という約束事』が発売され、そのB面に収められていた『もうひとつの土曜日』がすごくよくて、そのEP盤を彼女に贈りました。
そして、「地元へ帰ろう」「彼女のそばにいて、指輪を贈ろう」と心に決め、地元へ戻りました。
「子供の頃、君が夢見てたもの、叶えることなど出来ないかもしれない。ただ、いつも傍にいて、手をかしてあげよう。受け取って欲しい、この指輪を。受け取って欲しい、この心を。」
と、しかし数か月後、私の青春は幕を閉じたのでした。指輪も贈れず、なぜ彼女が去っていたのかもわからず。
あれから35年、こんな話をするなんて思ってもみませんでした。