この曲に寄せられたエピソード
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33年前、父と亡き母の結婚式、母がキャンドルサービスの曲にと選んだのが「もうひとつの土曜日」でした。
浜省が大好きなお母さん。車の中では決まって浜省の曲を聴き、ファンクラブの会報をまるでラブレターが来るみたいに楽しみにしていました。
そんな母は今年の5月に突然亡くなってしまいました。蜘蛛膜下出血でした。父と妹が仕事から帰宅した頃には既に手遅れな状態でした。
朝から話せばよかったなとか、昼に電話してみたらよかったなとか、近くまで来たから家によればよかったのにとか、遺された私たちは悔やんでも悔やみきれません。
せめてもの母への感謝の気持ちを伝えたくて、お通夜、お葬式の間、ずっと浜省の曲で見送りました。
その二日間は、悲しみの中にも、どこか温かさに包まれたような心地でした。たくさんの人たちが式場に置かれていた折り紙に手紙を書き、鶴や花を折って棺に入れました。式場の折り紙が何度も無くなる程、たくさんの人たちが母へ言葉を綴っていました。
みんなが母との思い出を語らいながら、微笑んだり、涙ぐんだり、孫達は広い式場で走り回ったり、きっと、母も喜んでくれたんじゃないかなと思います。
よく母は『子どもたちも大人になり、これからいろいろな楽しみがあるね』と言っていました。それが急に閉ざされてしまい、本人は元より、父をはじめとし、家族も残念でなりません。叶えてやりたかったことがたくさんあります。しかし、きっと何十年後かに、父が母に母が亡くなってからのことをたくさん話してくれると思います。
だから今は、前を向きながら、母の死の悲しみとともに、楽しく生きていきたいと思います。父が亡くなる何十年後までに、『いいなぁ、私も見たかったなあ。』なんて母が言いたくなるような思い出を、たくさん作りたいと思います。
通帳も保険も何もかも解約し、唯一母の名義で残しているのが浜田省吾のファンクラブです。きっと会報が届くたびに、父は母からラブレターが来たような気持ちになることでしょう。そして、「もうひとつの土曜日」をきくたびに、母の幸せそうな姿を思い出すのだと思います。
きよちゃん
2024/08/02
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33年前、父と亡き母の結婚式、母がキャンドルサービスの曲にと選んだのが「もうひとつの土曜日」でした。
浜省が大好きなお母さん。車の中では決まって浜省の曲を聴き、ファンクラブの会報をまるでラブレターが来るみたいに楽しみにしていました。
そんな母は今年の5月に突然亡くなってしまいました。蜘蛛膜下出血でした。父と妹が仕事から帰宅した頃には既に手遅れな状態でした。
朝から話せばよかったなとか、昼に電話してみたらよかったなとか、近くまで来たから家によればよかったのにとか、遺された私たちは悔やんでも悔やみきれません。
せめてもの母への感謝の気持ちを伝えたくて、お通夜、お葬式の間、ずっと浜省の曲で見送りました。
その二日間は、悲しみの中にも、どこか温かさに包まれたような心地でした。たくさんの人たちが式場に置かれていた折り紙に手紙を書き、鶴や花を折って棺に入れました。式場の折り紙が何度も無くなる程、たくさんの人たちが母へ言葉を綴っていました。
みんなが母との思い出を語らいながら、微笑んだり、涙ぐんだり、孫達は広い式場で走り回ったり、きっと、母も喜んでくれたんじゃないかなと思います。
よく母は『子どもたちも大人になり、これからいろいろな楽しみがあるね』と言っていました。それが急に閉ざされてしまい、本人は元より、父をはじめとし、家族も残念でなりません。叶えてやりたかったことがたくさんあります。しかし、きっと何十年後かに、父が母に母が亡くなってからのことをたくさん話してくれると思います。
だから今は、前を向きながら、母の死の悲しみとともに、楽しく生きていきたいと思います。父が亡くなる何十年後までに、『いいなぁ、私も見たかったなあ。』なんて母が言いたくなるような思い出を、たくさん作りたいと思います。
きよちゃん
2024/08/02
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この曲がヒットしてた頃 生まれてはじめての浜田省吾のコンサートのチケットを2人分取り 当時付き合っていた彼と行くはずでした。
ところがコンサート前のある日、彼の浮気が発覚!
裏切られた気持ちと彼に仕返しする気持ちが働いて、そのコンサートに彼と共通の知り合いの男性を誘い行くことに…その後 彼と付き合うことになり その後結婚、現在の主人となりました。もう彼のことは忘れてしまえよ まだ君は若くその頬の涙 乾かせる誰かがこの街のどこかで 君のことを待ち続けてる
まさしくこのフレーズ
この歌がなかったら 今の私はありません
今はとても幸せです
シュガーは控えめ
2024/08/01
今から35年くらい前、当時付き合っていた彼女とは、高校時代に付き合い始め、お互いギターで弾き語りを楽しむ趣味を共有し、地元の誰も来ない山の中の隠れた神社の社殿に腰を下ろし、よくギターを弾いていました。
高校卒業と同時に、彼女は地元の看護学校へ、私は神奈川県の大学へ進学、遠距離恋愛の始まりでした。
4年間、週に一回くらい、近くの川沿いにある公衆電話に100円だまを数枚握りしめ、寮生活を送る彼女へ電話し、月一回くらのペースで彼女は、私のオンボロアパートへ通い、一晩過ごして帰るという、そんな日々を過ごしていました。
大学卒業後、私は東京の会社へ就職し、彼女は、地元で看護師として働いていました。
そのころ、18枚目のシングル『LONELY-愛という約束事』が発売され、そのB面に収められていた『もうひとつの土曜日』がすごくよくて、そのEP盤を彼女に贈りました。
そして、「地元へ帰ろう」「彼女のそばにいて、指輪を贈ろう」と心に決め、地元へ戻りました。
「子供の頃、君が夢見てたもの、叶えることなど出来ないかもしれない。ただ、いつも傍にいて、手をかしてあげよう。受け取って欲しい、この指輪を。受け取って欲しい、この心を。」
と、しかし数か月後、私の青春は幕を閉じたのでした。指輪も贈れず、なぜ彼女が去っていたのかもわからず。
あれから35年、こんな話をするなんて思ってもみませんでした。