この曲に寄せられたエピソード
(27件)-
朝起きたら主人が亡くなっていました。心不全です。主人が愛した息子は高校一年、愛犬は4歳。私はこの子達がいるから生きなくちゃと。それから主人が欲しがっていた黒色の犬も迎え入れました。その子は静かな我が家に笑顔を運んでくれました。あれから13年経ち主人が愛した愛犬は主人の側に行きました。その時の喪失感と主人との繋がりが失くなったような何とも言えない気持ちでした。そんな時にこの歌を聴きました…泣きました。家族で数えきれないほど海に行き主人と居ればなにも怖くないし心配もなくて本当に幸せだったのだから、私は生かされていて精一杯生きなくちゃいけない
って。それから数年後、黒色の愛犬も旅立ちその頃は息子も一人で生きられるほど大人になり…生きる理由がまた見つからなくなりそこで先の先の予定を入れることで生きる理由を作りました。そんな矢先浜田省吾さんのアリーナツアーを知りチケットが当たり3回の公演に行きました。気持ちが少しずつ癒されました。ありがとうございます。
ユキエ
2024/08/01
-
16年前、今の日本のような暑さと肌にまとわりつく
湿度と独特な香りのする、東南アジアの空港に降り立った43歳のしがないサラリーマン。あぁ、、これから3年間この地でローカルのスタッフと上手くやっていけるのか?呼び寄せる妻、小学生の子供はこの地に馴染んでくれるのか?現地の日本人マネージャー、スタッフと良い関係を築けるのか、、この地で初めて目にする業務に課題は無いのか。。。もう不安の渦と、押し寄せる緊張のあまり酷い吐き気を催す中、「Hi❗️」って陽気なローカルスタッフのドライバーに明るく迎えられ迎えの車に乗り込んだ。
当時はスマホなんて無く、ハイレゾのウォークマンに繋いだヘッドフォンを外耳に差し込む。何度も何回も日本で繰り返し聴いたはずの省吾さんの楽曲なのに、この不安定なハートが揺さぶられる。
どんなに不安無く日本で生活して来たのか、、またもや感情が揺らぎ出す始末。感情がネガティブに高まる中、鼓膜を通り過ぎて行く省吾さん。
ふと我に返る「🎵今日まで何度もやっかいな事に。見舞われ来たけれど。今もこおして暮らしてる。これからも生きていけるさぁ。」「明日の朝も日はまた昇る」ヤバい、ほんとにヤバい、今までに無く突き刺さる歌詞、良い歳した大人が後部座席で涙腺崩壊。。そうだ「誰もが自分の人生と戦っている」。苦しいのは自分だけじゃないんだ!
この楽曲に3年間、何回・何百回も助けられたか数えきれない。予想通りビジネスはタフだった。。心配をよそに家族はこの地に馴染んでくれて感謝以外の言葉が見つから無い。「最後は」この地「笑って」去る事ができて良かった。
あの時、タフな日々を過ごしたハイレゾのウォークマンは、今、あの日々を癒やすようにオーディオラックでゆっくりと余生を過ごしている。
この楽曲が無かったら、3年間耐える事ができ無かったと言っても過言では無い。省吾さんのファンで本当に良かった。
Duke125
2024/08/01
-
日はまた曻る
僕は東日本大震災の被災者です
2011年のツアー
開始1ヶ月前が東日本大震災で、日本全国自粛モードが広がる中省吾さんは予定通りツアー開始を決定しました震災の後しばらくの間、遺体安置所になっていたのが宮城スーパーアリーナでした
宮城公演は延期になり
その遺体安置していた会場で、ようやく実現した2012年5月の宮城振替公演。
省吾さんはどんなメッセージをこの東北の地に届けてくれたんだろう。
そんな想いを馳せながら開演を待ちました悲しみや辛さを胸に抱えたまま明日からも暮らしていく力を届けたい、省吾さんがツアー初日から言い続けてきたON THE ROAD 2011は特別な
コンサートでした
そして歌っていただいた
日はまた昇る
闇の向こうに何があるのか
誰ひとりわからない
わからぬことを わずらうよりも
今日 この時を 生きていたい
この歌は僕の宝ものです
J.みょん
2024/08/01
結婚したら普通に子供は出来る物と思ってた私。友人からは子供が産まれた知らせの写真付きの年賀状が届き、不妊治療を開始するも、2度の流産で身も心もボロボロになりました。
夫の両親と同居生活なのに、病院に1度も見舞いに来ない夫の両親。
環境を変える事を勧められ、会社の社宅に入りました。
しかし、夫が、突然のリストラにあい、もう1度、夫の家に入る事になりました。いつも、厄介な事に見舞われて来る度に、この曲をお風呂で歌いながら、乗り越えて来ました。
コンサートで聞く度に、自然と涙が出てくるんです。