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7つ上の従兄弟が居候していた時、寝る前必ず聞いていた曲でした。当時小学生だった私は浜田省吾って誰?曲名の意味がわからないと言ったのを憶えています。同級生に聞いても誰も知らないこの曲を毎晩聞いていて、いつしか大好きになっていました。それから色々な浜ショウの曲を聞いて歌声、歌詞が好きになり、40年経った今も聞いています。最近やっと自分の時間が取れるようになり、コンサートに行けるようになりました。コンサートではこの曲も歌われました。初めて聞いた時からずいぶん経ちましたが、カッコいい曲だなと改めて思いました。従兄弟と一緒に寝ていたのは1年半でしたがそこで聞いていた曲が一生の付き合いになることもあるんですね。
王城キング
2024/08/01
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1988年3月16日アルバム「Father's Son」発売の日、この日私は29歳を迎えました。実際にアルバムを手にしたのは一年ほど経ってから。レンタル落ちの盤に針を落とした瞬間、強烈なイントロに驚きと共に大好物になるらしい後味を感じました。当時住んでいた場所は東京多摩の米軍基地近く。詩のストーリーがまるで自分の住居周辺とオーバーラップ。浜田省吾が広島県出身とはついぞ知らずでした。Father's Sonを聴くということは「Blood Line~フェンスの向こうの星条旗」を聴くということなんです。レンタル落ちの一枚のレコードがおかげで35年夢中で追いかけ続けています。
C-nagawa
2024/08/01
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もう30年ほど前でしょうか…その日はクリスマスイブ、でも手元にはチケット無し。
会場の雰囲気だけでも…と出掛け、そろそろ帰ろうとしたその時、『町支寛二さんって知っていますか?』と声を掛けられ、『もちろん!!』と答えたところ、1枚だけ余っているチケットを譲ってくれると。
『ダフ屋に見つからないように』とコッソリ話していると、今度は別の方が『僕の分も』と、おふたりとも定価で譲ってくれました。
一緒にLIVEを聴いた《彼》とは、添い遂げたくても叶わない仲、自分たちと重なる歌詞に今でも涙…涙。
余談ですが、ダフ屋のオジサマに『1枚7万だけど、今日はクリスマスイブだから、2枚で12万で良いよ〜』と言われた事も、今では良い思い出です。
ちゃおママ
2024/08/01
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高校生の時、大学生たちの浜省ファンのアマチュアバンドのピアノをお手伝いをして、その時初めて浜田省吾を知りました。とても楽しいバンド活動と、それ以来、声に、人柄に魅了され、早40年、昔の筋肉質で胸板の厚かった省吾さんも、何故かのロングヘアの時も、雨が降りだして待っている人が可哀想だと、早めに入場させてくれるオーディエンス想いの省吾さんも、今の白髪の飾らない省吾さんも、ずっと好きです。昔は、男の人ばかりのファンの中に、異色の若い女の子のファン、だったのに、今は…いえ、今もコンサートの時は、愛してる愛してるもっとーもっとー、など、踊って歌ってコールしています!昔はチケット取るのに並んで並んで、電話して電話して、古村さんがランニングするのを4日連続で見て、梁くんのピアノに酔いしれ…そして今も省吾さんの昔より一層甘い歌声に浸らせていただいております。これからも、応援していますね。
さくらそう
2024/08/01
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日はまた曻る
僕は東日本大震災の被災者です
2011年のツアー
開始1ヶ月前が東日本大震災で、日本全国自粛モードが広がる中省吾さんは予定通りツアー開始を決定しました震災の後しばらくの間、遺体安置所になっていたのが宮城スーパーアリーナでした
宮城公演は延期になり
その遺体安置していた会場で、ようやく実現した2012年5月の宮城振替公演。
省吾さんはどんなメッセージをこの東北の地に届けてくれたんだろう。
そんな想いを馳せながら開演を待ちました悲しみや辛さを胸に抱えたまま明日からも暮らしていく力を届けたい、省吾さんがツアー初日から言い続けてきたON THE ROAD 2011は特別な
コンサートでした
そして歌っていただいた
日はまた昇る
闇の向こうに何があるのか
誰ひとりわからない
わからぬことを わずらうよりも
今日 この時を 生きていたい
この歌は僕の宝ものです
J.みょん
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
バツイチ同士の私と彼。
お互いいろいろ人生の苦楽を経験してきたつもり。
10年ぐらい前にFBの浜田省吾のファンの会みたいのに入った。『私が一番好きな曲は『青空のゆくえ』です♪』と投稿すると1番にいいね!を押してくれ、『ぼくも好きな歌です』とギターで弾き語りを投稿してくれた。
そして『今度のライブに一緒にいきませんか』とメッセージで誘ってくれた。
会ったこともない人と行くなんて…ドキドキと戸惑いもあったが一緒に申し込むことに。
それがきっかけで少しずつお互いの近況などをLINEで話すようになった。お互い省吾さんの歌が好き、ということで話も弾みすぐに意気投合。彼に少しずつ惹かれていった。
遠距離でなかなか会えないが会いに来てくれた時は、海岸に車を停めて、海を見ながらふたりで『青空のゆくえ』や省吾さんの歌をいっぱい聴いたり語りあった。
最高に幸せで楽しかった。
歌詞にもある、♪〜恋のはじまりも終わりも知り過ぎてるから…♪というフレーズが真に心に沁みわたった。
大人の恋愛は若い時のように、想いのまま気持ちをぶつけたり、わがままも言うこともなかった。
ましてや何もかも捨てて飛び込んでいけないことはわかっていた。
秋になり、一緒に省吾さんのライブに行った。
バラードで彼が手をぎゅっと握ってきた時、ホッとそのぬくもりにあたたかな気持ちになった。でもなぜか涙があふれてきた。
あれから、『青空のゆくえ』を聴くたびに彼を思い出す。
もうあんなときめきを感じることはないだろう…
彼もこの歌を聴くと、遠い青空のどこかで私の事思い出してくれているのかなぁ…?とふと思う。