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小学3年生の頃、仲良し女子グループの中の1人の家に皆で遊びに行きました。
その女の子のお兄ちゃんは中学生でやんちゃで暴走族に入っているという噂もありました。家の中で遊んでいるとふと不思議な通路を見つけました。友達に聞くとお兄ちゃんは屋根裏に住んでいるとのことでした。お兄ちゃんは留守で、私達はどんな部屋に住んでいるのか興味が湧いてしまい部屋に入りました。
中は結構広く壁にはズラーっと空の缶ビールとタバコの空箱が並べられていました。
布団の横に赤いカセットデッキが置いてあり、音楽が大好きな私はそこに入っているカセットを再生してみました。
ここで流れてきた曲、今まで聞いたことのない初めての声、メロディ、歌詞、一瞬で引き込まれました。誰なんだろう?カセットを出して見ると「路地裏の少年/浜田省吾」と書かれていました。
忘れないようにメモをして帰宅しました。
それから現在までの40年間、私の人生は浜田省吾さんの歌と共にあります。
あの時、浜田省吾さんに出会えて良かった。全ての何気ない行動が起こした奇跡に感謝します。
YOSHIKO.A
2024/08/01
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妻と付き合い始めた頃、二人とも忙しかった。私はエンジニアで毎晩遅くまで残業、そして休日出勤。妻は大学病院の正看護師で、勤務はシフト制。土日関係なく、そして夜勤もしていた。
予定など合う訳もなく、お互いに会うのは週に1度あればよい程だった。この時代、現代のラインなどない為、PCのメールで毎日やり取りが唯一の交流方法だった。と言っても、お互い日に1通送れれば良い状態。
なので、誕生日などの記念日には、何か特別な事がしたかった。以前、浜田さんのHPでは、浜田さんの楽曲を付けてメールを送れるサービスをしていた。記念日には、このサービスを利用し、つける楽曲は必ず「青空のゆくえ」だった。
プロポーズをしたのは、彼女を家まで送って行った車の中。その時に流れていたのも「青空のゆくえ」だった。
本当にこの曲には、お世話になった。ありがとう。
井草 卓昭
2024/08/01
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今から36年前、今の妻と知り合って浜田省吾さんのコンサートに誘ってもらい観戦しました!それからの大ファンです!妻の方は、もっと早くから浜田さんのファンで群馬の親友の方と一緒にコンサートに行っていたそうです!
妻と付き合い初めてデートで、夏の暑い時期にエアコン無し、重ステ、手動ウィンドー、カーステ無しの肌色のカローラにラジカセを積んで、汗をかきながらドライブしていたのが、凄く印象に残っています。結婚してから今現在まで、車のカーステの楽曲は浜田省吾さんだらけで、うちの3人の息子たちは子守唄のように聞いて育ちました!
今は、夫婦して浜田さんのファンクラブで、コンサートは必ず二人で観に行かせて頂いております。
これからも、たくさん行けるいいです\(^_^)/
西本徳男
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
初めてデートして、一回のデートの後フラれ傷心の独りドライブをした帰り道、夕陽が沈みかけた福岡の海岸沿いの道路を独りクルマを走らせているとカーステレオからは愛しい人へが流れていた。
クルマの車窓には夕陽が水平線に沈んでいくのにあわせて曲のエンディングがまるで映画のエンドロールのように静かに静かに終わっていった。青春の苦く懐かしい思い出の曲です。