-
浜田省吾
この曲を聴くと、幼稚園勤務していた仲間の先生と、夜行列車に乗り夏休み研修旅行に行った若かりし頃が思い出されます🎶最高に輝いてた頃この時に戻りたいなあ😎
ロゴちゃん
2024/09/13
-
浜田省吾
結婚前、妻と付き合っていた頃、30年ほど前になりますが、カラオケが流行っていた時代です。その当時、今もですか、十八番で歌っていました。妻は、私がカラオケで歌うのを聴いて初めてこの曲を知ったそうで、お気に入りの曲になり、私の影響も相まって浜田省吾と言うソングライターの曲をよく聴くようになりました。浜田省吾のイメージも良い方に変わったようでした。当時は、遠距離とは言えないかもしれませんが、車て片道1時間以上かけて会いに行っていました。若かったし、寝る時間を削れば少しでも一緒の時間が増えると思って、短時間睡眠も苦にならなかったかな。行き帰りの車中で、時には一人で、時には二人で浜省の曲を聴き、歌いながらハンドルを握っていました。ある日、お互いの仕事の都合で合えず、電話(携帯電話やスマホのない時代)で話していた時に、妻から「もう一つの土曜日」を歌って欲しいと言われ、必死で受話器を握りしめ、受話器越しに歌ったこともありました。
今では、結婚して30年が経とうとしています。二人の人生、常に浜省の曲が共にあります。コンサートもいつも二人で参加し、声と両手を上げ、非日常を満喫し、明日への糧をもらっています。子供たちも常にかかっている浜省ソングを聴いていますし、コンサートにも家族で参加し、良い思い出です。会社で、私と同年代の浜省ファンの方と、コンサート等の話題で盛り上がることもあるそうです。
どの曲が好きですかと問われても、一つに絞れませんが、妻との一番最初の思い出の曲として、エピソード投稿いたします。
私たちの思い出のシーンのBGMは、浜省ソングです。これからの人生も、浜省ソングと共に歩んで行くはずです。きっと多分絶対。
坂ちゃん
2024/09/13
-
浜田省吾
「僕の声はよく浜田省吾に似てるって言われるから、浜田省吾の歌を聴いたら、僕のことを思い出してね」
カラオケで歌を唄った後に私の横に戻ってくると、彼は私の耳元でそう言った。
彼は生粋の省吾ファンだった。
ドライブでも、家でも、いつも省吾さんの歌がかかっていた。彼の歌う浜田省吾の歌は本人が言う通り、省吾さんの歌声のように甘く、とても上手だった。洋楽ばかり聴いていたその頃の私にとって、彼がカラオケで歌う省吾さんの曲が私にとっての浜田省吾の歌声だった。彼は省吾さんで、省吾さんは彼だった。
夜中、家族が寝静まってから、父親の車で毎晩のように彼に会いに行った。彼の家は海の近くにあって、夜の海辺をただ手を繋いで歩くのが好きだった。
でも、別れてしまった。嫌いになって別れたのではなかったから、何日も何日も泣いて、気がついた時には彼の電話番号もメールアドレスも、彼の歌っていた省吾さんの歌も、彼の歌声も、みんな忘れてしまっていた。
でも、あの時彼のささやいた「僕を思い出してね」という言葉だけが、私の中に何かのしるしのようにずっと残っていた。
省吾さんの曲がラジオや街中で聴こえてくると、彼のことを思い出した。こんな声だったか、この歌は歌っていたっけ、この歌は聞いたことがあるっけ……。
その後、彼も私も、それぞれ別な人と結婚した。子どももできたと聞いた。もう何十年も会っていないしこれからも会うこともないだろう。でも今はもう悲しいとは思わない。それぞれ別な道を歩いてきただけだ。
*******
ある日、音楽が趣味の今の彼が「俺、浜田省吾も好きなんだよね」と言った。私はただ、不思議だな、と思った。ちょうど省吾さんがライブをやるというので2人で行くことになった。
私はちょっと複雑な気持ちだった。省吾さんの生の声を聴いたら、私は何を思い出すのだろう?
コンサートは、テンポの良い曲がどんどん進む。圧倒的な音と歌声に、ぐいぐい感情が揺さぶられる。省吾さんは昔と変わらない歌声を聴かせてくれていた。
聴いていると、いろんな気持ちが湧き上がってきた。それは例えばただ単に昔の彼を思い出すとか、そういう単純なことではなく、どんな会話をしたとかあの時ああ言えば何か変わったんだろうかとか、その風景や、風や、匂いまでも思い出せそうなぐらいだった。後悔や切なさや恥ずかしさとかで、胸が痛くなるような気持ちだった。でも省吾さんの歌声は、そういう想いをひとつひとつ手に取って丁寧に埃を払って、きれいな布にくるんでくれるような気がする。今までの人生が間違っていようと遠回りしようと、すべて肯定してくれるような優しい声。そしてそれは、浜田省吾唯一無二の声でしかなかった。
もう、省吾さんの歌はただ省吾さんの歌として聴けばいいんだ、聴いていいんだ、心にストンとわかったときに「ラストショー」が始まった。あのときの彼の言葉が、ピアノの前奏の音と一緒に、目の前で砕け散った。
泣きながら手がちぎれそうなぐらい振って、大きな声で一緒に歌った。
**************
外は寒かったけど、温かい気持ちになってライブを後にした。
帰り道で見上げた夜空には、きれいな星が見えた。歩きながら彼が言った。
「俺、昔すごい浜田省吾ファンの彼女がいたんだよね」
え?
その話はまた別の曲に乗せて……。
ポンズ
2024/09/12
-
浜田省吾
映像作品の中で、事務所のデスクに足を組んで座り、ジーンズにバファローチェックシャツ・ギター1本でこの曲を歌う省吾さんが大好きでした。
完全にビジュアルから入った曲ですが、聴くほどに素朴で切ない時期を思い出す、魅力ある一曲です。何十年も経ってから"Welcome back to The 70's" で 聴けました!2次抽選で当選し、片道5時間かけて日帰りで本多の森ホールへ行きました。本当に感動的しました。
座席により見やすい見にくいはあっても、省吾さんのLiveはどの席からでも最高です。
あのときはほぼ最後列の端っこでしたが、本当に幸せで満たされた気持ちで一杯になりました。今でもすぐに思い出せます。イントロの半ばで 行かないで と分かったときは、人性で初めてよろめきました。ラストダンスも最高でした。
この曲のみならず70年代の省吾さんの音楽が、特に歌詞が大好きです。
tomi
2024/09/12
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
「浜田省吾さんの片想い聴いて」と
当時、片想いだった年上の彼に言われたのが
きっかけです。
彼は私と出会う前に付き合っていた女性と別れる時に自殺未遂をされてしまいました。
彼女は一命を取り留めたものの、彼の負った傷は非常に深い深いものでした。
その経緯を話しながら「私を傷つけたくないし自分も傷つきたくない」と・・・
私は彼の雪解けを待とうと寄り添う事にしました。
私は父を9歳で亡くした事もあり
姉夫婦と母と同居をしていました。
そんな時、私の姉が子供も夫も捨て失踪をしてしまいました。
姉がいなくなって母も兄も探し求め、それでも見つからない。
家族崩壊の状態でした。
そんな事を何も知らない彼は、いつものように電話をかけてきました。
リビングにあった電話。そばにいる義兄。私は彼に状況を話す事もできず、泣きながら「もうやだ」と・・・
彼は私の言葉を誤解し連絡が途絶えました。
数ヶ月が経ち姉が家に戻ってきました。
数ヶ月の間は、彼の事を案ずるよりも姉の事で精一杯でした。
家族の事が落ち着いた後に、彼に公衆電話から連絡し姉の状況を話しました。
しかし、彼には「嘘をつくなら、もう少し上手い嘘をつけ」と信じてもらう事ができませんでした。
何十年か経ち、長い長い手紙を彼に書き、嘘をついた事がないと言ったら嘘になるけれど、あなたには嘘はつきませんと送りました。
その手紙で、やっと私の言っている事を信じてもらう事ができました。
でも、その頃には、私も彼も別の人がそばにいました。
結婚した今でも彼の事を忘れた事はなく片想い中です。
好きな人を心に浮かべる意味の浜田省吾さんの片想いを聴きながら、姿を心でイメージしています。
私の片想いは片念いの方が合ってるかもしれませんね。
浜田省吾さんのファンになって
素敵な曲に何度も勇気づけられました。
これからも色々なストーリーの曲を楽しみにしています。