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浜田省吾
16歳の私は都会に憧れ恋を夢見ていた。
そんな私の前に新卒の男の先生が現れた。
女子校だったせいもありちょっとだけ気になる存在だった。
なかなか話す機会はなかったけど修学旅行の時に
そのチャンスが訪れた。
何故か先生は数本のカセットテープを持っていた。
その中に浜田省吾さんの「イルミネーション」があった。
「先生も浜田省吾好きなん?
修学旅行の間だけ貸してください」と半ば強引に持ち去った。
当時、音楽大好き少女を気取っていた私は友達と相談し
小さなラジカセをこっそりと持参していた。
クラスメイトが寝静まったらお布団に潜り込んで
ラジオや音楽を聴こうと計画していた。
実際は昼間の観光スケジュールに疲れて
それどころではなかった。
修学旅行最終日の夜がやって来た
明日はカセットテープを返さなくてはならない
同室のクラスメイト達が入浴中に部屋に残って
借り物の浜田さんのカセットテープをひとりで聴いた。東京のどこだか分からないがホテルの窓からは
見た事のない電車に見た事もないたくさんの
人 人 人が乗っている。
次から次に電車はやって来る。
地方都市に住む高校生には衝撃的だった。
その時に流れて来たのは浜田さんの
「グッドナイト・トーキョー」だった。この1か月後に地方都市の大学祭で浜田省吾さんの
生歌声を聴くことになるとはその時は思いもしなかった。
浜田さんに夢中になって先生の事はすっかり忘れてしまった。1979年の秋の出来事だった。
カセットテープきちんとお返ししました。
くまそら
2024/09/10
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浜田省吾
10代の頃、寮生活で休みの日に大音量で聴いてた曲で、当時、お付き合いしてた彼の車でもよく聴いてました♡(˃͈ દ ˂͈ ༶ )
また、あの頃にタイムスリップできるなら。
省吾さんの若いときのライブには行けなかったけど、ここ数年でライブに行けて、夢が叶いました🖤
miyu
2024/09/10
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浜田省吾
私が中学校2年のある日夜中に勉強と称してラジオを聞いていました。
当時私には片想いの同級生Kくんがいて(実らなかった)、勉強もそこそこに日記に彼への想いを綴っていた最中でした。
ラジオからMCの方が「それでは次のリクエスト曲で浜田省吾さんの片想いです」と声がして曲が流れたんです。
日記を書きながら曲を聞いて衝撃を受けました。
あぁ、コレは私の気持ちそのものだ!
なんて切なくてステキな曲なんだろう と思いました。
その瞬間が私と浜田省吾さんとの出会いであり、いつか大人になったら浜田省吾さんに会いたいな と思っていました。
あれから43年。
私の青春は浜田省吾さんと共に過ごしてきて、現在は子育ても終わり自由にライブに参加出来る時が来ました。今も浜田省吾さんと人生を歩んでいる気持ちで過ごしていますが、原点であるこの曲は私の思い出と共に大事に思う1曲です。
のり
2024/09/09
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浜田省吾
27歳のときに大好きな人とお別れすることになってしまいました。省吾さんがきっかけでお付き合いが始まり、4年付き合いました。このまま結婚へと思いはじめた頃、家の事情が重なり、どうしてもそれを乗り越えることができず、別れを選択しました。「もう一度やり直せたら」「僕が僕である限り何度やっても同じことの繰り返し」という歌詞に今でも胸が痛みます。
別れて数年後、私は別の人と結婚をし妊娠中で大きなお腹を抱えて省吾さんのコンサート会場へ。アリーナ会場へ続く階段を上りきったとき、彼とばったり出会いました。一瞬目が合いましたが、私は夫と、彼は友人と一緒だったので声をかけずにすれ違いました。
今でもあの時の事を思い出すと胸が痛みます。でも大切な思い出です。
あちべん
2024/09/09
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浜田省吾
当時、高校生の私は「愛の世代の前に」のライブツアーを観に行く予定で楽しみにしてました。ある日、本屋さんでGB最新号が積んでて立ち読みを…するとそのツアー初日のセットリストに沿って事細かにリポートされてました。
見ちゃいけんと思いつつも完読。インタビュー記者が、浜田さんにこの曲が演奏されてなかった事に言及してて浜田さんは「この曲は個人の孤独を歌ったものだからライブで共感するものとは違う」と言われてたのを「へ~、曲が良いからやるってのとは違うんじゃ」と関心したものです。少し前に浜田さんが、この曲をステージで演奏した事が無いのに対して不思議ですよね~、理由がわからないとおっしゃっていたのでそりゃ忘れよねと思いつつ私のあの時の感動を返してくれと心の中で叫びました。
クラッチヒッター
2024/09/09
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
30年前経つかと思いますが、寮生活していて、先輩から借りた浜田省吾さんのこのCD、この曲を何回も聴いてました。詩も曲も自分に重ねたりしてლ(´ ❥ `ლ)