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浜田省吾
キキーッ!(ブレーキの音) カチャッ(自転車が家の前に止まる)カタン。。。(ポストの音)
あ、また来た、、、。
ポストの中には角ばった白い封筒。宛名はなく、裏には
<浜田省吾大好き少年>のいつもの文字。
差出人は姉の先輩。私は彼の顔も知らない。知っているのはあの音と筆跡、ポストの前の横顔。走り去る後ろ姿。
封筒の中にはカセットテープが一本。
彼は浜田省吾が好きすぎて、いろんな人にラジオ音源を録音しては配っていたらしい。ダビングができるたびにわが家のポストに投函していたのだ。
その光景は先輩が卒業するまで何度も繰り返された。
お姉ちゃん、何あれ。
ああ、こないだレコード貸してくれた先輩よ。この人ね、まだあまり有名じゃないけど、すごい人なのよ。コンサートはめちゃくちゃ盛り上がるらしいよ。
まだ幼く初恋も知らない私は思春期の入り口に立とうとしていた時期だった。
あのカセットテープに入っていた曲のなかで、思い出すのは青春のヴィジョン。
まだ青春には早すぎるけれど、浜田省吾の歌詞の世界とメロディーにどんどん引き込まれていった。
まさか彼は顔も知らない後輩の妹が<浜田省吾大好き少女>になり、生涯聞き続けていることを知らないだろうな。
NoelRoad
2024/09/01
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浜田省吾
小学校の教員として勤めています。1年生の担任になり、音楽を通して子供たちとの関係を築こうと考えておりました。昔の曲をたくさん聴かせたいと考え、大好きな浜田省吾さんの曲も沢山かけていました。その中でもラストショーは子供たちと私を繋いだ曲です。この曲は頭から「さよなら〜」で始まります。帰りの会が終わったあと、OfficialYouTubeのラストショーの映像を見ながらイントロで踊り、「さよなら〜」に合わせて教室を出ていくというのを1年生から、そして、翌年も担任になり2年生の修了式の日まで続けました。
修了式の日が、私がその学校を異動してしまうため、子供たちと会える最後の日でしたが、この曲のおかげで寂しい感じのお別れではなく笑顔でお別れをすることができました。思い出の曲です。
虎
2024/09/01
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浜田省吾
私は、反抗期真っ只中の15の時に、友達のお兄ちゃんから借りた色褪せたカセットテープの中のこの曲を聴いて稲妻が走りました。
そこからは、この曲だけのカセットテープを作り、何度も何度も聴いてギターを始めました。
最初は勿論、姉のバドミントンのラケットでエアギターからはじめました。
高校受験の後、楽器屋のショーウィンドウに飾ってあったギターを見てから帰りました。
やがて高校に入学し、アルバイトをしてから白のエレキギターを買いました。楽譜も買いました。
部活も勉強も恋愛も中途半端だった私に彩りを与えてくれた曲です。
どれも上手くいかなかった青春時代、挫けそうになった時に支えてくれた曲です。なぜ、あの頃あんなに社会や親にイライラしていたのか、今でも分からないですけどね…
むぎの父
2024/09/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
出会いは突然やって来た。
歳の離れた人と恋愛をした。
部屋の中では何故かいつもこの曲を聴いていた事を思い出す。
今でもこの曲が流れると思い出すかな。
今、あの人はどうしているんだろ…元気でいるのかな。
別れて何年になるだろう…
幸せであると願いたい。
浜田省吾のLIVEでラストダンスが流れたら涙も流れて一緒に歌ってる。
♪もう一度踊っておくれこのままで〜もう一度口づけおくれこのままで〜♪
浜田省吾ありがとう♪