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浜田省吾

浜田省吾

1952年生まれ、広島県出身。

1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。

デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。

代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。

現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。

Shared Episodes

みんなのエピソード

(1348件)
  • 赤ちゃんが大好きで、助産師になった私。
    結婚後すぐに待望の妊娠が判明。
    「やったー!」って喜んだのもつかの間…稽留流産でした。
    その後間もなくして2回目の妊娠が判明。
    でもまたもや同じ結果(稽留流産)に…。
    1回ならまだしも2回も続くとは。
    そんな私は、単純に結果だけを求め不妊治療を始めました。
    なんで?私が?流産?2回も?なんで!?
    いつもそんな感情が私の心を支配し、気持ちの焦りとストレスから、夫とはささいなことで喧嘩が絶えなくなり、悶々とすさんだ日々を送っていました。
    完全に私が悪いのに、夫には素直になれなくて気持ちを伝えられず…。
    でも心の中では、良心の呵責に苛まれ、こんなことでいいの?私は何のためにこの人と結婚したの?こどもを生むためだけじゃないよね?こどもがいない人生でもいいじゃん…
    そんな気持ちになってきていました。
    ちょうどその頃、この「日はまた昇る」という曲がリリースされました。
    初めて聞いた時はあまりにも自分の思いとリンクしすぎていて、号泣したことを今でもはっきり覚えています。
    「どういう道を歩いていったとしても、私は私の人生を楽しむしかない。最後にちゃんと笑えるように」
    夫と笑って過ごしていこう。完全に吹っ切れました。
    私の人生において、いつも浜田さんがこんな風に並走して励ましてくれました。これまでも、きっとこれからも。
    私にとっては奇跡以外の何物でもないのですが、この曲がリリースされて1週間後、3回目の妊娠が判明…。
    そして先日娘は25歳になりました。
    今では一緒に浜田さんのライブに参加しています。
    ライブでこの曲を聞くと、26年前のあの時の感情が思い出されます。
    夫と娘とともに人生を楽しんでいます。

    kei 2024/08/29
  • 2022年、自分が21歳の時の思い出の曲です。
    都内の大学3年生で、学祭実行委員会で総務局長として一年間活動していました。
    当時はまだ大学からのコロナ関係の行動制限は厳しく、対面で仲間と会うことが中々出来ない状態でした。学祭も一応対面開催方向だけど、決定は夏頃という状態で、自分の2022年がスタートしました。

    素敵な新入生の迎え入れ、出展団体や役所とのやり取り、大学との開催概要や施設関連の調整など多くのやり取りがあります。
    そのために、メンバーに動いてもらって成果を出してもらって、着々と準備が進んでいきます。

    目標に向かって共に頑張りつつ、その時間を分かち合って楽しむのがサークルの醍醐味なのに、今まで当たり前だった対面で話したり遊んだりできないのは何と悲しいことかと気付かされました。
    仲間とコミュニケーションを毎日とっていても、暖かいやりとりがあっても、大体はリモートなので、どこか孤独や寂しさを感じながら作業していた記憶があります。

    そして、対面開催が決定してからも、コロナでルールは変わって過去のは参考にならないし、誰も対面開催を経験したことないわで、全てが未知な状態でした。
    ここでふと浮かんだ考えが、しばらく頭から離れなくなったのです。
    "方向性と枠組みを各所と調整してメンバーに示して動いてもらってるけど、ホントにこれで開催できるのか?"

    ずっと付き纏っていました。
    仲間に頼って相談して作り上げた枠組みだからこそ心配はそこまでしてなかったけど、責任は自分が取る必要があるという点で不安でした。
    多くの人を振り回して来たのに、どこかで不備があったら、もしくはコロナが再拡大して機会そのものを失ったら、、言い換えれば、取れない責任を密かに抱えているという点で不安でした。

    そんな道中、9月11日に高崎で浜田さんのライブがありました。
    後半で歌ってくださった"この新しい朝に"には以下の歌詞があります。
    "辿り着くまで涙は見せない、大丈夫、大丈夫、大丈夫だからって"
    大丈夫!とメンバーに言ってる分、誰かにそう思わせて欲しかった自分は、堪えきれずに泣いてしまいました。
    同時に励まされて元気になれました。
    ここまで来たら後はやるだけ!方向性を示せるのが自分なら、大丈夫なようにすれば良い!

    そして準備は進み、10月下旬に開催されました。
    目まぐるしくて大変だったけど、無事に終えることができました。
    そして片付けの日の朝、キャンパスのビルとビルの隙間から見えた雲ひとつない青空とそこから覗く太陽は、人生で一番綺麗で今でも忘れられません。ただひたすら圧倒されていました。
    もうひとつ、行動制限が緩和された後にやった打ち上げで、メンバーに会えて、みんなの笑顔を見ることができて、本当に走って良かったな、走るって楽しいなと思うことができました。

    "この長い坂道の向こうに広がる世界はまだ見えてはこないけど、長い坂道の上に広がる空は 高く 蒼く深く 強く凛と輝いている"
    この言葉は自分にとって大切な言葉です。

    はぶらし 2024/08/28
  • 6月生まれだからなのか、雨が似合う花、紫陽花の花が大好きです
    この歌が発売される以前に、この歌詞のような恋愛をしていました
    省吾さんの歌詞のようなことを彼も想ってくれていたのかな?そうだといいなと、この歌を聞くと思います
    「水平線に頬杖つく君の愛しい横顔♪」省吾さんのやさしい歌声に全身の力が抜けます

    まきリンゴ 2024/08/28
  • 浜田省吾

    彼がこの部屋を出て行った後も 必ず朝はやって来た。
    幸いなことに 雨は降らなかった。
    毎朝降り注ぐ眩しい程の太陽が 少し前向きに考える私を作り出そうとしていた。
    部屋には7年間に少しずつ揃えていった生活の跡がある。
    今後 彼が必要とするもの
    私がどうしても手放したくないもの
    そういったひとつひとつを 具体的に彼と話し合う必要がある。
    気づくと 心とは裏腹に「離婚」という事をいつしか納得してしまったような私が
    その為にしなくてはならない現実的で 厄介な問題に取り組もうとしていた。
    今までにも 彼が家を空けるたび “戻って来て”とよく泣いた。
    だけど 今回ばかりは もうそれは起こらない気がしていた。

    もし 離婚という事になれば
    彼は時々 子供達に会いに来るのだろうか。
     ― 子供にとっての父親 ―
     ― 彼にとっての子供 ―
    そんなことを それぞれの立場と想いを複雑な気持ちで絡ませながらシミュレーションしている私がいた。

     
    彼がこの部屋を出て1週間が過ぎた朝 小さな小さな蜘蛛が天井から糸の先にぶら下がっていた。
    そして 懸命に上へと糸を手繰り寄せては降り また 忙し気に手繰り寄せては降りる事を繰り返していた。
    私は蜘蛛が大の苦手だったが この時ばかりは “朝蜘蛛は殺すものではない”という昔からの言い伝えに 一縷の望みを繋げた。 
    もしかしたら奇跡が起こるかもしれない。
    彼が戻って来るかもしれない。
    もう既に 食べ物が喉を通らなくなって1週間が過ぎていた。
    心が身体を支配して 食べ物が喉を通るのを拒ませるのか
    身体が心を支配して 通らないのか分からない。
    ただ そこに“我慢”と言うものが存在しないせいか
    ちっとも苦痛ではなかった。

    突然 電話のベルが鳴った。
    直観的に 彼からだと分かった。
    随分待っていたような でも 出るのが怖いような気分だった。
    恐る恐る手にした受話器の向こうからは 彼の懐かしい声がした。
    「もしもし・・・ 俺   元気?」
    「うん」
    「今夜 用があって近くまで行くから寄ってもいいかなぁ」
    「うん」
    「何か ちゃんと食べてんのか?」
    「・・・」
    「何か 食べたいものは?」
    「何も・・・」
    「とにかく 用が済んだら寄るから」
    それだけ言うと 電話は切れた。

    どのくらい時間が経過しただろう。
    心待ちにしている私と どんな展開になるのか不安な私とが交錯し
    早く会いたいような このまま来ないで欲しいような 形容し難い時間が身体中に覆い被さっていた。
    また 子供は 全てを察しているかのように 深い眠りに入っていてくれた。
    玄関の方で足音がした。
    こういう事態になる前 そうしてきたように 彼はいつも通り 子供の眠りを妨げないようインターフォンは押さずに 自分で鍵を開け 1週間前まで帰って来ていた家へ入って来た。
    急にそわそわし始め、部屋の中をうろうろしていた私は その瞬間 突っ立ったまま こわばった顔と目で精一杯微笑んだ。
    彼もなるべく普通を装おうとしているのが分かった。
    動作のひとつひとつがぎこちなく ニアミスを起こしそうな程の狭い部屋で
    お互い定位置の椅子に座った。
    子供と私を残して出て行った あの日以来だった。
    でも 初めて出会った二人というほどの白紙状態でもなく
    過去を消しゴムで消そうとしたけど 綺麗に消しきれなかった しわくちゃの紙のような二人が 今 ここに居ると感じた。

    「お前の好きな寿司を買ってきた。一つでもいい。口に入れろ」
    ぶっきら棒だったが“お前の好きな”という言い方に涙が反応してしまった。
    たった1週間会わなかっただけなのだから “私の好みを覚えていてくれた”と
    大袈裟に感動するようなことじゃないのだけど・・・。
    ただ 彼の心の中に 消し忘れの断片として くだらない一つでも私の事が存在していた事が嬉しかった。

    「本当に悪いと思っている。
     謝って済む事じゃないことも よく分かっている。だけど・・・」
    「謝らなくてもいいよ」
    「どうして そこまで優しい・・・」

    優しさじゃないのは 私自身が一番よく分かっていた。
    彼の気持ちは 私の元には全く残っていない事を感覚的に でも はっきりと理解していたから 自分自身を辛うじて保つための自己防衛だった。

    こんな時でさえ 冷静になろうとする自分がイヤだった。
    彼を許さず 憎み続け 責める事が出来たなら
    こんなに遠回りをしなくて済んだのかもしれない。
     ― 君のその寂しさ救えるのは もう僕じゃない ―
    そうなのだ。
    彼の心は他の場所にある。
    ただ “子供はかわいい”と言った。
    特に“は”を強調したわけではない その言い方は
    返って どうにもならない所まで来ている事を裏付けていた。
    それでも戻って来て欲しかった。
    たとえ それが子供の為だけであったとしても・・・。
    彼の中に この生活を続けようという気持ちがほんの少しでも残っているのなら
    彼女に伝えてあげて欲しいと願った。
     ― 君のその寂しさ救えるのは もう僕じゃない ―

    そして また 私は自己嫌悪に陥った。

    Smile 2024/08/28
  • 浜田省吾

    それは 突然私の耳にやってきた
    夫婦で経営していた店で流していたラジオ
    その日常の一瞬に!

    (19のままさ)1986秋リリースのアルバム
    Jboyの中の一曲だった

    イントロも切ない 青春のもどかしさを切々と唄いあげるこの声 どうしようもなく惹かれてしまう
    雷に打たれたように私の耳に 心に刺さってしまった!

    私の知らない予備校という空間から始まる恋 ラジオ だけど映像だけは広がってゆく
    二人の心の隙間が少しづつ広がってゆき
    やり直せない青い時間
    今でもずっと心の中に光続けている大切な思い出、、、

    わかる!わかるような気がする!
    いや、わかりたい!

    何日かして再びラジオからこの曲がかかってとっさに夫婦で歌詞をメモって、、
    飛び飛びの拙いメモ。

    この歌詞のメモを、大学生のお客様に見せてたどり着いた浜田省吾さん!
    そして曲名〜19のままさ〜
    バンザーイ!ここから私の人生のテーマ?『浜田省吾さん探しの旅』がはじまった

    今のようにスマホも、パソコンもない時代
    ましてや彼のファンなんで探すあてもなく
    古いレコード屋さんで、LPやSPを見つけ出しひとつ一つピースを集めファンクラブに入ったのはもっと後

    恥ずかしくて、おこがましくて、、でも何とかしてライブで生省吾さんに会いたくて!
    省吾さんと曲たちは私にとって生きてゆくエネルギー源であり続けます

    幾多の困難と、挫折と、幸せを経験した今
    いつ終わるとしても、私の棺には新しく買い直したお気に入りのアルバム『青空の扉』を頼んであります

    あのジャケットの様な青空の上の上の方に飛び立って行けるように残りの時間を
    省吾さんの曲と共に生きて行く

    主人と共に参加した、旅がてらのライブの事や、ファンクラブを通じて知り合った人達との濃密な時間
     (19のままさ)から始まったミラクルな時間 たくさんの宝物をありがとう〜
    ずっと省吾さんと、その曲たちと共に並走してゆくよ💗

    シマオカマサヨ 2024/08/28
  • 浜田省吾

    江田島出身で現在関東の大学に通う大学生です!
    母が省吾さんと同じ小学校に通っていたらしく、その影響もあり、幼い頃から車ではハマショーの曲が流れていました。
    月日は流れ2024年一月。大学生となった僕は幸運にもチケットが当たり1人コンサートに参戦しました。そこでオープニングに流れる『初恋』を耳にし、省吾さんの持つ故郷への思いを自分と重ねとても感慨深くなったのを覚えています。

    はまのすけ 2024/08/28
  • 浜田省吾

    幼い頃、実家では自営業を営み
    両親は毎日、忙しく働いていた。
    特に父は朝の4時過ぎに起き市場へ仕込みに出かけ
    午前中に仕入れた品物を店へ入れ
    一旦自宅へ戻り昼食を摂り、再度、店へ出て
    夜まで販売。
    そんな父を支える母も午前中に家事をこなした後
    午後からは店に出て両親共に本当に忙しく
    働いていた。
    まだ「過労死」という言葉もなかった時代
    結局、父は45歳で突然死してしまったのだが
    末っ子の私が父の歳を越したのは
    最近のようでもあり、だいぶ前のようにも
    感じられる。
    この歌を聴くと父が懸命に働いていた姿を
    思い出さずにはいられない。

    上の姉や兄はそれぞれ家庭を持ってる。
    独身のものもいれば、我が家では
    夫と二人で家庭を営んでいる。
    様々な家族の形がある。

    時々ふと考える事がある。
    父が私達のそれぞれの家族を見たら
    何を思うのだろうかと…

    姉の夫と姉と2人の子供
    兄と兄の妻と2人の子供
    ひとりで実家を守る姉
    そしてウチの夫と私

    皆、父みたいな過酷な働き方ではないけど
    日々仕事をし日常を過ごしている。
    家族や自分のために汗を流し
    懸命に働いている。
    スーパーマンでもヒーローでも
    チャンピオンでもリーダーでも
    ロックスターでもムービースターでもないけれど
    家族を思い懸命に仕事をし日々の幸せを願う思いは
    皆それぞれ、父にも負けない強い気持ちであろう。

    らんちゃん 2024/08/28
  • 浜田省吾

    28歳の男です。父の影響で浜田省吾さんを好きになりました。父は若い頃からファンですが、最近の浜田省吾さんのライブなどは参加していませんでした。そんな中、私の話やライブ映像などを見てまた行きたいとずっと言っていました。
    先日延期になった有明アリーナのライブで父も当選し親子で参加しました。父は42年ぶりの浜田省吾さんのライブ参加です!
    そんな中ツアーで歌われた19のままさは、父が大好きな曲です。若い頃に聞いた曲を42年後、変わらない声で生で聴けたことに本当に感動していました。
    誰もがいつでも19の頃を思い出すことができるこの曲が親子揃って大好きです!

    やーまん 2024/08/27
  • 浜田省吾

    28歳の男です。昨年プロポーズをして結婚をしたのですがその時に渡した手紙にこの曲の歌詞を入れました。
    「君がいなきゃたとえすべて手にしても うつろで孤独な日々が続くだけさ ねえ1番大事なもの気づいたから」このフレーズを手紙の中に入れて渡しました。
    結婚する前二人でライブに参加した際にも聴いた思い出の曲でもあり、ずっと忘れられない大切な曲です。
    また、先日挙げた結婚式でも沢山、浜田省吾さんの曲を使わさせていただきました!

    やーまん 2024/08/27
  • 2022ホールツアー当選の知らせを受け、その4日後ガンの告知。そして1週間後ガンの検査で思いもよらない心臓内に腫瘍が見つかり、人工心肺装置装着で手術、退院。翌月ガンの手術。その退院19日後コンサート会場にわたしはいました。
    そしてコンサートの1曲目が大好きな♪光と影の季節。
    泣くよね。号泣するよね。生きてるよね、わたし。
    不本意ながら半分以上着席して聴きました。またそれも良し。
    高齢者と呼ばれるようになったけど、まだまだコンサート行きますよ♪
    2022夏から秋にかけてのわたしの光と影のお話。

    北の大地のみさ 2024/08/27
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