-
高卒でデパートに入社した春、社員寮で同室になった
I先輩。先輩は大きなステレオを持っていて「私のレコードどれでも好きなの聞いていいよ」と言ってくれました。自宅ではほとんどクラシックしか聞かなかった私は、ジャケットが一番きれいものを選びました。それが「ON THE ROAD」のLPでした。一曲目の「壁に向かて」から感じたことのない衝撃を受け、すぐに魅了され最後の「ON THE ROAD」で涙が出てきました。
省吾さんのライブ中での語りもとても感動しました。
その後すぐに少ない給料からウォークマンと「オンザロード」のカセットテープも買いました。
どこへ行くのにも持ち歩くようになりました。
あの日からずっと省吾さんのファンです。
60歳になった今もON THE ROADや色々な曲が頭の中では繰り返し流れています。退屈な電車、バス通勤もあっという間です。
省吾さんに出会わせてくれたI先輩と省吾さんに毎日感謝です。
全ての曲がとても大好きです。
総司
2024/08/17
-
アルバムの1曲目に流れてきた時、思わず涙が溢れてきました。
この曲は、まだ私が赤ちゃんの頃に父親が子守唄代わりに流していた曲だったんです。
父親は、とにかく洋楽大好き人間で沢山のレコードを持っていました。
その中で、この曲を選んで私に聴かせていたようです。
私が初めて発した言葉は「パパ」でもなく「ママ」でもなく「ビーマー」だったそうです(笑)。
そんな父親の血を受け継いで私も洋楽大好き人間となりました。
悲しい事に私が小学生の時に両親は離婚してしまい私は母親に引き取られました。
ガチのパパッ子だったので散々「パパの方に行く」と泣いたそうですが、それは叶えられず…大人の事情だったのでしょう。
父親が持っていたレコードは全て私が引き継ぎました。
今でも、たまに出してきては古いR&BやCountryなんかを聴いています。
まさか自分の子守唄を浜田さんが歌ってくれるなんて…感動しかありませんでした。
できれば父親と聴きたかった…。
この曲は楽しい思い出と共に父親と引き裂かれた悲しい思い出でもあります。
Ronettesのレコードを久々に引っ張り出してきて聴いてます。
八百鼡
2024/08/17
-
彼女は年が離れた同僚…
許されない人を愛してしまった後ろめたさと好きな気持ちとが交差した日々の中、ふっと彼女の幸せを考えだした時でした。
休みには転勤先の遠い道のりを高速で通ってきていた彼女。いつも仕事に追われて休みも出勤していた中、彼女の笑顔にいっぱい励まされて癒されました。
帰る時はまた来た高速を走って帰っているそんな彼女を考えていた時、ガーステレオからこの詩が聴こえてきました。
シュチュエーションは違うのですが彼女も悩みながら帰り途で涙を流していないか心配で、事故なんかしないか心配でたまらなかた。
彼女を幸せに出来ていない自分を酷く責めていました。
今でもこの詩を聴くとあの時の自分の気持ちと二人で過ごした日々が想い出されます。
ふと夕暮れの高速を走っている時は口ずさんで彼女を想って居る自分がいました。
あるから二十数年、時々この詩を聴いてあの頃の自分の不甲斐なさを思う今日この頃です。
「青の時間」心に響く一曲です。
Kokun
2024/08/17
-
13歳の時に初めて「愛の世代の前に」を聞いたときに稲妻が身体の中を駆け抜けた。その後仲間とバンドを組み「終わりなき疾走」が始まり、17の時、初めて本当の「愛しい人へ」の思いを知り、20歳の時にその彼女との辛い「ラストショー」を迎える。20代前半は「MONEY」と「J・BOY」に刺激を受け社会と戦い、27歳の時に「星の指輪」に出会い共に歩み始めることができた。
30代は「I am a Father」として駆け抜け、40代は人生の「家路」にたどり着く事をも追い求め、そして現在53歳。
今も変わらず浜田省吾というアーティストに「初恋」したままの人生を送ってます。
そして、これからの人生もずっと「君が人生の時」であり続けることでしょう。
浜田省吾という最高のアーティストと同じ時代を生きられたことに、心から感謝の人生です。
アキラ先輩
2024/08/17
-
この曲を初めて聴いたのは時任三郎さんでした😊良い曲だなぁと思いふと作曲等確認したら何と浜田省吾さんでした😎今ではほぼ毎日聴いております😊
シンイチ
2024/08/17
-
もう何年になるんかな
ラジオ小僧だった学校から帰ると
音楽番組を聴き演歌でも洋楽でも
全ての楽曲を
ガッチャンと録音ある日勉強している最中
DJの声が聞き取れず〜と はっぴいえんどの
風をあつめて…
2曲続けてどうぞ!曲名もアーチストも
分からない前者の
楽曲がとても爽やかで
歌詞も覚え毎日口ずさんだそれから時は流れ19歳
レコード店で ん?
浜田省吾か?
CMで流れてたなぁ黒いパッケージを手にとった
Slow Downというタイトル帰宅して早速に
ラジカセで聴いた
1曲目…ふたりの夏ええええっ!
おおおおっ!
うわぁぁぁぁ!
なんと言うことだぁ毎日口ずさんでいた
あのタイトルも分からない
楽曲が流れて来たではないかうおおおおおっ!
浜田省吾の楽曲やったんだ
(後で愛奴当時の楽曲と知る)それからと言うもの
省吾サン沼に
引き摺り込まれたのは
言うまでもない丁度…省吾サンと10歳違い
″ふたりの夏″との出会いから
50年位になるんかな?♫ 月は君の瞳の中で
小舟のように揺れてた半世紀の時を超え
今も省吾サンに夢中な
還暦過ぎた親父である
𝐦𝐚𝐬𝐚 ❝
2024/08/17
-
ブルーAudiのひと
2015年 9月 横須賀芸術劇場 生まれて初めて 浜田省吾さんのコンサートに参加した…当時大好きだった男性と一緒に。
省吾さんの圧倒的な存在感と、会場の一体感に魅了されながら、トキメく男性が隣にいて幸せな時間だった。
バラードがつづき 美しい映像と省吾さんの声に酔いしれ 曲にあわせたわたしのステップが小さくなる。
「美しい一夜」のイントロが流れると、大好きなその男性は 私の腰に手をまわした。
曲にあわせてゆっくり 左右にゆれる身体…彼の手は 自然に私の腰を引き寄せる。
前を向いているけれど 心で見つめあい 魔法にかかったわたし…。
時間が止まればいいのに…心の底から思った瞬間だった。
今でもあの時の素敵な情景 会場の空気感を 忘れられない…
その人はもう 隣にいないけれど。
花火
2024/08/17
-
あと数か月で還暦を迎える。
50代の10年間、半分の5年間は良くないことが多かった。
50歳に入って(意見が)合わない上司からの嫌がらせ。
事前に一言もなく、いちから開拓、育て上げた友好的な担当顧客を引きはがされた。
最後には、追い出されるように他の部署への異動。
又、いちから仕事をスタートさせる日々。思ったように上手く行かずの日々。そんな日々、光の糸の「残された僅かな時間の中で 焦らないで緩まないで生きる」
この言葉が、日々崩れそうになる気持ちを支えてくれた。
「自分らしく仕事が出来ない。早く以前の様に戻りたい。新しい部署で成果を出したい」と焦る気持ちを。
「まあいいや、あと何年かで定年。適当に仕事こなして、60歳で退職金もらってさっさとリタイアしよう。それまでの我慢」という緩んだ後ろ向きな気持ちを。「つないだ小さな手の温もりを 闘う勇気に変えて」
当時小学生低学年の、隣で寝る息子の手を握り、何度も何度も、しぼんだ自分の心に空気を入れこんだ。数年後、このの歌のおかげで、以前の様に、いや、それ以上に日々自分らしく過ごす事が出来るようになり、思い描いた以上の成果も手にすることが出来た。
この歌があったから、(50代の)この10年をやってくることが出来た。晴れの気持ちで還暦を迎えることが出来る。この先、前に行くことが出来る。
感謝。
ペンとパン
2024/08/17
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
高校2年生の時に、組んでた バンドで
マイホームタウンを、コピー演奏してました!
37年前に、自分達で演奏して、年月が たった今 浜省の ファンクラブに入って 改めて コンサートホールで 聞いた時❗️
もう!もう!鳥肌がたちました!