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小学一年生の頃、浜田さんの音楽に傾倒していた両親のもと、渚園のライブ映像収録のビデオテープを家族みんなでみて、感動していた記憶が強く残っています。これが僕の浜田さんを知るきっかけでした。小学生ながら、他の子はアイドルに夢中になっていたが、僕は浜田省吾というミュージシャンに子供ながら戦隊もののヒーローのように強い憧れの存在として映っていたと思います。中でも愛のかけひきの夕日のステージでカントリーシャツにアダマスオベーションギターで歌う浜田さんがとてもカッコよくて衝撃的で、小学一年の少年が、浜田さんを真似て、バンダナ巻いて、サングラスして父親のアコギを持って、浜田さんと同じようにテレビに向かって歌っていました。
あれから30年という何月が経ちましたが、今の自分もギターを弾いて曲を作り歌っています。自分の原点である浜田省吾の愛の駆け引きは音楽を好きになったきっかけであり、僕にとっての初恋ですね。
石田智也
2024/08/06
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私は今、51歳
省吾を知ったのは高校生の文化祭
友達の彼氏がバンドで省吾の曲を歌いました〜
徐々に引き込まれ
初めてのLiveは19歳、横浜アリーナ
たまたまマルイのチケットぴぁで立ち見席があり迷わず購入‼️
都会に出て初めて行ったLive
大きな会場・そして周りが大人だらけ
ピンヒールにミニスカート
途中でヒール👠も脱ぎ捨てて省吾の魅力にハマりました。
その頃省吾は40代
えっ〜浜省結構歳じゃんなんて思ってた〜
20歳も歳上の男性の魅力にハマるとは思ってもいませんでしたが
今でもばっちり追いかけてます‼️田舎へ戻り、結婚し離婚し
たくさん辛い時も必ず省吾の曲がわたの中にありました。この曲の歌詞で
泣いていいのに 泣けばいいのに 頑張らずに
愛せるのに 愛せばいいのに 自分のこと何回もこの歌詞にうんうんとうなずきながら
他にもたくさんあります
なのでまた投稿します。最後に省吾と呼び捨てしてすみません!
いーちゃん
2024/08/06
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20代前半、友だちとカラオケに行った時に
「片想い」を初めて聴きました。
誰の曲?とてもいい歌!
友だちに聞いたら「浜省の曲だよ」
その頃の私は、洋楽ばかり聴いていたので
浜田省吾さんの曲はちゃんと聴いたことが
ありませんでした。
それから、早速、レコード店に直行し
片想いが入っていた「Sand Castle」を
購入。家に帰って1曲目の「君に会うまでは」
のイントロが流れたとたんに雷に打たれた
感覚になりました!
声、曲、詞、すべてが一度に私の身体に
染み渡り、このsingerに出会うのを待っていたのだと、気付かされたのです。
それから今日まで、省吾さんとともに
私の恋愛も仕事も人生も。
いつも省吾さんの歌が傍にあります。
私の身体の一部。歌ってくれた友だちとはいろいろあって疎遠になってしまいましたが、省吾さんと出会わせて
くれたことに心から感謝しています。
もしも偶然出会ったら、今なら感謝の気持ちを伝えられるかもしれません。
あの時「片想い」歌ってくれてありがとうと。
青空チャペ🐱
2024/08/06
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「晩夏の鐘」を聴くたびに、私は必ず思い出す風景があります。大学生だったあの頃、金沢からふらりと出かけた仲間との旅。その旅の中で目にした、車窓から広がる神戸の夜景です。
ある日のこと、午前中の講義を終えて友人たちと何気なく過ごしていると、「今から倉敷までドライブしようか」という突拍子もない提案が飛び出しました。0泊2日の無謀な計画にもかかわらず、若さゆえの勢いで、私たちは迷うことなく車を走らせました。
道中、姫路城に立ち寄り、倉敷では地元の人々と和やかに記念撮影を楽しむなど、旅は予想以上に充実したものでした。そんな帰り道、夕方から夜へと移り変わる時間に、神戸の街並みが車窓に広がり始めました。マンションの窓が次々と灯り、いつの間にか美しい夜景が目の前に広がっていました。
その時、カーステレオから「晩夏の鐘」が流れ始めました。静かなメロディーと共に、私はその夜景に心を奪われました。窓の灯り一つ一つに、そこで暮らす人々の物語が息づいているかのように感じられました。その想像を友人たちと分かち合うと、私たちは次々に即興で物語を作り上げ、車内は笑い声で溢れました。
今でも「晩夏の鐘」を聴くと、あの無邪気で冒険心に満ちた倉敷へのドライブと、心に深く刻まれた神戸の夜景が鮮やかに蘇ります。そして、あの瞬間にもう一度戻れるなら、もう一度あの旅をしてみたい、そう心から思うのです。
かずくん
2024/08/06
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
大学を卒業後、長男でありながら父親を好きになれず実家の和菓子屋を捨て、会社勤めで一人前になると決意し、28歳で初めて部下をもつようになり、10年後には管理職として100名の部下を指導するまでになり、先々には経営を担うポジションまで期待が持てる!と過ぎっていた矢先、実家の和菓子屋が父親の怠慢により4千万円近い負債を抱え、保証人であった自分に銀行より督促状まで届くようになりました。
実家を処分しても2千万近い負債が残り、その金額を捻出するには退職金で補填するしかありませんでした。父親が嫌いで家を出て自分の力でそれなりのものを築いたにも関わらず、父親に足元掬われ仕事もお金も全てなくした絶望感と父親への憎しみを抱いていた時に、省吾さんの「日はまた昇る」が心に刺さり、
「荒野にひとり君は立ってる、行く道は幾つもある
だけどたどりつくべき場所はきっとただひとつだけ」
「どの道を歩いて行こうと君は君のその人生を
受け入れて楽しむ他ない 最高には笑えるように」
この歌詞を聴いた途端に号泣してしまい、その後
気持ちを切り替え前に進むことができました。
故郷である長野を離れ、横浜に移り住み一から人脈をつくり今では仕事もプライベートも充実して過ごしています。他にも数々の省吾さんの曲に励まされ共感を覚え元気をもらっています!