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この曲が収録されたアルバムが発売された翌年当時の妻と別れました。
同じ街に住んでいるので「もしいつか街角で出逢えたら初めからやり直せるかい」の歌詞の様にばったり出逢えたらやり直す事は無いけど「やあ!元気だったかい」と声掛けをしたかったけどそれは叶うことはありませんでした。なぜなら彼女は自分と別れた3年後に病気で他界してしまったから。自分と人生を歩んでいたならまた違う結果になていんじゃないかと思うと切ない気持ちになりました。
この曲を聴くとそんな彼女を思い出します。
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2024/08/04
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J.BOYが発売された20代前半 悶々とした日々を過ごしていた。自分としている仕事と希望した仕事の乖離に。同期入社が笑いながら自分を追い越してゆく。差は開くばかり。そして好きになった女性には振られ、振り向いてもらえず。何もかも上手くいかなかった。
そんな時出会ったのが「思い出のファイヤー・ストーム」の「答えなどないのさ 悲しむことはない すべては移ろい消えてゆく」 こんな考え方もあるんだな。いつも正面突破で問題解決をしようとしていた自分にとっては、少し物足りなく、しかしながら新鮮な視点だった。
その後、考え抜いても答えが出ないような時は「答えなどないのさ悲しむことはない すべては移ろい消えてゆく」この言葉を思い出し、つぶやいた。少し心が軽くなったような気がした。後でこのこの言葉が仏教の教え言葉だとしった。
この言葉が劇的に自分を救ってくれたわけでないが、果てしなく落ち込みそうな時、心を軽くしてくれた。
今もマイナスな事があると、この詩を思い出す。
J.BOYのアルバムの中で 少し隠れた立ち位置の曲だけで
自分いとっては、J.BOY・八月の歌など同じくらい影響を受けた大事な曲です。
ペンとパン
2024/08/04
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私が浜田省吾さんの曲に出会ったのは高校1年生の時でした。
その時何気なく聴いていたラジオから流れてきたのが片想いという曲でした。
その当時私はバス通学で朝のバスは超満員でした。
その中でいつしか熱い視線を感じるようになりました。
見ると左側からずっと見つめてくる女の子が立っていたのです。
来る日も来る日もずっとその子は居ました。
ただただずっと見つめてくるだけでした。
さすがに私も気になりその子について調べてみると私の弟と同級生ということが分かりました。
そしていつしか私の方からその子のことを探すようになりました。
今日も乗って来てるのかなぁ?みたいに
その後電話番号もゲットしてほんの少しだけどお話しもできた。
そうですいつのまにか片想いしてたのは自分の方だったのです。
電話してる時に片想いが流れてきたときに「その曲嫌い」と言われてしまいました。
それでもう私の恋も終わったと思いもう2度と電話することもあの子が見つめてくることもなくなりました。
あとから弟の友達から聞いた話でずっと見つめていたのは気なる存在だったということでした。
そう思うとわざわざ自分から動かなくてもあっちから来ていてくれたのかな?
なんてもう後の祭りでした。
それからというもの浜田省吾さんの楽曲にどっぷりはまって40年今もまだ浜田省吾さんから離れません。
省吾兄ちゃん
2024/08/04
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思い出の曲は家路です。
21歳で出会った今の妻。妻を初めて連れて行った浜田省吾さんのコンサートは、昭和記念公園でした。もともと体が丈夫でない妻はお薬と共に生きてきた人生。我慢してきたことも人一倍多かったことと思います。
そんな妻は、どんな時でも100%スマイル「笑顔の人でした」。その笑顔に支えられて、夫婦で成長してきたように思います。そして39歳の初夏、妻は心臓血管の病に倒れました。11時間にも及ぶ手術で何とか命を繋いだのですが、妻の顔から笑顔は消えてしまいました。長く続いた入院生活は7ヶ月にもなり、毎日の面会の最後は妻の耳にイヤホンをつけてあげ、浜田さんの「家路」を流してあげる事。そして私も病院の駐車場から車に乗り「家路」かけて帰る日々でした。
退院のめどが立たず、倒れる以前にチケットを用意していた、11月の横浜アリーナのコンサートが近づいた時、「行ってきて!私の分までしっかり聴いてきて!」と背中をおされました。
そしてアンコールで流れた「家路」。疲れ果てていた自分に休みなさいと言ってくれたように感じ、浜田さんの声が身体を包んんでくれました。安堵、悲しみ、痛み、救いの気持ち、湧き上がる力、あらゆるものが体を駆け巡る一曲でした。
あれから7年、少しずついつもの生活を取り戻し、以前のようにはいかないことはあれど、それはそれなりに夫婦2人犬1匹、仲良く幸せな毎日です。
EarlySummer
2024/08/04
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
初めて聞いた時に衝撃受けました。私の心の中では、尾崎豊のILOVEYOUを上回る曲だと思います。