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去って行った彼もそう思っていたのかしら
もう一度やり直したいって…
ある出来事から喧嘩をして、彼からの電話を受け取らなかった私が悪いのだけど、時間が解決すると思っていました。
お互いに若かったからどちらも譲らず、私は彼からの電話をずっと待っていました。
待ちくたびれて、私から彼の家に電話をかけたら(当時は携帯がなく家電でした)お姉さんが出て、「もう家にはいないよ。東京に行って働いてる」と聞かされました。
その後はもう何も考えられず、そのまま時が経ちました。
彼もそうたったのか今は分からないけど、こんなあっけなく終わった恋に、今も心の奥で彼からの電話を待っています。
kyo
2024/08/04
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高校二年の夏休み、予約して購入した。
その頃、ギターを買いたくて、大手カーオーディオメーカーの下請け工事でバイトをしていた。
エアコンもなく、窓を開け放した平屋の工場で、作業着も支給されず、今では考えられない手作業の組み立てや、基板のDIP槽の前で私服をフラックスまみれにして、汗だくで働いてた。
後から入ってきた一個下の別の高校のやつと揉めて、一触即発の状況になったりしながら…。
家に帰ったら、買ったばかりの12インチシングルからダビングしたテープを繰り返し聞いて覚えた。
暑くて、キツくて、ぶっ倒れそうになりながら、ダンスなど踊ったことはなかったが、仕事の間、辛さ、苦しみを一瞬でも忘れられるように、繰り返し頭の中で、歌い、そして踊るのを空想する、そんな白昼夢でも見ているかのように、ひたすらその日の仕事が終わるのを過ごしていた。
ノナミ
2024/08/04
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
私は現在55歳になりますが浜田省吾さんの歌に勇気づけられ今はとても幸せに暮らしています。
私は3歳の時に両親が離婚父親に引き取られましたが12歳の時に今で言う育児放棄にあい新聞配達と学校の給食で食い繋ぎ本当に孤独で不安な少年時代でした
学校にもいけず中学を卒業後すぐに働きはじめましたが世の中の右も左も解らずとにかく食べていくのに必死でした
高校へ進学した地元の友達が学校に行くのを横目にドロドロの作業着を着て工場へ向かい働いて生きていましたが暮らしは変わらず苦しいままでした
moneyは私が17歳の頃に出会いました当時はいつか俺もと漠然と聞いていましたが
大人になって大阪の梅田と言う所でスーツを着た同年代の集団に指を指されて笑われた時にとても惨めな気持ちと同時にこの歌が頭をよぎり本当に悔しかった
学歴の無い自分を雇ってくれる所が無いなら自分で作っててやる
そんな思いで必死にお金を貯めて27歳で事業を始め今は家族もできて豊かに暮らせる様になりました。
このmoneyに限らず浜田省吾さんの歌は私の苦しかった時、楽しかった時にも重なる物が多く書き出せばキリが無いのでかいつまんで書かせて頂きました。
セミリタイアした今は自宅の庭でタバコを吸いなが君と歩いた道などをよく聴いてます。
浜田省吾さん心から有難うございます。
暑い日が続きますがご自愛下さい。