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僕が浜田省吾さんと出会ったのは高校2年の秋の文化祭。彼女と二人でいろんなものを見て回っていた時、何けなく立ち寄った体育館。先輩が奏でていた曲がこの曲。体中に電気が走ったような物凄い衝撃と今の自分を代弁して歌ってくれているようなそんな錯覚にまで陥ったほどでした。その頃まだ何も知らない僕は先輩に頼みこんで、カセットテープにダビングしてもらい四六時中聴いていました。それからと言うものずっとファンで今に至ります。僕にとって浜田省吾さんは学生から社会人なった今でも憧れであり、兄の様な存在です(本当になってくれたら最高ですけどね (笑) )。だから一曲を選んでエピソードを書けと言われても全部にあるので酷な話です。とりあえず出会いについて書いてみました。40年以上経った今でもあの時の事は忘れません。そしてこれからも……。 出会えたことに感謝です。
源二郎信繁
2024/08/04
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物心ついた時にはもう母の車の中では浜田省吾さんが流れてました。部屋中にはたくさんの浜田省吾さんのポスターが貼ってあり、かっこいいなーと見ていた小さい頃を覚えています。一番最初に聞いたのはLOVE HAS NO PRIDEです。
時が経ち、わたしは中学生だった2015年。旅するソングライターのアルバムが発売されその中の一つである、ハッピーバースデーソングが車の中で流れるとなんだか恥ずかしかったのも思い出です。
ゆりか
2024/08/04
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転勤で名古屋に住んでいた頃…
3人目の子供に恵まれ、楽しくも忙しく
初めての土地で毎日、1人で育児をしていました。
夕暮れに、ふと寝つかせた赤ちゃんを抱いて
窓から見た街の景色。その時に、よく聴いていた
「S.O.S」からたまたま流れて来た「青空」
薄暗い部屋と、腕に抱いていた子供、景色…
今でもこの曲を聴くと、懐かしくも切ない気持ち
になります。
♪君はどこから~来たの
瞳の奥に太陽はくぐくみ〜ちなみに、ライブから遠ざかっていた私ですが
当時のレインボーホールの立見をなんとかゲットして、普段忙しい主人に3人を預け、自転車で
ホールまで行ったことも懐かしい思い出しです
ちさびょん
2024/08/04
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出会いは急にやってきて日本で出会った彼と結婚して渡米
ロスに行ってドライブしたとき果てしなく続く道にアメリカの広大さと乾燥した空気、砂漠の色の景色、空の雲、360度の視界に見たことのないとこに連れて行ってもらって感動だった。高校時代から集めた浜田省吾さんのDVDとCDは一箱に詰めてアメリカにもっていった
結婚して11年、彼はまた突然、病で倒れた。私の人生の中に突然現れて突然去ってしまった
二人のささやかな夢を諦め私ひとり日本に帰国
省吾さんのCD1枚だけ持って帰ってきた
10年近くしまっていた一枚のCD..出して聞いてみた
コンサート行ってみようと20年ぶりに行くことができました
elua
2024/08/04
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好き、そして思い入れのある楽曲は数多くありますが、
一つ挙げるとするならば「君の名を呼ぶ」です。
シングルが発売された2001年、当時僕は小学2年生でした。9月に母の誕生日がありプレゼントを買う為にTSUTAYAに行ったところ(僕の地元は沖縄のかなり田舎の方でTSUTAYAに行くのも車で30〜40分以上かかり、月に何回か行くタイミングで母に隠れて買いに行きました)CDコーナーに省吾さんの大きなポスターと共にCDが並べられていて「これだ」と稲妻が駆け抜けた事を鮮明に覚えています。
母がよく車で省吾さん聴いていたので好きな事は知っていました。それにシングルですと確か1,200円くらいだったので、4つ上の兄とお小遣いを出し合えば当時の僕らでも買う事が出来ました。
無事購入し、ラッピングをしてプレゼントを渡して喜んで貰えたのがとても嬉しかったです。
またプレゼントしたCDですが、自分で購入した初めてのCDだったので自分のものように毎日聴いていました。
ですので「君の名を呼ぶ/演奏旅行」は今でも凄く思い入れのある楽曲です。(君の名を呼ぶの歌詞の意味を知るのは大分先の事ですが(笑))またその年の宜野湾での野外コンサートに連れて行って貰ったのをきっかけに当時小学2年生の僕でも衝撃を受けるほど格好良くて一瞬で虜になり、以来沖縄に来てくれた2006年のMY FIRST LOVE、2016年のJourney of a Songwriter、以降社会人になり上京し、ファンクラブに入って全てのツアーに参加しています。
現在サラリーマンをしていますが偉そうな上司に耐えられるのも、そして自分自身偉そうな態度を取らないように意識して後輩に接する事が出来るのも全て省吾さんから学んだからです。
本当にいつもありがとうございます。
yu
2024/08/04
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
文学少年で、本を読む事・文章を書くことが好きで、文章は、それまでノートに雑文を書き連ねたり・ペンフレンドへの手紙などでいつも文書を書いていました。
Baseball kid's Rockを初めて聞いた時 「子供の頃親父と遊んだキャッチボール」この歌詞がトリガーになって、色々な思い思い出が一つの短編小説となって天から落ちて来ました。小説を書こうとも書きたいとも思ったことなかったです、あの時は、本当にこの歌詞が本人の意思とは違うところで勝手に小説を書かせてくれました。小説が降って来た。何も考えなくても、ペンが勝手に物語を書かせてくれたという表現が正しいです。
その後、それを編集した物を、あるきっかけで会社の社内報で3回に分けて掲載されたこと 思い出です。
ただ、一度書き上げたものの、拙い表現・ストーリ展開で満足いかない部分などあり、長年書き直ししたいと思っていました。昨年、とある文学賞への投稿をきっけに、34年ぶりに追加書き直しして 原稿用紙55枚の短編小説を完成させました。応募した文学賞は落選しましたが、長年かかって、やっと本当に完成できたと満足しています。誰もが、人生に一つだけの小説を書くことが出来ると昔聞いたことありますが、その小説、自分の宝物を書かせてくれたのがこの曲です。感謝。