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1982年 はじめて浜田省吾の存在を知った。
中学3年の私は自分の将来など考える余裕などなく、周りからの言うことに従い悶々と生きていた。15歳の私にはそれが当たり前だった。そんなある日、ひまつぶしに駅前の小さなレコード店に入った。特に買いたいレコードもなかったが、友達も知らない自分だけが知っているミュージシャンが見つかればいいなぁと思っていた。そして、店内のレコードジャケットをジャズから演歌まで片っ端から見ていたが感じるレコードはななった。店員さんに申し訳ないと思ったかは記憶にないがかなりの時間店内にいた記憶がある。そして、そんなレコードが見つからず「もういいかぁ」と思いながら手に取ったのが浜田省吾〈PROMISED LAND~約束の地〉だった。「なんだこのジャケット」と感じた。そう、感じたんだ。田島照久氏がデザインした訴えかけるデザインに。家に帰り「この人はどんな歌を歌うんだろう?」と、最初に聞いたのが〈マイホームタウン〉だった。それは衝撃だった。「俺はこの街で生まれ16年教科書をかかえ手にしたのはただの紙切れ」の歌詞に。今の言葉でいうとマジか!だ。人の心情を歌うミュージシャンが大半の中、生き方を歌うミュージシャンが私には新しい存在だったのかもしれない。それからコンサートにも行くようになり、浜田省吾の曲と一緒に、もちろんいろんな事があったが、出会って44年生き抜いている。その中で、とてつもなくありがたく、そして不思議なできごとがあった。私は小説を出版するという夢があった。その夢がかなったときの本のジャケットデザインが・・・・。縁とは不思議なものだと常々感じる。わたしが〈マイホームタウン〉と出逢ったのも単なる「縁」なのかもしれない。でも、その単なる縁を大事にして、本当によかったと、いま思う。
翼ある太陽
2024/08/02
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父が毎日良い学校に行け 勉強しろと言われ続け その度に洋楽 邦楽聴きながら 目の前に高校受験を迎えた私。ある日、父が「最後には笑ええよ 笑えるようにやらんとの」と言われ いつものように「うざいな あっち言って」と父を無視していました。
あれから、父は何も言わず 父娘は冷戦状態でした。私今40になり仕事 結婚 出産 色んなことがあり、私何してるんだろう 逃げたいな でも逃げたら
子供達はどうなるのか と踏みとどまり 乗り越えてきました、そんな時初めて省吾さんの歌に出会い 癒されました。日はまた昇るの最後のフレーズ「最後には笑えるように」ふと 父の言葉がよぎり
みんなが笑顔になるように 人生最後に笑っていられる人生になるなんて 心に思いました。
父は昔気質で早く祖父を戦争でなくし、祖母と二人暮らし どんなに苦労してきたか そんな父がいった言葉は どんな気持ちで私に言ってくれたのか
曲を聴く度に涙が溢れます。
そんな父は認知症になってしまい すっかり言ったことも忘れています。皆が笑顔になるように、笑っていられる人生を歩んでいます。
こめすけ君
2024/08/02
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私には、父が居ませんでした。それでも、どこか離れた所にいるであろう父を思い父の愛情を感じることの出来るとても大切な曲です。3年前に、やっと会えた父は病院で意識不明になっていましたが 話しかける事が出来ました。父は目を閉じたまま涙が……翌朝には息を引き取りましたが、今でもこの歌を聞くと父の愛情を感じることが出来るんです。
よつば
2024/08/02
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結婚して地元を遠く離れ不慣れな土地で馴染めず
子育てと仕事に追われ心身共に疲弊し
過呼吸で病院に何度か運ばれ原因はストレスによるパニック障害と診断された
夜中に過呼吸をしょっちゅう起こし
子供と主人に迷惑をかけれず1人で耐えてる時
この曲に救われた
過呼吸になると呼吸の仕方がわからなくなる
夜中真っ暗な部屋の中でイヤホンをつけこの曲を聞き
口ずさむことで呼吸を整えることが出来るようになった
ふと過呼吸になったりなりかける度に
この曲を口ずさむ事で上手く呼吸が出来ている
パニック障害を起こして15年薬は手放せないけど
未だにこの曲によって呼吸と心を未だに保てている
私の薬は病院の薬はもちろん、この曲も手放せない薬となっている
yonn
2024/08/02
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
私がまだ高校生で、その時付き合っていた3つ年上の彼
眠れむ夜は電話しておくれ
と言う詞に何とこんな優しい人が居るなんて
今思えば彼もバイクに乗って夜中に迎に来てくれたなぁ〜
今は別々の人生ですが、私が初めて行ったコンサートはまさに赤い車のジャケットのレコードでした
今 幸せですか