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佐野元春
フジロック'25の佐野元春ライブサイコーだった!跳んだ!踊った!笑い飛ばしたアレやコレ!
この日のために気力体力経済力満タン&ルサンチマンゼロ(きっと)でWhiteStageに詰めかけたフジロッカー=15000人の大観衆を前に
アルバム『今、何処』きっての私的キラーチューン「大人のくせに」リアル爆音で炸裂した瞬間のキモチ良かったこと!!これが
デビュー45周年
2025年の
佐野元春だ!!!正直つい先日のことなので思い出と呼ぶには全然若すぎるエピソードなので
White Stage2列めドセンポジGETした私から見た景色すべてをこの場で文字起こし披露するのは
後々ぼちぼちでいいかな…今はまだ、ただただ佐野さんがFacebookに発表したコメント
「フジロックーー龍の神と森の精霊」
を何度も何度も読み返して
まだまだ来年の3月まで続く45周年記念ライブツアーが
ぜんぶたのしく大成功する幸せなビジョンを毎日脳内に描いてます。
とか言ってるうちに再来週ライジングサンロックフェス!イキます!
ゆきねこ
2025/08/04
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佐野元春
大学生の頃。
初めて買った中古のバイクで旅をするのが大好きだった。
ずっと片思いだった女性と付き合うことが出来たのもその頃。
ロングツーリングに二人乗りで出かけ、良くあることに途中口も聞かずに大喧嘩。
自宅アパートまで後数時間というところで、夏の夕立が。
大雨の中、意地で止まること無く走り続ける中、背中からサムデイを歌う彼女の声が。
サムデイを聴くと今でも、その時の彼女の優しくて力強い声を思い出します。
もちろん、その後、大学を卒業する頃には見事に振られましたが・・・
今でも彼女は誰かのために優しいサムデイを歌ってるのかも。
HONDA250
2025/07/25
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フリーター時代、クリスマスイヴ仕事で急ぎの届け物でタクシーに乗り込み走り出すと車内のラジオからこの曲が流れて来て感激して泣きそうになった事 忘れません。
マニジュ
2025/07/21
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佐野元春
小さい頃のボクは、ライブ終了後に会場内で流れるこの曲が大好きで、誰も会場内から居なくなるまで階段をピョンピョンしながら歌っていました。
ライブで演奏してほしい!と書いたファンレターを何度も元春に渡し、ライブのセットリストになった時は最高に嬉しい気持ちになったのを今でも覚えています!
もと龍さの
2025/07/21
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佐野元春
今年のフジロック佐野元春さんを観るために人生初の野外フェスに参加します。FC会報インタビュー先行公開ありがとうございます。ハヤブサジェットセカンドに収められる予定曲が挙げられていて、自分が十代から愛聴しているアルバムVISITORSからの曲も入っていて、本当に嬉しいです。
音楽で飯を食うとイキがった時代に別れを告げて、会社勤めを始めて早数十年。今では何処にでもいる「心の十代」となりましたが、年相応に時間的経済的余裕ができるようにもなり、フジロックや45周年コンサートのチケットを購入できる機会に恵まれました。こうして微力ながらお祝いと応援をさせて頂けることを心から幸せに感じます。
佐野元春さんデビュー45周年そしてコヨーテバンド結成20周年まことにおめでとうございます。フジロックでVISITORSからの曲も聴けることを楽しみにしております。
Candy Apple Red Stratocaster
2025/07/18
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この曲のPVは本当に凝っていて、ドラマ仕立ての様でもあり、佐野さんがダンスをしていたり、とにかく当時何度も見返しました。特に佐野さんと女性とのシーンは見たいような見たくないような、複雑な心境でした。
ばーすでい
2025/07/18
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佐野元春
拝啓 佐野元春 様
突然の不躾なお手紙で失礼致します。
30年以上、お伝えできればと思案しておりましたが、この度、45周年全国ツアーが催されることとなり、何とかチケットを手にすることが出来ましたので、これを機会にお送りさせて戴きます。
大した内容ではないので、軽い気持ちで読んでもらえれば幸甚です。
1989年のある日、電話が鳴った。電話の主はただ一人の親友と呼べる友人。「元春のクリスマスコンサートのチケットが4枚取れたから、弟たちと一緒に行こう!」喜び勇んでの電話だ。彼にも僕にも其々4つ下、5つ下の弟がおり、どちらも兄貴の影響で大の元春ファン。僕はこの友人の影響で元春ファンになった。彼は電話の終わりに言った、「でも、俺はちょっと虫歯をこじらせてしまったみたいで、軽い手術を受けなきゃならなくなった。少し入院するけど心配しなくて良いから。」それが、虫歯をこじらせたのではなく、癌であることが僕に知らされるのはそれから約1年後のことだ。
僕らの出会いは1980年の高校入学の日、同じクラスであり、同じバスケ部に入ったことで親交が深めた。当時、僕らのBGMはサザン、ユーミン、達郎、大滝詠一・・・ここに元春が飛び込んできた。当時はまだ、ウォークマンすら普及しておらず、LPを買ってきてカセットに落とし、これをデッキで聞くという時代。LPは高価で、誰かが買うとそれを貸してもらってダビングという時代。彼はすごく良いからと言って、元春を紹介してくれた。
その後、言うまでもなく、元春は僕らのNo.1アーティストとして君臨する。
初めてのライブは1985年のVISITORSツアースペシャル横浜文化体育館。ともに一浪した僕らは当時大学2年。チケットを取るには電話をかけ続けなくてはならない。家のダイヤル回線は繋がりにくいので公衆電話からかけ続ける。やっと繋がったと思ったら完売。そんなことを何回も繰り返した後、やっと取れたのがこれだった。迷うことなく彼に電話をかける。「元春のチケットが取れた!一緒に行こうぜ!」「まじか?!本当に?!」大喜びである。
当時の映像は今でも脳裏に染みついている。3時間半以上、立ちっぱなしの歌いっぱなし。興奮冷めやらぬ終了後、どこかに飲みに行こうかと思ったが適当な店が見つからず、コンビニでハイネケンを買って路上で乾杯した。その時に持ち帰った緑色の空き缶は、就職して家を出るまでカーテンレールの上に飾ってあった。彼は言った「今後、元春のチケットが取れたら、例え彼女ができたとしても俺ら2人で行くと約束しよう!」「OK!約束だ。」
その後も何度もトライするがなかなか取れない。日本青年館に行きたかったが、絶対に取れない。ファンクラブに入ればよかったのだろうが、当時貧乏学生であった僕らには難しい。それでも何とか僕の方で何度か取れて、毎回二人で行ったのだった。彼が初めて取れたのは前述のクリスマスコンサート(中野サンプラザ)だった。
彼は退院することが出来ず、仕方なく、彼の代わりに僕の彼女(後の嫁)が行くことになり、当日を迎えた。コンサートの終盤、“Goodby 80‘s,so don’t look back”と垂れ幕が下がり(ごめんなさい、あまり記憶が定かではないです。)、80年代の終わりを意識した。まさに彼と走った10年間だった。
一度は退院できたが、再度入院となった。回復を信じているが、一向に良くならない。見舞いの帰り、病院の出口まで送ってくれるという彼の弟にエレベーターの中で聞いた。「結局、病名は何なんだ?」「癌ですよ。あともって3ヶ月。」
分かっていた、分かっていたさ。でも、多分、僕の中で完全にそのことを拒絶していた。信じるとか信じないとかではなくて、意識の根底から絶対に治ると思っていたのだ。
その後も何度も見舞いに行った。彼がしきりに家に帰りたがっている。強い痛み止めを使用しているので時々意識が混濁している様だ。彼の弟が少しでも家の部屋にいるようにと、彼の部屋からポスターを剝がしてきて、病室に貼った。アルバムVISITORSの特典の元春のポスター。ニューヨークの橋の前で撮影されたモノクロのポスター。自分の部屋に帰ったと錯覚してくれただろうか?
1990年10月1日、彼は逝ってしまった。僅か25歳。
こんなファンが一人いたことをどうしても伝えたかった。ただ、それだけのことです。
今回の全国ツアーは一般販売に合わせて妻と共にPCとスマホでスタンバって挑戦しましたが、渋谷も市川も前橋も秒で完売。香川や四日市、熊本がまだ残っていたので日程を確認し、熊本を取ることが出来ました。その日のうちに飛行機とホテルも予約。貧乏学生だった時には考えられないことだ。もう、60歳、孫もいる。彼は25歳のままだ。
10月5日(日)熊本城ホールで妻と共にお待ちしております。80年代の曲は全部聞きたいですが、“Shadows of the street”が聞けたらいいなと思っております。今から待ち遠しいです。
この手紙がちゃんと元春の元に届きますように。
敬具
松尾嘉英
2025/07/16
佐野元春
1980年、シングル『アンジェリーナ』でエピック・ソニー(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)よりデビュー。日本のロックにおいて言語・音楽・映像等での先進的かつ革新的な表現を追求。DJ・雑誌編集・パーソナルレーベル(M's Factory)展開等の多岐にわたる活動と併せて常にアグレッシヴな発信を続ける。
1992年発表のアルバム『SWEET16』が第34回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。インターネット時代の到来を予見し、1995年に公式ウェブ・サイトを立ち上げ、1998年には国内初のライヴ有料生配信「地下室からの接続」を開催、現在も先駆的・実験的な活動を展開中。
2004年、独立系レーベル「Daisy Music」を設立。2022年、40年間の活動が評価され第72回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
2025年、デビュー45周年を迎え、3月に自身のクラシックスを新世代に再定義したアルバム『Hayabusa Jet Ⅰ』をリリース。7月からは20周年を迎えたTHE COYOTE BANDと共に全国でアニヴァーサリー・ツアーを行う。
1992年発表のアルバム『SWEET16』が第34回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。インターネット時代の到来を予見し、1995年に公式ウェブ・サイトを立ち上げ、1998年には国内初のライヴ有料生配信「地下室からの接続」を開催、現在も先駆的・実験的な活動を展開中。
2004年、独立系レーベル「Daisy Music」を設立。2022年、40年間の活動が評価され第72回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
2025年、デビュー45周年を迎え、3月に自身のクラシックスを新世代に再定義したアルバム『Hayabusa Jet Ⅰ』をリリース。7月からは20周年を迎えたTHE COYOTE BANDと共に全国でアニヴァーサリー・ツアーを行う。
Shared Episodes
高校生の時、ウォークマンで聴きながら
♪ゆめーをみた さくやのことぉ
ブルーなゆめ バッティッツォーライッ
って口ずさんでたら、親友に
「御経、読んでるの?」
って言われた恥ずかしいエピソードは、
元春のライブに行く報告を親友にする度に
40年近く経った今も、言われます。
親友との間にある、思い出深い一曲です…笑。