この曲に寄せられたエピソード
(55件)-
35年前、私が転勤になった職場で彼と出会いました。
彼は大学生で大学を休学してアルバイトで働いていました。
一目見た瞬間に私は彼を好きになりました。
私なんか相手にされるわけがないと自分に言い聞かせていた、そんな時、彼から食事やドライブに誘われるようになりました。
当時私にはお付き合いをしている人がいました。
彼のことを好きになったのでその方には何度も別れを切り出しましたが、結局別れる事が出来ませんでした。
彼と一緒にいる時間は私にとって本当に幸せな時間でした。
彼の好きなもの全てを私も好きになりました。
彼の好きなスポーツ、彼の好きな場所、彼の好きな曲、彼の好きな浜田省吾さん。
私と浜田省吾さんを結びつけてくれたのは彼でした。
彼と初めてクリスマスに行ったディズニーランド。
ホテルの部屋で「受け取って欲しいこの指輪を〜
受け取って欲しいこの心を〜」と頂いた指輪を今でも大切に持っています。
結局、彼は大学に戻ることになり私は振られてしまいました。
今振り返っても彼との時間が私の人生で1番幸せな時間であったことは間違いありません。
今、娘が当時の私と同じ年になり、あの頃を思い出すと今でも切なくて、悲しくて、苦しくなります。
35年経っても未だにあの時の失恋から立ち直れていないことに気づきました。
もし、来世また、彼に出会えることが出来るなら、今度は自分の気持ちに正直になり、もっともっと沢山の時間を彼と一緒に過ごしたいと心から願っています。
彼がよく歌っていた「もうひとつの土曜日」は私にとって人生最高の瞬間の思い出の曲です。
運命かな
2024/08/03
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大学卒業後彼女は大阪で私は地元に戻り毎週末大阪まで来るまで彼女に会いに行っていました。2年ほどこのような繰り返しの日々が続きある週末今日は彼女に結婚を申し込もうと決意して出かけようとしたら車が故障で動かず「今夜町に出よう友達に借りたオンボロ車で海まで走ろう」じゃないけど兄貴に車を借りて大阪に向かいました。大阪の海沿いの高速道路をもう一つの土曜日を流しながら走り南港の防波堤近くで車を止めて彼女に「ただ傍にいて手をかしてあげよう」的な言葉で結婚してほしいと言って35年達ました。今私の横にいるのがその時の彼女であって今の妻です。妻も私の影響で浜省にドハマリして妻と娘2人、私の4人で大阪城ホールでコンサートがあるときは出かけています。あの時彼女に結婚してほしいと言っていなかったら今の家族は存在していないと思うと本当に大切な思い出の曲です。
にしはん
2024/08/02
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邦楽に全く興味がなく高校卒業まで洋楽しか聴いてこなかった私。
高校卒業して就職した先で出会った先輩が浜田さんの大ファンでした。
当然、私は「浜田省吾」というシンガーソングライターを知るはずもなく・・・。
そんな時、先輩が一枚の紙切れを私にくれました。
そこには詩が書かれていました。
題名は「もうひとつの土曜日」。
誰の詩かも知らされず「読んでごらん」と渡された一枚の紙。
私は休憩時間にその詩を読みました。
そして、ふと気付くと涙が頬をつたっていたんです。
とにかく感動して自分でも何枚も清書したりしました。
そして先輩に「これは誰の詩なの?」と聞くと黙って一枚のアルバムを渡されました。
それが「J・BOY」です。
家に帰って聴いて体中、鳥肌が立ちました。
「えっ?邦楽にもこんな人がいるの?」と驚きと共に何回も何回も聴きました。
それが私が浜田さんのファンになったキッカケです。
先輩には感謝しかありませんでした。
勿論その後は先輩にアルバムを借りて全部聴きました。
もう感動ものです。
・・・と共に今まで洋楽しか聴いてこなかった自分が情けなくなりました。
音楽に国境なんてないのに・・・。
あれから40年近く浜田さんのファンをやっています。
浜田さんの楽曲の中で一番好きな曲は別にありますが「もうひとつの土曜日」は初めて「浜田省吾」を知った大切な曲です!
あの時、先輩に教えてもらわなかったら、きっと今でも浜田さんの事は知らないままだったと思います。
先輩ありがとう!!
貴女のお陰で今や私は浜田さんのオタクです(笑)。
先に詩から入った「もうひとつの土曜日」。
粋な渡し方をしてくれた先輩とは先輩が転職した為に離れてしまいましたが、きっと何処かで今も浜田さんのファンを続けている事でしょう。
いつか何処かの会場で偶然会えたら・・・なんて想像しながら今でも「もうひとつの土曜日」を聴くと先輩と自分が浜田さんのファンになった事を思い出します。
八百鼡
2024/08/02
今から35年くらい前、当時付き合っていた彼女とは、高校時代に付き合い始め、お互いギターで弾き語りを楽しむ趣味を共有し、地元の誰も来ない山の中の隠れた神社の社殿に腰を下ろし、よくギターを弾いていました。
高校卒業と同時に、彼女は地元の看護学校へ、私は神奈川県の大学へ進学、遠距離恋愛の始まりでした。
4年間、週に一回くらい、近くの川沿いにある公衆電話に100円だまを数枚握りしめ、寮生活を送る彼女へ電話し、月一回くらのペースで彼女は、私のオンボロアパートへ通い、一晩過ごして帰るという、そんな日々を過ごしていました。
大学卒業後、私は東京の会社へ就職し、彼女は、地元で看護師として働いていました。
そのころ、18枚目のシングル『LONELY-愛という約束事』が発売され、そのB面に収められていた『もうひとつの土曜日』がすごくよくて、そのEP盤を彼女に贈りました。
そして、「地元へ帰ろう」「彼女のそばにいて、指輪を贈ろう」と心に決め、地元へ戻りました。
「子供の頃、君が夢見てたもの、叶えることなど出来ないかもしれない。ただ、いつも傍にいて、手をかしてあげよう。受け取って欲しい、この指輪を。受け取って欲しい、この心を。」
と、しかし数か月後、私の青春は幕を閉じたのでした。指輪も贈れず、なぜ彼女が去っていたのかもわからず。
あれから35年、こんな話をするなんて思ってもみませんでした。