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路地裏の少年

浜田省吾 / 1999年

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Pickup Episode

一番共感されたエピソード

母が浜田省吾と巡り会ったのは中1の冬。家出に失敗した日の夜、ノイズだらけのトランジスタラジオから聞こえてきた初めて聴く曲に「希望が見えた」そうです。それが浜田省吾さんの「路地裏の少年」。複雑な家庭環境や周りの大人との関係に嫌気がさしていた母にとって唯一分かり合えるかも知れないとの思いだったそうです。大人になり母となって自分のことは後回しが当たり前で、家族の介護と育児と家事で笑顔を封印する日々が続いていても、浜田省吾さんのライブだけはまるで家出をするようにひとりで出掛けていき、満足そうな笑顔で帰宅していたっけ。その母が今は病院のベッドで眠ったままです。私たちはわずかな面会を終える時、母の耳元で母を救ってくれたその曲を流して帰ります。いつかまたきっと、浜田省吾さんのライブから笑顔で戻って来る母を迎えられることを毎日祈っている私たちです。

初恋岬 2024/09/06
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この曲に寄せられたエピソード

(41件)
  • 私が高校生1年の時、今はもうないレコード店から流れてきた曲が路地裏の少年でした、そこはアーケード街だったので音が響いて釘付けになったのを今でも覚えています、ショーケースに省吾さんが真ん中に座っているジャケットが飾ってあり、お店の人にかかっている曲の名前とレコードは飾ってある物だと教えてもらいました、家へ帰ても忘れられないメロディ🎵次の日お小遣いを持って学校をサボって自転車に乗り買いに行ったのを48年たっても覚えています、路地裏の少年をきっかけに浜田省吾さんの作る曲と私の心の宝物の出会い始まった曲です。

    beat&am 2024/08/19
  • 2001年冬、大阪城ホールでのライブ。
    16歳で初めて浜田さんのライブ行き、それからありがたいことに一度も欠かすことなく行くことができていました。
    その日のライブ席はアリーナにぽっかり空間があり、今となってはセンターステージだと判るのですが、その時はなんだこれは??PA席??しかも私の席はセンターステージの枠の一番前。
    こんなところに空間を作るならもっとたくさんのお客様が入れるのにへんなの、まで思っていました。
    やがてライブが始まり、覆われていた黒幕があがりセンターステージに浜田さん、ミュージシャンのみなさまがやってきた時には驚きと興奮でパニックになってしまいました。
    そしてなんと浜田さんが私の目の前にきてひざまづきまではしませんが、ギターを抱えて歌ってくれたのです。
    2000年に離婚をし、いろいろと揉め落ち着くまで約1年かかりました。
    あぁ、この1年くじけずに頑張ってきてよかった。きっと神様がくれたご褒美なのかもしれないと涙したことを覚えています。
    その時は思考回路が吹っ飛んでうろ覚えにはなりますが、その時の曲が路地裏の少年だったのではないかと思います。
    あれから23年経ちますがあの時の光景は今でも目に焼き付いて心が熱くなります。奇跡が舞い降りた瞬間だったと思います。

    ユウコ 2024/08/18
  • 19才の時、一浪して九州から横浜の大学に入学。
    当時の大学キャンパスには学生運動の看板もまだ残っていて、ニュースでしか見たことがなかったものがまだ続いているのかと改めて認識。
    学生時代は貧乏学生だったので部屋は風呂なし共同トイレでエアコンもない6畳間の下宿に住んでいました。
    ちょうど「路地裏の少年」の18才の歌詞と同じように、居酒屋のバイトで横浜から帰る頃は午前2時過ぎるもとも、
    狭い部屋では友達と音楽を聴いたり麻雀したり、今となっては楽しい思い出も多く残っています。
    学業がおろそかにならない範囲で、バイトをなるべく多くやってお金を稼ぎ、そしてそれで遊びや欲しいものを買ったり。
    稼いだお金で浜省のコンサートへ行ったりもしました、チケットを取るために電話予約をしまくった覚えもあります。
    そして無事に卒業して就職。その後は結婚や子供も2人授かり、家族のために仕事に追われる日々が続いて三十数年が経ちました。
    会社生活も来年で一区切りの定年退職、そして継続雇用で4・5年くらい続けようと思っています。
    学生時代、「MONEY」を聞いて、友達に俺たちは「純白のメルセデスとプール付きのマンション」を買えるようになろうと冗談をいったりしていましたが、
    今ではなんとかベンツも買える年収をもらい、比較的大きめの家も構えたのでそれなりに実現できたのではと自負しております。
    この先どうなるかは予想できませんがこのまま何事もなく穏やかな老後を送れればそれなりに幸せな人生と思えるのでは・・・

    工場長 2024/08/14
  • あれはどこに行った帰りだったか、いつも兄の車の後部座席に座る私が助手席に座って高速を走っていた時、ラジオからこの曲が流れてきました。懐かしくて思わず歌い出した私を6歳年上の兄が意外そうに見ていたのを思い出します。長い間聞いてなかったので途切れ途切れ最後まで歌い切って気分が高揚したのを思い出します。

    なの 2024/08/13
  • 今から38年前の大学生(二十歳)の頃、一般教養の「哲学」の授業を選択していた。

    しかし、3回生への進級に苦労していた俺は、他の単位取得を優先しなければならない状況から、一度も授業に出席できていなかった。

    そして、いざ期末の単位試験の日、教授からは、「今日初めて私の顔を見る学生もいると思いますが、そういう人は、まず単位を取れないと思ってください」の一言。

    記述試験は2問。1問目は、まったく分からない哲学論。そして2問目は「あなたにとって、哲学とは」でした。

    半分諦めかけた俺は、意を決して、”路地裏の少年”の2番の歌詞を答案用紙に綴っていった。「アルバイト、電車で横浜まで」を「広島まで」に変えて。

    答案作成中、俺の後ろにずっと教授が立っていて、非常に書きづらかったが、そんな事に構ってられないと夢中で書き綴った。

    結果、”可”だったけど単位をもらえ、無事進級できました。
    省吾さまさまの懐かしい思い出です。

    中務裕文 2024/08/12
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