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20歳の頃、夢を追いかけていた僕は東京へ上京するか否かで悩んでいた。倦怠期に入っていた当時の彼女と離別れるか否かも絡んでいたのだけれど、「約束されたはずの場所」を信じて東京行きを決意した。その後、彼女は一度僕に会いに東京に来てくれたが、別々の人生を歩むことに…
数年後、今度は僕が彼女を訪ねたが、それ以来彼女とは合っていない。もう30年以上前の話になる。
Ritchie Pinefield
2024/08/01
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50歳前半の私。
姉と私は大ファンです!こんな夜は〜浜省好きすぎて姉は子供に字は違えども名前一文字入れました。私は子供達にライブ時はどんどん行ってきて!と暇をもらってます
りか
2024/08/01
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高校時代、柔道部の親友に浜省をすすめ、見事にハマり、いつも二人で聞いていました。NHKホールのライブに初めて行った時は感動で、時間を忘れて居酒屋で語りあったのを覚えています。
お互い就職して少し疎遠になった頃、職場に電話があり「俺、癌で余命3ケ月って言われたよ」と。
早退して病院に行くと髪の毛のない奴が。
その後も度々見舞いに行く中、何か出来ないかと思いついたのが少し後に開催される昭和記念公園での浜田省吾ライブ。
もう一度、あいつと。もしかして治るかも。
運営サイトにメールを入れてお情け頂戴(ズルしてでも)するも、見事落選。
僅かな希望は、会場外で溢れてくる音を聞こうと。残念ながら、その日まで持ちませんでした。
結局、一人で車道に車を停めて、やつを偲びながら音を聞いていました。〜投げ出し、逝ったあいつ〜 号泣でした。
今はカミさんを連れて、ライブ行っています。
馬場剛
2024/08/01
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24年前、私の父は癌で亡くなりました。地方公務員で誰からも愛され頼られる人でした。当時37歳だった私には決して超えられない大きな存在。消防士となり41年走り続け、61歳になった私、父に似てきたはず、同じ歳になったのですから。父の闘病生活を思い出すと同時に私がやるべき道筋を示してくれた、妻も好きな浜田省吾の1曲です。感謝!
H.Imada
2024/08/01
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昔、開発していたシステムでテストデータを入れる必要があった。
何気なく、省吾の歌詞をデータに打ち込み検索テストをしていた。全てローマ字で。
片想い、DARKNESS IN THE HEART など様々な曲を。納品時、消さないとダメなのにそのまま残して納品してしまった。
客先の女の子が使用する時に、でたらめの文字だと思ってたら省吾の曲の歌詞だと気が付いた。
彼女も省吾のファンだった。客先から電話。
ダミーデータ消してないよと。
クレームだと謝ろうとしたら、彼女が「省吾のファン?」
って聞いてきた。
そこから省吾の話しで盛り上がり、付き合うことに。いい思い出です。
くらさん
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
初めて浜省のカセットテープをバイト先の女性の車から流れていた。当時高校2年生。めっちゃ衝撃受けました。それ以来浜省のファンです。