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3歳の頃の冬、父の車の中でラジオが流れており、いろいろな音楽が流れる中、ある歌が流れておりラジオ番組で唯一この曲だけが耳に残っておりました。それが、MIDNIGHT FLIGHT ひとりぼっちのクリスマス•イブでした。
歌詞の意味も分からないのになぜか、この歌を聴き入っていました。歌ってる人が誰か知りたくなり、父にこの歌歌ってる人誰?と聞きました。浜田省吾さんだよ。っと教えてくれました。
必ず覚えておこうとその時思っていました。
月日が過ぎて、わたしは17歳になり、彼氏がいて、私と同年代の人には分からないだろうなと思い、その時は省吾さんのことは、誰にも伝えず自分自身も忘れておりました。
ある日彼氏が職場の上司男性なんだけど私を紹介したいんだよ。っと言われ、その上司の方と会いました。
上司の方は車の窓をあけて、手を振っておりその人の車に近づきました。
すると、何か聞き覚えのある歌が流れており、小さい頃に聞いた、誰だったっけ?一瞬あたまが真っ白になり、気づいたら上司の方に、気づいたら喋りかけてました。
「今流れている曲は、、、。まさか。」
「浜田省吾さんだよっ」っと言われて嬉し過ぎて、なんで流れてるんですか?と聞きました。
アルバム持ってるよ!っと言われて、ファンがいるんだ!っと感動してました。
数週間が過ぎて、私はその時の彼氏とうまくいっておらず、その男性の方に、相談しており友人のような中になっていました。
ある日私はもう別れた方がいいのかな、とどうすればいいか分からないとき、海にその上司の方が、気晴らしに連れて行ってくれました。
私は海を見た時、いま悩んでることがなんでこんなことで悩んでるんだろ?と思う自分がいました。
別れよう!と決心がつきました。
そして別れをつげた後数日たち、そのときは男性のことが気なっておりました。それが恋だったなんて思いませんでした。その男性の方と連絡を頻繁にするようになり、浜田省吾さんのアルバムを貸してもらい、知らない曲も覚えていきました。
ある夜男性の方が、会いに行くといわれ、ドライブかなと思い車に乗った後なかなか走り出さないのでどうしたのかなと思ってたら、俺についてこんか?っと言われ、私のことがずっと気になっていた、元カレとのことを聞いていたら、なんで私を泣かせることをするのか許せなかったと言われました。
だから俺についてきて欲しい。と言われて私は嬉しくてその方とお付き合いしました。その時流れてたのは初秋のアルバムの君の名を呼ぶが流れていました。
人生で忘れることができない最高の恋愛です。
その方に出会っていなければ、浜田省吾さんのことを全て知りませんでした。
みさき
2024/08/01
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初めて、浜田さんに出会ったのが、海の中道海浜公園の野外ライブでした。
1曲目のこの曲を聴いていよいよ始まるコンサートに興奮しました。
かずや
2024/08/01
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初めて行ったコンサートが、友人Hに誘われたFATHER'S SON ツアーだった。
楽曲や演出の素晴らしさからもっと浜田省吾というアーティストについて知りたくなり、直ぐにファンクラブに入会した。
それまでのアルバムから現在まで全てを聴いてきた。
今から20年前のある日、自分にも息子ができた。
手の大きな赤ちゃんで、きっと器用な子になるなんて親バカを発症していた。
その僅か1週間後に届いた知らせに、俺はその場に座り込み動けなくなった。
浜省に導いてくれた友人Hが仕事中に倒れ帰らぬ人になったと。
ショック過ぎて涙も出なかった。
Hとは幼稚園からの友人で高校まで一緒だった。
Hは、就職で他県へ行ったが休みの度にお互い行き来していたから、いて当たり前の感覚だった。
葬儀の時、冷たくなった彼の頬に触れた時に初めて涙が溢れた。
逝ってしまったことが恐る恐る触れた指先に伝わって来てしまったから。
Hには、一男一女の二人の子供がいる。
自分にも四人の男の子を授かった。
子供達もみな大きくなった。
長男は今年ハタチになった。
あの時の大きな手の赤ちゃんだ。
彼は、遠くの大学に通い、眩しい時間を過ごしている。
ふと、思う。親友と呼べる友はいるのかな?
頭に浮かぶのは、I am a FATHER。
そして、FATHER'S SON。
鏡を見て親父に似てきたな、なんて思ってくれているだろうか。
Hの子供達は、今も父親の温もりを覚えているだろうか。
そうか、20年も経ったんだな。
Hと一緒にザリガニを獲ってた夏休みが懐かしい。
久しぶりにHに会いに行こうかな。
オープンカーでFATHER'S SONを聴きながら。
加藤美成
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
我が家にはにゃんこがいたが、2021年の春、19歳になる前に寿命が尽きて虹の橋を渡った。
子どものいない私にとって、一人娘のように大事な存在だった可愛いにゃんこがいなくなり、私は途方に暮れた。
そんな時、省吾さんの新曲が配信され、それが「この新しい朝に」だった。
来る日も来る日もこの曲を聴いては癒され、慰められ、そして少しずつ心が元気になっていった。
省吾さんの作る曲は力強く前向きで、そして本当に優しい。
今もこの曲は私にとって応援歌です。