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初めての失恋、、、まだまだ青臭い中学2年生の頃、生意気にも付き合ってる人がいて自分勝手に盛り上がっていた。その女性からすれば僕はまだ子供で、多分だが落ち着きの無さなどに嫌気がさしていたんだろう。ある日呼び出され見事にフラレる。そして年上の男性といい感じの仲だと聞き、思い足取りで家路につき、自宅の自分の部屋。その前から浜田省吾のファンでもあり「こういう時、浜田省吾ならどう慰めてくれるだろう、、、」と取り出したアルバム「SandCastle」何気なく暗い気持ちで聞き流していたのですが、最初のアコースティックギターのフレーズに耳を奪われよく聴いてみる。「丘の上に住む誰かの〜」当時の僕は手の届かない敵わない年上の男性イコール「丘の上に住む誰か」等と連想付けて涙が止まりませんでした。いまだにカラオケや、弾き語りなんかで「丘の上の愛」を歌う時は感情が入って泣き出しそうになってしまいます。薄っぺらいエピソードですが「懐かしいなぁ」なんて時々思い出したりしています。
井上忍
2024/08/01
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1999年7月24日(土)北海道キロロリゾートでの野外コンサート。
当時31歳の私は、初めての野外コンサートにワクワクしていました。しかし裏腹に、前日の天候不順。ステージセットも崩れるのではないかというくらいの強風。
スタッフ・メンバーの搭乗した飛行機がハイジャックにあい、一歩間違えればコンサートが出来ない状況であった。
そして犠牲となった長島機長。MCで浜田さんが「このステージができるのは命を懸けて職務を全うした長島機長のおかげです」
「みんなで1分間の黙祷を捧げたいと思います」黙祷の後に流れた「青の時間」
一生心に残る曲として今も私の心に刻まれています。
ちょうど夕日が沈む頃と相まって、思い出深い曲となりました。ちょうど私はこの頃色々なことがあって「離婚」を考えていて人生の分岐点に立っている状況でした。
その時に元気をもらおうと参加したコンサート、そして流れた「青の時間」。
今もその時の映像が脳裏に約付いています。色々な思いが交錯する中、翌年(2000年)に新たな人生を踏み出しました。
人生の良い時も悪い時も、いつもそばには浜田さんの曲がありました。
どれだけ励まされたことか。
「日はまた昇る」の歌詞のように「自分は自分の人生を受け入れて楽しむほかない」「最後には笑えるように」この曲も私の人生の応援歌としていつも聞いています。
たけし
2024/08/01
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1964年生まれの僕が浜省のファンになったのは高校2年の頃から...広島の夏はカラッとしてかなりの暑さ。夏の大会を目前に控えた真昼の野球部の寮で球友の持っていたカセットテープを勝手に再生しました。何曲か入ってた中のその時の再生ボタンを押したその時の流れて来た曲が『いつかもうすぐ』でした。何故か出足から耳に心地良い。球友が部屋に戻って来るまで何回も何回も聴き続けました。
僕の性格ははまるとしつこいとこがありまして練習中や家に帰ってからも頭ん中に曲が流れ続けどうしようもなくなり球友に頼みダビングしてもらった思い出があります。
詩は男女の別れですがその日その時の僕の味わった空間は悲しみではなく嬉しさで満ち溢れてました。
あのカセットテープとの出会いがあったからこそ今、ファンのひとりになれてるんだと思いすごく感激してます。
あんきな
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
初めてこの曲を聞いた時、前奏聞いただけで涙が溢れて来たのを覚えてます!多分、その時の自分の心情が多感な時だったからでしょう!若かったゆえにですね〜