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浜田省吾
今から35年くらい前、当時付き合っていた彼女とは、高校時代に付き合い始め、お互いギターで弾き語りを楽しむ趣味を共有し、地元の誰も来ない山の中の隠れた神社の社殿に腰を下ろし、よくギターを弾いていました。
高校卒業と同時に、彼女は地元の看護学校へ、私は神奈川県の大学へ進学、遠距離恋愛の始まりでした。
4年間、週に一回くらい、近くの川沿いにある公衆電話に100円だまを数枚握りしめ、寮生活を送る彼女へ電話し、月一回くらのペースで彼女は、私のオンボロアパートへ通い、一晩過ごして帰るという、そんな日々を過ごしていました。
大学卒業後、私は東京の会社へ就職し、彼女は、地元で看護師として働いていました。
そのころ、18枚目のシングル『LONELY-愛という約束事』が発売され、そのB面に収められていた『もうひとつの土曜日』がすごくよくて、そのEP盤を彼女に贈りました。
そして、「地元へ帰ろう」「彼女のそばにいて、指輪を贈ろう」と心に決め、地元へ戻りました。
「子供の頃、君が夢見てたもの、叶えることなど出来ないかもしれない。ただ、いつも傍にいて、手をかしてあげよう。受け取って欲しい、この指輪を。受け取って欲しい、この心を。」
と、しかし数か月後、私の青春は幕を閉じたのでした。指輪も贈れず、なぜ彼女が去っていたのかもわからず。
あれから35年、こんな話をするなんて思ってもみませんでした。
Lemon
2024/09/04
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浜田省吾
1987年高校3年の夏、親に叱られ家出をした。当時行きつけの喫茶店があり、バイトしていた1歳年上の先輩に片思いしていました。友達の家だと親や学校にバレてしまう、帰りたくないと訳を話すと先輩は知り合いの部屋に連れて行ってくれました。そこには男の人二人が共同生活をしていてしばらく先輩も一緒に過ごしてくれました。しかし、先輩には彼女がいたことを部屋人の一人、仁君から聞き、その時初めて「この歌、いい歌だから聞いてみて。」と渡されたのが❬J.BOY❭のカセットテープに収録されていた「もう一つの土曜日」でした。部屋人のYさんとG君は私に気を遣いたまに帰ってくるが、ほとんどの日を仕事や遊びで家に帰らず、私は毎日一人でこのカセットテープを何度も何度も聞いていました。初めて聞いた時、浜省の声に体に衝撃か走りました。何て素敵な声なんだと。何度も聴いているうちに収録されている全ての歌に惹かれました。せつなそうに歌う声や語りかける声、詞もメロディも心地よく寂しかった心が軽くなりました。親に見つかったら連れ戻されると隠れて生活をしていた私に浜省の歌だけが心の拠り所でした。顔も知らない浜省の声に惚れ、唄い方に惚れいつしか大ファンになっていました。その頃G君の家に女がいると話を聞いて信じられなくてG君の友達のT
君が酔っ払って訪ねて来ました。ロフトにいた私は下から見上げてる透君のキラキラした瞳に「星の王子様」と思いました。あれから30年以上経ちましたが今でもあの時のT君の事は鮮明に記憶しています。それからT君はチョコチョコ遊びに来ました。一緒にファミコンゲームをやったり食事に連れていってくれたり、私は寂しくなくなりました。T君から「ここにいると二人に迷惑がかかる。俺の家に来れば俺しかいないから、俺のところに来ないか?」と言われました。当時まだ17歳、家出してから2ヶ月が経っていました。私は優しくしてくれT君に惹かれ始めていました。それからT君との同棲が始まりました。その時にT君が「浜省好きなんでしょっ。」とアルバムのカセットテープ2個くれました。それからまた毎日が浜省の曲で過ごしていました。18歳の誕生日をT君と迎え12月になり、彼は「NYに半年間行くがどうする?」と聞かれ、高校3年生で進路も決まっていた私に「高校だけは卒業したほ方がよい。」と家に帰るよう言われました。私に家に帰る勇気をくれ私は家に帰りました。NYに行く前までは何度か会ったりしていましたがしばらくしてNYへ行ってしまいました。国際電話で何回か連絡は取り合っていましたがその後、音信不通になりました。出会った時から「俺は日本は好きじゃない。将来はNYで暮らすんだ」と話していた彼。私と出会う前から一年の半年は日本で仕事して残りの半年はNYで暮らしていた彼。大好きだったT君との同棲は私の青春の一部でした。❬もう一つの土曜日❭から始まり❬AMERICA❭❬Midnight flight❭と当時を思い出す歌で私の青春そのものです。
Nanami
2024/09/04
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浜田省吾
社会人になったばかりの当時、よくみんなと遊びに行っていた大好きな先輩が結婚すると知り、凹んでいた私を、励ましてくれた同級生がいました。ある日、その同級生から「もう、忘れちゃえよ。俺でいいじゃん」と言われて…
あの時、目が腫れるほど泣いて泣いて過ごしました。この曲を聞くと当時を思い出し、ほのかに胸がキュッとなります。
テンプレどおりの話で申し訳ないけど、数年後、その同級生と結婚し家庭を持ちました。
昨年、成人した子どもとライブに行きました。この名曲が、今の私たち家族の出発点です。浜省の優しさが溢れていて、心から癒されます。
こんな話、恥ずかしくて子どもたちには言えない…
かときち
2024/09/04
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浜田省吾
「浜田省吾さんの片想い聴いて」と
当時、片想いだった9歳年上の彼に言われたのがきっかけです。彼は私と出会う前に付き合っていた女性と別れる時に自殺未遂をされてしまいました。
彼女は一命を取り留めたものの、彼の負った傷は非常に深い深いものでした。
その経緯を話しながら「私を傷つけたくないし自分も傷つきたくない」と・・・
私は彼の雪解けを待とうと寄り添う事にしました。私は父を9歳で亡くした事もあり
姉夫婦と母と同居をしていました。
そんな時、私の姉が子供も夫も捨て失踪をしてしまいました。
姉がいなくなって母も兄も探し求め、それでも見つからない。
家族崩壊の状態でした。そんな事を何も知らない彼は、いつものように電話をかけてきました。
リビングにあった電話。そばにいる義兄。私は彼に状況を話す事もできず、泣きながら「もうやだ」と・・・
彼は私の言葉を誤解し連絡が途絶えました。数ヶ月が経ち姉が家に戻ってきました。
数ヶ月の間は、彼の事を案ずるよりも姉の事で精一杯でした。家族の事が落ち着いた後に、彼に公衆電話から連絡し姉の状況を話しました。
しかし、彼には「嘘をつくなら、もう少し上手い嘘をつけ」と信じてもらう事ができませんでした。何十年か経ち、長い長い手紙を彼に書き、嘘をついた事がないと言ったら嘘になるけれど、あなたには嘘はつきませんと送りました。
その手紙で、やっと私の言っている事を信じてもらう事ができました。でも、その頃には、私も彼も別の人がそばにいました。
結婚した今でも彼の事を忘れた事はなく片想い中です。
好きな人を心に浮かべる意味の浜田省吾さんの片想いを聴きながら、姿を心でイメージしています。
私の片想いは片念いの方が合ってるかもしれませんね。浜田省吾さんのファンになって
素敵な曲に何度も勇気づけられました。
これからも色々なストーリーの曲を楽しみにしています。
どんぴー
2024/09/04
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浜田省吾
初めて行ったコンサートが浜省の渚園のコンサート。一つ上の先輩が浜省のファンクラブの会員で、チケットが2枚余っているからと譲ってくれた。
当時22才の私は、男性とお付き合いしたことがなく、勿論デートにも誘ったこともなかった。
高校の同級生に誘われ、彼女の会社のサークルで、本栖湖に遊びに行った時、Nさんに会った。とても知的で、落ち着いた雰囲気のある方で、好感を持った。Kも私がNさんに好意を持っていることはお見通しで、連絡先を教えてくれた。Nさんは会社の寮に入っていて、当時はスマホはなく、寮に電話をかけて、Nさんを呼び出してもらうので、とても勇気が必要だった。
私の同期が、「勇気を出してアタック」と応援してくれた。そんな時、先輩から浜省のチケットを手に入れた。手に入れた2枚のチケット、人生一大決心でNさんをコンサートに誘った。やはりNさんは、素敵な人だった。行き帰りの大渋滞、混雑した電車でもエスコートしてくれた。
その後、2回目の一大決心で告白したが、あえなく撃沈。彼は、デートに誘うような女の子は好みではなかった。私の一大決心はなんだったのだろうと思いながら、涙をのんだ。
あれから36年。ふと、Nさんの夢を見た。しかもNさんから告白される夢。私の願望だったが。浜省の「悲しみは雪のように」を耳にすると、あの頃を思い出す。
きみこ
2024/09/03
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
試験の勉強中は、気合を入れるためいつもラジカセで「君が人生の時」をテープをかけて勉強していました。寮生活だったためこの曲が部屋から漏れ出ると「くらちゃん本気出してるな」と言われたものでした。