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妻の乳がん発覚から1年後、今度は8歳の長男に脳腫瘍が見つかった。「この人生が何処へ俺を導くのか尋ねてみる」「手に入れた形あるもの やがて失うのに 人はそれを夢と名付け迷いの中さまよう」自分の言い知れぬ不安と、やっと手に入れた家族を失うかも知れない怖さに怯えていた自分に、「どんなに遠くてもたどり着いてみせる」と覚悟を決めさせてくれた。何度も浮き沈みを繰り替えす自分の心を、聴く度に奮いたたせてもらった。12歳で長男は旅立ってしまい、心に埋まることのない空白を抱えた 今もこれからも、「石のような孤独を道連れに 空とこの道出会う場所へ」精一杯歩いていくために、寄り添ってくれるような曲です。
ノモトタカ
2024/08/25
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17歳の頃、隣の県に住む彼女と遠(中)距離恋愛をしていました。月に一度会えれば良い状況で、文通が主。今のように携帯電話なんてなく、家電に電話すると彼女の父親が出てアタフタすることも。週に一度届く彼女からの手紙が待ち遠しくて自宅のポストを何度も確認していました。本当に好きでした。高校を卒業、受験、彼女は進学し、私は浪人生活に。彼女は学生生活を謳歌、私は予備校に通う真逆な環境。彼女はサークルで知り合った先輩と恋に落ちました。失恋。同時期に私が他県に引っ越したこともあり連絡は途絶えました。それから二十数年が過ぎた或る日の夜、彼女の友人から電話。名前を頼りに分厚い電話帳を調べたとの事。友人は、彼女があの時酷い別れ方をした事をずっと胸に生きてきて謝りたいと。お互い結婚もし、子供もあり、平和な生活をしてる…何を今更。でも、嬉しかった。そして、生きていてくれてありがとうと思いました。日時と場所を決め(よく行った公園の駅)再開。お互い良い歳になったねと話す内に、その笑い方、その仕草…「俺、未だこの人が好きや」気づいてしまいました。17歳の頃から二人とも浜田さんのファンで、当時はカセットテープにバラード集なんかを録音したり。別れてからもお互い浜田さんの楽曲に支えられながら生活していたようでした。そして、又、始まり…再会から20年、今もお互いの家庭を大切にし、浜田さんのツアーがある度に二人で参加、時々安否確認(笑)でラインをする仲です。「あれから二人」今でも聴く度に涙があふれてきます。
ヤクシ
2024/08/25
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父は浜田省吾さんがとても好きで、どこかへ行く時は車の中で必ず流れていました。その影響で私も浜田省吾さんが好きになりました。
1994年当時6歳で、父が運転する車の中でこの曲がよく流れていました。
カセットテープのA面からB面に変えるタイミング、この曲を聴いていた時に見ていた景色、父の運転する姿を今でも覚えています。私が中学生になった時に、父は癌で他界しました。
父が他界した後はこの曲を始めとする、全ての浜田省吾さんの曲を聴くことが出来なくなりました。私も大人になり、ふと実家に帰った時に屋根裏部屋にしまってあった古いラジカセとカセットテープを引っ張り出しました。
実家の屋根裏部屋に今でも大切に残されていたカセットテープ。そのカセットテープの表紙に父の字で書かれていた「浜田省吾」という字。ラジカセから当時よく聴いていた「こんな気持ちのまま」が流れてきました。
その瞬間に父の思い出が一気に蘇り、涙がとまらなくなりました。
中学生だった私にとって、大好きな父との別れが受け入れられず、父の好きだったものまで距離を置いていました。この曲を聴いた瞬間、そんな私を許してくれるかのように目の裏に優しい父が映っていました。そんな私も結婚をし、子どもに恵まれました。
36歳になった今、6歳の子どもとの車移動の際は「こんな気持ちのまま」が流れています。
当時父が私に聴かせてくれていたように、今度は私が子どもの記憶に残るように、大切にこの曲を聴いています。音楽は一瞬で当時に戻れる素敵なツール。
この曲を教えてくれた父に、そして浜田省吾さんに感謝いたします。
みっちー
2024/08/25
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高校生の時、浜省の横浜スタジアムライブのチケットを友達と電話かけまくって必死にとってやっと手に入れた席は舞台向かって左側のスタンド最上席。あまりの高さ、席の急斜面にびっくり。立ち上がるのも怖いと思うほど。でもめちゃくちゃ興奮してた。そして開演して最初にかかったのが忘れもしない「壁にむかって」 最上席からだと省吾様はめちゃ小さくて、でも私たち皆嬉しくてね…席の高さをもろともせず興奮してました。舞台を飛び回る省吾様と共に大声張り上げていた。ライブに行ったメンバー6人とは疎遠になってますが、壁にむかってを聞くとあの興奮と楽しかった時間をいつも思い出します。
ちい
2024/08/25
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子供が幼い頃、私の両親に預けて夫婦でライブに行かせてもらいました。ライブが終わって主人は家へ私は実家へ帰りました。
子供達は沢山遊んでもらってよく眠ってました。遅い時間になったのですが母と妹は起きてくれていてライブの話しなどを聞いてくれました。普段は子供がいるのでゆっくり話せなかったので昔に戻ったように楽しい時間を過ごせました。その時のライブで聴いた曲が青空のゆくえでした。省吾さんのライブは何度か行かせてもらい両親と妹に子供を見てもらって有り難かったです。母にはもっと親孝行をしたかったけど2年前に病気で亡くなりました。もっと話したかったのにとても寂しいですが今までしてもらった事を大切な思い出として頑張って生きていきたいと思います。
みかんちゃん
2024/08/24
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
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愛する男性の女性への深い想いと、優しさ感じられる曲だと思います。