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4度目の教員採用試験で合格することができ、念願の教員になることができた。
しかし配属先は養護学校。障がいのある子どもたちを前に、何もできず、ただ感情にまかせて怒鳴りつける日々。そして子どもたちのこわばった表情。
描いた夢と 叶った夢が まるで違うのに…。
定年を迎える頃になってやっと、あの時はどうすれば良かったかなんて思えるようになったが、もう、やり直しはできない現実と向き合う日々。
HAYAKAWA
2024/08/21
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彼女に出会ったのは13歳になる年の春
コロコロとよく笑うかわいい子
私たちはすぐ友人になり、中学高校の6年間を家族以上に密な時を過ごした
高校を卒業する時、永遠の友情を誓ったものの、なかなか会えない日々が続いたある日、「私、お金持ちの人と付き合ってるの だから、電話してこないで」と‥
彼女は、お金に固執するあまり、好きでもない人と一緒に暮らしているらしかった
私は、「丘の上の愛」の詞を書いた手紙を彼女に送った
しばらくして、「初めて聞いた 声も詞もいいね」ただそれだけの手紙が届いた
そして2年、久しぶりの彼女からの手紙は結婚式の招待状
お金持ちではないけれど、優しくて誠実な10歳年下の彼との結婚を選んだ彼女は、還暦を過ぎた今も幸せそうな笑顔を見せてくれる
もちろん、私とも青春の時そのままの友人である
jbaba
2024/08/21
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この曲が某ラジオ局で初めて掛かると告知があり
ラジオの前にかじりついて聴いていたら
久しぶりの新曲に思わず感激!
今までに聴いたことのないドラムのリズム
それだけで曲に引き込まれてしまった。
アップテンポで歌詞も結構意味深な事を書いてるぞ!
聴き終わった時には何故か涙まで出ていた。
その時に感動した思いや気持ちを
伝えたくて番組に思わずメールした。
放送で読んでも読まれなくても
このいちばん最初の素直な思いを
誰かに伝えたかったのだ。
番組も終わりに近づき、電源を切ろうとすると
聞いたことある文章が読まれている…
それは先ほど送った文章だった。
ラジオ局の人だけじゃなくて
ラジオを聴いていた浜田省吾ファンにも
そうじゃない人にも
この放送を通じて私の思いが伝わっているかも
しれない…今でもこの曲のイントロのドラムが始まると
いちばん最初に聴いた時の感動と興奮
そして嬉しさが何倍にもなった事を思い出す。
らんちゃん
2024/08/21
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卒業したら省吾さんがいる東京で働くぞ。御茶ノ水駅近くに就職も決まった!親元を離れる不安を感じないようにして、何かいいことがあると願って上京しました。
人を大切にする仕事でした。私はコミュ力に長けている訳でも、スキルも才能もなく…毎日、自分に能力が無い現実に打ちひしがれ、青い電車に乗って帰宅していました。
一人の部屋は気が滅いる程寒々しくて…先輩に怒られたことや今日の失敗を思い出し、胸が凍るような辛い日が続きました。毎晩、ON THE ROAD “FILMS” を観ました。
ラストこの曲を歌う省吾さんの背中を見て「あたし、まだまだ頑張らなあかんやん」と思い直し、翌日出勤する毎日でした。まさにあのVHSビデオとこの曲は、当時の私のつっかい棒でした。
ちょうどその頃、TVでサミー・デイヴィスJr.さんが「全ての人があなたのやっている事を気に入るとは限らない。が、少なくともあなたは私のために全力を尽くしてくれた、と思ってもらえればそれでいい」という内容を話されていました。そうか、そういうことなのか。あぁ、あの姿なのか…。あれから35年、同じ仕事を続けています。
辛いことや理不尽なこと、いろんなことがあったけど、私には「この曲とあの背中」があるので今日までなんとかなったし、これからも大丈夫なように感じます。省吾さん、本当にありがとうございます。
今はDVDで観ています。
tomi
2024/08/20
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今から30年くらい前、高校卒業する時、
先生から卒業メッセージに
-ON THE ROAD-
【この道の彼方
約束されたはずの愛があると
信じてゆきなよ
孤独に火をつけて……】 by shogo hamadaと書かれていました。by shogo hamada
となっていまさしたが、私は当時、浜田省吾さんをあまり知りませんでした。なのでこの歌詞は
浜田省吾さんていう人の歌詞なんだな。「ふーん」
っていうくらいでした。
それから30年たち、最近ある動画から浜田省吾さんの曲にたどり着き、どんどんはまっていき色んな曲を聴きON THE ROADを聴いた時にどこかで見た文章だと思い卒業メッセージだったと気づきました。30年前、書いてくれた先生ありがとう😊この道の彼方浜田省吾さんとの出会いにつながってました。なんだか不思議な感覚です。
デンキウナギ
2024/08/20
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18歳のクリスマス、当時付き合っていた彼と、43号線を走らせ、神戸に向かって、繁華街でのデート。その日は、寒く雲行きが怪しくなる。楽しんだ後、海沿いの駐車場の中で彼が『別れよう』と、一言。突然の事で、理由も言わないまま、泣きじゃくる私。雪が降り始め、車を走らせる。カーステレオからは、『ラストショー』の曲が鳴り響く。その後の事は憶えていない。29年の年月を経て、神戸で2度目のコンサート。センターステージでは、省吾さんが、この曲を歌ってくれた。私の隣には、省吾さんと同じ誕生日の息子と両手を伸ばし揺らしながら、大声でこの曲を歌っていた。一生忘れられない日になりました。
ニャモ
2024/08/20
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大学の同じ学科の彼女が省吾のファンで、初めて浜田省吾と言う人を知りました。サークルの先輩がこの曲を歌っていて、良い曲だなあ~と。ピアノ🎹のイントロが好きです。
高野 まい
2024/08/20
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
1989年、平成元年10月に結婚して今年で35年を迎えます。
この曲の様に、新婚旅行はアメリカ西海岸。ロスからサンフランシスコ…ではなく、逆でサンフランシスコからロスでした。サンフランシスコを離れた直後に大地震発生。難を逃れました。
この曲を聴く度に、新婚旅行の事を思い出します。