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出会って30年、駆け落ちして26年。
ーこんな気持ちのままーを結婚式の入場曲に!と
夢見ていたあの頃。台風の影響で大雨の乗り換えの岡山駅
知らない土地て一夜を過ごすために
泊まれるホテルを探しながら
焦る気持ちと不安とで足早に歩いてしまう。
振り返って、お腹が大きくなってる彼女をみるこんな気持ちのままを流したいと
言ってくれた彼女にウェディングドレスを
着せてあげることも出来ず雨の中、歩かせてしまってる自分に
とてつもない不安と
そして、僕が守られなければと誓いながら
手を引いた僕の故郷に連れて帰る夜
あの時、お腹の中にいた息子は
音楽の裏方の道へ進んでる
コロナ下で大変だったけれど
乗りこえつつ、頑張っている離れて生まれた娘も
息子と同じ道を選んだ僕は、僕の人生は浜田省吾の音楽とともに
これからも続いていく今はウエディングドレスより、
旅行に行きたいという妻と何処へ行こう
HIKO
2024/08/14
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2020年コロナ渦に亡くなった父。
入院していて最後の4か月は会えなかったのが心残り。
病室で一人寂しかったろう、携帯電話持たせてやればよかった。もう少し話がしたかった。
昨年渚園映画で、この曲を聴いた。
省吾の想いと自分の想いが暗闇の中で重なった。
俺の顔、少年の頃は母似だったが、最近は白髪になり父によく似てきた。深夜にこの曲を聴くと、元気だった父の口癖「どうだ、仕事はうまくいってるか」
いつも俺のことを心配してくれた父の顔を思い出し、涙が止まらない。
足立区育ち
2024/08/14
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♬一人きり 東京で もう生きていけない〜♬
この彼女の気持ち
大学生ではじめて聞いた時に切ないだろうなと思いましたが
本当に自分がそうなるなんて考えもしなかった。
切ない,を通り越して
本当に暗闇の中を手探りで生きているようでした。
ニューヨークに飛べる彼女が羨ましかった(苦笑)
歌詞の通り
彼も私と別れることになって
後悔していることがわかり
それが救いにはなったかな。
別れを決めて30年。今は彼が幸せに暮らしていることを願うばかり。
J-Girl.Sakura
2024/08/14
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中学一年生の時、初めて告白をしてもらい付き合いはじめた男の子がいました。告白される前から、私も良いなと思っていたので、付き合いはじめました。
昔流行りのハートのペンダント(2つ合わせたらハートになる)をお互いに持って。
同じクラスなので、ほとんど一緒に教室にいました。
昔なので、同じクラスにいてもなかなか話は出来るような状況ではなかったけれど、それでも心は繋がっているからと嬉しかった。
私達の学校は、田舎にあり、9つの小学校の生徒が集まって来ていたので、遠い小学校から来ている人は寮生活でした。
彼も遠かったので寮生でした。
中学になって、同じクラスになった女の子(仮 ちひろちゃん)がいました。彼女は小学校は別でしたが、最初から気が合い仲良くなれた友達でした。
彼女も、家が遠かったので寮生でした。
夏休みは、部活もありましたが、私は卓球、彼はバスケだったので、なかなか会うことは出来ませんでした。
夏休みが明けて、私に対する彼の様子や、ちひろちゃんの様子が前と違っている感じがしていました。
ある日、クラスの中で、彼とちひろちゃんが付き合ってると言う噂がありました。
私は驚きましたが、夏休み明けからの二人の様子からもしかしてと思うところがあったのでなんとなく分かっていたのかも。でも、実際に付き合っていると分かるとそれはショックでもありました。
しばらくしてから、ちひろちゃんが、私に付き合っていることを話してくれました。付き合いだしたなりそめも。
それはそれで、とてもショックでしたが、はっきり言ってくれて良かったと思う面もありました。
私はまだ中学生になったばかりで、恋に恋をしていた幼い女の子で、二人は少し大人に近い恋愛?を求めていたのだと分かりました。
初めての交際も初めての友達も失ってしまった恋でした。すぐに嫌いになれるわけもなく一人片想いを引きずっていました。
一番辛かったのは、同じクラスなのでどうしても二人の姿が目に入って来る事でした。それからしばらくして片想いの曲が入っているカセットテープを姉(5歳年上で、就職していた)が帰省の時に持って帰ってくれました。何度も何度も繰り返し聴きました。
今でもイントロを聴くとぐっと胸が苦しくなる想いはありますが、大好きな一曲です。
谷 典子
2024/08/14
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
中学2年生の体育祭に始めて聞いて鳥肌がたった
北海道の田舎の学生では調べる方法も知らず
体育祭は1〜3年生の合同のチアだった為
教えてもらえず、上京して社会人となり
周りに数人省吾さんの事が好きな人がいましたが
その曲には出会えず、移動で出会った先輩にCDを借りたら再度曲に出会うこととなり
それからどっぷり省吾漬の日々となりました。
そしてそのCDを貸してくれた人は旦那様となり
今も一緒にお互いに病気を乗り越え次のコンサートに行くことを目標に2人過ごしています。