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今年1月5日さいたまスーパーアリーナでのカメラマンの観覧妨害・危険行為についての補足2∶
私自身、コンサート会場にステージ資材を運搬する仕事をしていたので、イベンターをしている知人(「キョードー東京」の方)に確認したところ、当日の撮影カメラマンの行動は『ありえないことだ』と言っていました。
ライブにおける主催者から観覧者における注意事項として
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※ライブ観覧におけるマナーご協力のお願い
■公演中、周りのお客様のご迷惑になる行為を禁止します。
両手を左右に激しく振る、回転する、腕を振り回す、上半身を反らすなど過激な応援行為・ヲタ芸、タオルなどを振り回したり、長時間掲げたりする事は、周りのお客様へのご迷惑や怪我、トラブルの原因となりますので、特にご注意ください。
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ここに書いてある事項の全てが、当日の撮影カメラマンの行動と一致してるのが分かります。
事実上、会場運営側(ロード&スカイ)がコンサートの安全管理を蔑ろに考えているのが理解できるでしょう。
撮影カメラマンがコンサート中、観覧客の至近距離(頭上や背後)でハンディ・カメラを振り回す行為自体が非常に危険であり、『多少は重量のあるカメラを抱えて、不安定なバランスで、派手な動きを繰り返すカメラマン』が、万が一でも転んだ場合、滑りやすく傾斜のあるアリーナ席では将棋倒しが起こる可能性が充分に高く、この時(スーパーアリーナでのコンサート)、大事故が起きてもおかしくありませんでした。
「カメラマンは体力もあってプロだから」と、指示した映像会社の責任者が、何の根拠もなく理由のわからない言い訳をしても、最低限として転倒防止対策をすべきであり、会場運営側(株式会社ロード&スカイ)も安全管理措置すらズサンだったことがよく分かります。
この問題を解決するに当たって金銭的な解決などはこちらも求めるつもりもありませんが、謝罪や体質改善を求めるに当たっては、不誠実な対応しかしない「株式会社ロード&スカイ」に対して、訴訟という手段を取るしか現状の法律的には無いようです。
あまりにも常識から逸した撮影カメラマンの行動に対しての謝罪要求、及び、安全管理を怠っているコンサート運営側(株式会社ロード&スカイ)に対しての体質改善をお願いすると共に、浜田省吾のファンとして、浜田省吾のファンの代表として、今後のコンサートでこのような問題が起きないために「訴訟」という手段を考えています。
伊藤
2024/08/06
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当時私は中学2年生でした
その日常と言えば
学校帰りにバトントワリングの練習に汗を流し
家に帰ればラジオを聴きながら宿題をする
時々祖母の家に遊びに行ったりして過ごす
そんな日々を過ごしていました青少年センター
そこがバトントワリングの練習場でした練習が終わると決まって
ホールに移動して
ステージ上で繰り広げられる
吹奏楽の人達の練習だったり
バンドの人達の演奏だったり
客席で聴いて一息ついて帰る
それが青少年センターでのルーティーンでしたそこからバス停までの帰り道
すぐ側にある市民球場から
時に聞こえてくる歓声あっ 山本浩二がホームラン打ったんかな
今すぐ球場に入ってゲームを觀たいななんて思いながら
片手に学生鞄
片手でバトンをクルクル回しながら
夜の街をバス停まで歩いたものでした私の祖母が最後に暮らしていた場所が元宇品でした
私は産まれた時から高校生になるまで
元宇品で時間を過ごす事が多く
まだ水族館や造船所があった頃で
海も綺麗でした元宇品に行き来する道すがら
交番があったのはよく覚えています
そこに交番がある事が
子供心に安心感を与える存在に感じていましたそして元宇品小学校のすぐ側に
先祖の墓があり
小さな頃から今も参りに行っています祖母は元宇品に来る前は呉に住んでいて
祖父は呉の海軍工廠で働いていて
最後は戦争に招集されて戦死したそうです祖母は歌が好きな人で
よく歌って聞かせてくれました
そんな影響で私も物心ついた頃から歌は好きでしたバトンの練習から帰ると
ラジオを聴きながら宿題をするのが日課でしたそんなある日 父がアイワのカセットデッキを買って来てくれて
大喜びの私は より一層ラジオを聴いて過ごすようになり
柏村武昭のサテライトナンバーワンなど
RCCラジオをよく聴いていましたそしたら これまでに聴いた事のないイントロにゾクゾクして
慌ててカセットの録音ボタンを押した事を
今でもよく覚えています次に歌声とメロディが飛び込んできて
当時中学生の私が初めて哀愁というものを感じて
その世界に引き込まれたんですまさに一瞬で恋におちた
そんな瞬間でした曲の終わりに
「浜田省吾さんの愛のかけひきでした」
と紹介があり
そこで初めて浜田さんを知りましたテープが擦り切れるんじゃないかと思うくらい
何回も何回も再生して聴いた
初めての浜田さんの曲が
愛のかけひきだったのですこの瞬間に出会わなかったら
今の時分は居ない
そう言っても過言ではないくらい
この時に出会った 愛のかけひき
私にはかけがえの無い曲なのです浜田省吾とはどういう人なのか
今のようにネットで調べる手段もなくおそらく当時中国新聞の片隅にプロフィール的なものが載っていたようにおもいます
それを一読してびっくりしたのが
自分と同じ広島県出身である事と
更に驚いたのが
自分と同じ誕生日だった
という
私には奇跡みたいな事柄でしたカセットデッキを買ってくれた父は
今年1月に癌で亡くなりました痛みから解かれて
去っていった ひとりきりほんとにそんな最期でした
その父も亡くなる数日前
私の影響で 浜田省吾のファンだ
と 言って微笑んでいましたそれを見た母も嬉しそうに父を眺めていました
もちろん母も浜田さんの大ファンですそんなふたりを見て
私はつかの間穏やかな幸せな時間を過ごせたのです今では私の主人 息子 娘
娘のお婿さんまでも
そして親友も皆 浜田省吾さんをまるでじぶんの身内に感じでいるくらい
なくてはならない存在になっていますわたしを取り巻く人達によって
自分は生かされていると
この歳になって
しみじみ感じながら
日々を過ごしています
そしてそこには必ず
浜田さんが居るのです浜田さんの曲でどれが一番好き なんて
決めれるはずもありませんどの曲もこれまでの人生を彩ってくれました
そのはじまりだったのが
愛のかけひきです
板敷 直子
2024/08/06
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私は、高校卒業後、家を離れ、自衛官になりました。この曲を聞くと、母にギュッとハグしてもらったことを思い出して、すごく落ち着きます。厳しい訓練や人間関係で苦しくなっても、この曲を聞くと、自然と「大丈夫、明日も頑張れる。」と思えます。高校2年生の秋、自衛官になりたいと家族に宣言しました。沢山話し合って、母と2人で説明会に何回も行って、自分の口からも頑張って説明して熱意を伝えました。その結果、家族は応援すると言ってくれました。しかし母は不安そうでした。いつも自分のために色々考えてくれて、家事をしてくれて、高校3年間眠くても疲れていてもお弁当を毎日作ってくれて...そんな母に私は親孝行どころか迷惑しかかけていなかったと思います。だからこそ「強くなりたい。誇りに思って貰えるような立派な娘になりたい。」と思いました。もう泣かせたくない。心配をかけたくない。でも、いつまでも母の可愛い娘でいたいです。これからも頑張ります。
アヤカ
2024/08/05
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私が大学4年の時、すでに短大を卒業していた後輩から突然の電話。それほど親しい間柄ではなかったけれど、当時ドラマの主題歌に使われていたこの曲が好きになり、私が大の省吾ファンだと覚えていた彼女は、省吾の他の曲も聴きたいと伝えてきました。嬉しくて、74分のカセットテープ3本に、自分セレクトの曲を散りばめてプレゼント。
それがきっかけで何度か会うようになり交際、4年後に結婚、二人の子供に恵まれました。交際していた時は二人で、家族になってからは子供も一緒にライブで盛り上がっていました。
しかし、妻は一昨年病に倒れ、帰らぬ人となりました。
妻と過ごした時間の中には常に省吾の曲がありました。中でもこの曲は、彼女と出会い、幸せな日々を送るきっかけを作ってくれた大切な曲として、特に思い入れのある曲です。
たま
2024/08/05
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
娘が海外に留学して親子が初めて離れた生活している時に心配な私の不安な日々の中浜田さんのこの曲を聞いては涙して乗り越えてきました。その娘は3人の母となり家族に恵まれ賑やかな生活を私の近くでしています。海外での生活を想像していたのですが私の近くに居てくれて私は幸せです。
夢のつづきを聞くたびにあの頃を懐かしく涙する私です。
浜田さんパワーありがとうございます♪