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母が亡くなったのは
雲一つ無い青空で汗が滴る真夏の暑い朝だった。
病院嫌いな母は自宅に帰りたいという思いが強く
『これを逃すと自宅に帰れなくなります』と医師に言われ、その翌日に急遽退院することになった。実家には兄妹と、それぞれの伴侶や孫達も勢揃いし
食事を囲み『やっぱり家が良い』と言って
出前で取った好物の近所のお店の冷やし中華を
『美味しい』と一口食べた。
その日の夜は
兄妹4人で朝までほとんど寝ずに
ずっと『下の世話』をした。
母の体は腹水が溜まりに溜まって体は
全身むくんでいた。
体動もままならない状態だった。
『お父さんとおばあちゃんがそこにいるよ』と言い
本当にお迎えがあったかどうかはわからないが
朝の9時過ぎ、たまたま皆が母の側を離れた時に
ひとりで息を引き取った。夫である父が病に倒れ死別したのは40歳直前の時で
それ以来、ひとりで私達を育ててくれた。ある時『誰か良い人がいたら再婚してもいいよ』と本当に何気なく言ったのだが
母は『お父さんが亡くなった時に「おんな」はやめて一生「母親」になろうと思ったの』と言った。
子供として、この母親の元に生まれてきて
実は幸運だったのかも…と思えてしまうだ。前から夫には『お義母さんみたいな表情してるよ』と言われることがよくあり、実際鏡を見ると
『あれ、なんかお母さんの顔してる…』と
最近では思う事が常で親子とはいえ
怖いくらい似ているのだ(笑)今日はあの日からちょうど4年。
早く逝った父と天国で仲良く過ごしているかなと
今朝は窓越しに青空をしばらく眺めていた。
らんちゃん
2024/08/05
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高3に初めての彼ができました。
彼は、浜田省吾さんのファンで
聞いてみて、と、LPをプレゼントしてくれました。
私も一気に恋に落ちました。
初ライブもふたりで浜田省吾さん。
そして高校最後の文化祭
彼の友人に彼が体育館で待ってると言われて行きましたが見つけられない。
舞台ではバンドの演奏が
次は同じクラスの音楽天才君のバンド
彼と私の友人です。
ボーカルは深々と帽子をかぶっていて
顔が見えない。
演奏が始まると、なんと、浜田省吾さんの反抗期!ドキドキワクワク
ボストンバックに…音外れてる。
みんな大笑いです。
照れた顔は彼でした。
みんなは私を見つけてさらに大笑い。
42年前の幸せな忘れられない時間です。
榎並麻紀子
2024/08/05
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スマホなんてない40年前の中学生。2つ歳上の初恋の先輩からの手紙で、初めて省吾さんを知りました。「今、浜田省吾のMyHometownを聴いている。とてもかっこいい曲なんだ」と。歌詞が書いてありました。友達のようなやりとりが続き、バンドをしてた先輩の演奏を聴きたくて、先輩の高校の学園祭に背伸びして友達と行きました。たまに、悩み相談の電話(もちろん固定)にも付き合ってくれ、ギターや省吾さんのことを教えてもらいました。ずっと片思いだったけど、優しい先輩に甘えてました。高校卒業後、先輩は九州から関東の大学へ。進学後の夏に、バイクの交通事故で亡くなりました。受け入れるのに時間かかりました。あれから40年近く…子供も成人したおばさん。MyHometown…一瞬で手紙を読んだ中学生時に戻ります。かっこよくて、大好きで、とてつもなくせつなくなる曲。
saori
2024/08/05
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1979年高校2年、将来美容師になると決めていた。好きな音楽はなかったが、テレビから聴こえてきた「風を感じて」
あー良い曲だし歌声も好きだなと思っていたけど、それらを調べる術がなく、高校と美容学校を卒業し美容室で働き始め、有線から聴こえてきた「ラストショー」直ぐに
有線に電話を掛けて、タイトルとアーティスト名を聞いた、
はまだしょうご レコード店に行き「は」の所から、手に取った「ラストショー」言葉に出来ない衝撃でした。アルバムの所もチェックして、タイトルが良いなと思い「君が人生の時」を買った、アルバムから聴こえてきた「風を感じて」凄い驚きでした、運命だと感じました。それ以来ずっとファンです。
毎日省吾の歌声に癒され、元気を貰っています。
しゅなたん
2024/08/05
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37年前、省吾さんのこの曲を聴いてファンになりました。当時お付き合いしていた方のカーステレオでアルバム「J.BOY」がずっと流れていて、その中のこの曲の歌詞とメロディに惹かれ、あの甘くて優しい魅力のある声に心を奪われました。省吾さんを教えてくれた方は現在、ご存命なのかどこに住んでいて、どうされているかは全くわかりませんが、その方には感謝しかございません。その後の私の人生、省吾さんに出会え心が豊かになり、本当に本当に助けてもらっているから。
SATO
2024/08/05
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親が農業(畜産)をやっていて、休日、どこかに家族で遊びに行くことはできない少年時代でした。そんな時に小学2年生の自分を車に乗せてドライブしてくれたのがいとこのJ兄ちゃんでした。J兄ちゃんも疲れていたと思うんだけど、よく車に乗せてくれました。そのドライブの中で、カーステレオから流れてきたのが、マイホームタウン。今でもあのかっこいいドラムからはじまる曲を聞くと、鳥肌が立ち、ドライブのシーンがよみがえってきます。どこに行くわけでもなかったんだけど、本当に楽しい時間だった。J兄ちゃん、本当にありがとう!
kinajirou
2024/08/05
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
大学に入った頃「PRMISED LAND〜約束の地」のアルバムを聴きました。
まずはこのアルバム名とジャケットを見て何かただならぬものに感じたのを覚えています。
波の音からの"OCEAN BEAUTY"に鳥肌が立ち、そのあと次々に流れる曲に私の奥底にある孤独で不安定な部分が揺り動かされながら最後の曲となりました。
"僕と彼女と週末に"
イントロからゾワゾワし歌が始まると自分というものから一気に視野が広がり、無茶苦茶衝撃が走りました。
生命や自然、地球や宇宙そして愛、そういうものからのエネルギーを感じ、繋げること守ることそしてとにかく何かエネルギーを発しないとという感覚になりました。
その時の彼氏と海を見ながら世の中のこと、今と将来のこと、とにかく何か…と、そんな話をよくしました。
結局何もできずですが、へこたれそうになっても歌に元気をもらいながら今も生きています。
そして娘たちや息子も守られる側から守る側の年齢になってきました。この歌を教えてあげたらお気に入りの中に入っていたのできっと何かを感じるていることと思います。
難しい世の中が少しでも良くなることを願って…