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32年前。自分の結婚式のキャンドルサービスに、お好きな曲を流しますよ。と、言われたので、旦那さんの意見なんてそこそこに、もちろん大好きな浜田省吾さん一択でした。
やっぱり「愛しい人へ」よねぇ。なんて独断で決めました。なんていい曲。いつ聞いても涙目になっちゃう。
カセットテープにダビングして、いよいよ本番たくさんのテーブルを廻り、時々消えそうなロウソクを二人で必死に握りしめながら曲もそこそこに聞こえていたのですが、サビの部分の「つめーーーーたいーーーーーー」ってところで、なぜか私ぼーっとしてしまい、危うくおばあちゃんの綺麗に結われた髪に、キャンドルを突っ込もうとして、旦那さんから名前を連呼されて、我に返った思い出がよみがえります。
最近では、車で愛という名のもとにを久々に聞いた時、
いろんな本当にいろいろな出来事あったなぁ。なんて思った時ちょっと涙ぐんでしまいました。
そうしたら、乗っていた車の窓が見る見るうちに曇りだしました。
ちょっと涙ぐんだだけなのに、車の窓全部曇るくらいの何かが噴出したことに、わらけてきました。
省吾さんありがとうございます。
とてもショートムービーにはならないエピソードですが、ここに残せることを感謝します。
あんきんこん
2024/08/03
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れてきた「陽のあたる場所」、その時初めて浜田省吾という男性を知りました。中学生の私の頭の中はかっこいい人なんだろうの想像が…
それから勉強の合間に浜田省吾のラジオを聞くことの楽しみを知っていった。やがて高校生になり初めての文化祭で先輩達がライブをした、その曲がまたも浜田省吾の「JBOY」「MONEY」、先輩もかっこいいけどやっぱり省吾さんが好きと思いながら聴いていた。この頃省吾さんが結婚していることを知り、10代の私は大失恋をする…ご飯も食べれず親が心配するほどの失恋だった。今思うとかわいらしい失恋だった。そんな私も普通に恋愛をし未婚だったが出産もした。
持病をもっていたせいで早産で超未熟児の小さな小さな女の子を出産した。この頃は省吾の「家路」を聴きながら都市高速を走り保育器に入って生きよう!と頑張ってる娘に会いに病院へ通った。たった一人で、娘の無事を祈り、必ず家に連れて帰る!そう信じて孤独と戦った。
430gしかなかった小さな娘は半年で無事に退院し、毎日一人で通った孤独な道を娘と二人で「家路」を聴きながら
自宅へと帰った。それからの日々は悪戦苦闘の毎日、一人泣いたり笑ったり、シングルマザーでの子育てに仕事、あっという間に23の月日が経ち今では私も54歳、今でも楽しみは省吾さんのライブと寝る前の省吾さんの歌、「遠くへ」の「星が一つ空から降りてきてあなたの道を照らすのよと…」の歌詞、私の生きる道照らしてくれる、そんな気持ちになれる、今でも…真実の愛にご縁はなかったけど、省吾さんの出会えたことが陽のあたる場所なんだと今そう思う…
AKIKO
2024/08/02
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女子大生だった頃、ドラムのレッスンに通っていた私は、土曜の朝、錦糸町駅のホームで快速電車を待っていました。まもなく電車が到着するというとき、目の前を通り過ぎたカップルにふと目がとまり、男性も私の方を振り返りました。その男性は、中学生の時に片想いをしていた男の子。卒業式から疎遠になり、一度も会うことがなかったのに、駅のホームで、バッタリ会うなんて。嬉しくなってそのまま話しながら電車に乗り込みました。彼は英語の試験を受け終わったところで、となりの女性は彼女ではないことなどを話し、私はこれからドラムのレッスンなんだ、などと話が弾みました。でもタイムリミットは津田沼駅まで。あっという間に降りる駅が近づきます。「じゃあまた会えたらいいね」と言おうとしたとき、彼から「携帯の番号、交換しておこうか」と言われ、後日、二人で食事に行き、中学生の時、お互いに好きだったことがわかると、そのままお付き合いをすることになりました。
傷つくことも失うことも覚悟の上で恋に落ちる…まさにその彼とはいろいろあって数年後に別れてしまったけど『あれから二人』のエピソードにハマりすぎて、今でも大好きな曲です。
ちなみに別れた原因は私が浜田省吾さんを好きすぎて彼が嫉妬しまくったことによるすれ違いです…笑。
おとめ座のB型
2024/08/02
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今から42前の当時13歳、夜ふとラジオから流れてきた「陽のあたる場所」、その時初めて浜田省吾という男性を知りました。中学生の私の頭の中はかっこいい人なんだろうの想像が…
それから勉強の合間に浜田省吾のラジオを聞くことの楽しみを知っていった。やがて高校生になり初めての文化祭で先輩達がライブをした、その曲がまたも浜田省吾の「JBOY」「MONEY」、先輩もかっこいいけどやっぱり省吾さんが好きと思いながら聴いていた。この頃省吾さんが結婚していることを知り、10代の私は大失恋をする…ご飯も食べれず親が心配するほどの失恋だった。今思うとかわいらしい失恋だった。そんな私も普通に恋愛をし未婚だったが出産もした。
持病をもっていたせいで早産で超未熟児の小さな小さな女の子を出産した。この頃は省吾の「家路」を聴きながら都市高速を走り保育器に入って生きよう!と頑張ってる娘に会いに病院へ通った。たった一人で、娘の無事を祈り、必ず家に連れて帰る!そう信じて孤独と戦った。
430gしかなかった小さな娘は半年で無事に退院し、毎日一人で通った孤独な道を娘と二人で「家路」を聴きながら
自宅へと帰った。それからの日々は悪戦苦闘の毎日、一人泣いたり笑ったり、シングルマザーでの子育てに仕事、あっという間に23の月日が経ち今では私も54歳、今でも楽しみは省吾さんのライブと寝る前の省吾さんの歌、「遠くへ」の「星が一つ空から降りてきてあなたの道を照らすのよと…」の歌詞、私の生きる道照らしてくれる、そんな気持ちになれる、今でも…真実の愛にご縁はなかったけど、省吾さんの出会えたことが陽のあたる場所なんだと今そう思う…
AKIKO
2024/08/02
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小学5年生の僕は
兄の影響で省吾を聴き始めた。
とにかく、コーラスとサックスがかっこよく、これまで聴いていた歌謡曲とは全く違う音楽に
心を奪われてしまった。でも、使われている歌詞の意味がなかなか分からないまま口ずさんでいた。
中学生になった僕は
勉強が嫌になり、塾をサボるようになる。
塾に行っているふりをして
友達の家に屯するようになる。でも、やがて友達の母親に嫌な顔をされるようになり、行き場をなくした僕は
夜道を歩きながら、省吾の音楽をウォークマンで聴きながら、時間を潰すようになった。暑い日も寒い日も雨の日も
塾に行っているふりをして
時間を潰し、終わった時間を見計らって
家に帰る日々。どんどん成績は下がり続けた。
ある日の夕食時
父親が語り始めた父は早くに父を亡くし
母(私からみた祖母)が女手ひとつで
子ども4人を育て上げた。
給食費も滞納し、みんなの前で
お金も払わず給食を食べてるやつがいる。と学校の先生に暴露された経験もあり、給食の時間が苦痛で仕方なかった。それでも祖母は、父を高校に通わせたいという思いで、必死に働いた。
その思いは嬉しかったけど、とてもじゃないけど高校に行けるようなお金がないことを知っていた父は、働きながら通う、定時制の高校を自分で見つけた。16歳のときから、朝早く電車に乗り
大阪まで通勤し、仕事を終えたあと
京都の定時制の高校に通い遅くまで勉強する日が続いた。そうして、その高校でであった母と結婚することになる。
そんな思い出を話しながら
父は言った。俺のような苦労はさせたくない。
どんなことでもするから、大学まで進学してほしい。まずは、高校に言って欲しいし。と静かに言った。
父は僕が塾をサボって街を歩いていることを知っていた。
省吾の「勝利への道」を聞いたとき、鮮明に映像としてこの歌が心に入ってきた。
歌詞の意味が、心にスッと入った瞬間だった。自然と涙がこぼれた。
通っていた塾をやめ
新しい塾を自分で見つけ
1から頑張り始めた僕は
無事、高校に合格。
大学にも進学し、今、学習塾で働いている。あの頃の僕とよく似た中学生に
努力は報われる
できない人間などいない
勝利への道を一緒に歩こう
と伝える日々だ。
Satoshi Nakazawa
2024/08/02
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
深い失意と心身の疲労感の真っ只中にいた時にまだまだこれからも続く人生を明るく生きていくために励みになる好きなことをしようと思い至りInstagram投稿にチャレンジすることにしました。
省吾さんの楽曲の歌詞を得意な書道で表現しファンのみなさんや書道愛好家と感動を分かち合うことができれば嬉しいしもっとたくさんの人に省吾さんの楽曲を詳しく紹介したいと思いました。
さて、何から書こうかな?と考えたときに1番に思いついた曲が《悲しみの岸辺》でした。
この題名の通り今わたしはまさに《悲しみの岸辺》に打ち上げられてしまい歌詞にあるように「自分にどこか欠けたところがあるのかな?強さなのか弱さなのかわからないけれど、、、」という心境でした。
細かな構想はないけれど芸術的に練って書くのではなく、素直に自分の字で読みやすく書くことにして動きも付けたいなと思いました。
できた投稿は不慣れなことも手伝い完成度は低いけれどいいねをくださる方やコメント下さる方もいて心が弾み、これを続けていこうと顔を上げました。
《悲しみの岸辺》は自分1人ではどうしようもない深い悲しみが打ち上げられるという表現により更に身動きの取れない無力感を重ねてきます。
漂うように生きていくしかないときに包み込んでくれる海や砂浜も感じることにより安心感も芽生えるという不思議な楽曲です。
その後も色々な歌詞を書いています。
明るい曲も書いてフォロワーのみなさんと楽しんでいる今日この頃です。
今度はもっとクオリティ高い《悲しみの岸辺》を披露したいと思っています。