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7年前に兄が亡くなりました
両親の悲しみが深く私は悲しみを堪えてきました
1人で仕事の帰り道、車の中で泣いていた時
ふと、兄の部屋でむかしステレオから流れていたJBOY
を思い出し改めて聴きました。涙が溢れて抑えていた悲しみが湧き出て、楽しかった時の兄との思い出が湧き出ました。この時から感情を出すことができました。
田舎から出てきて東京で2人で兄で暮らしたころ
若さで出来ること沢山ありました。
2人で夢を持って東京に出てお互い夢の職業につきました。
兄はいなくても妹はあなたとの思い出をずっと大切に
JBOYを聴きながらまた、思い出しますね
天国でこれからの私を見守ってください
ayako0552@gmail.com
2024/08/01
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今から48年くらい前のおはなし!
21歳の私は教育実習で母校の地元中学へ!担当のクラスに掃除をサボるやんちゃなグルーブあり!
実習最終日目前で私は教室の半分の掃除を彼らに残しておきましたホームルームでそのことを告げ彼らは居残り掃除を渋々!
翌日・・・私は彼らに音楽室に呼び出されました💦
「まさか居残り掃除の復讐😱😱😱😱?」恐る恐る向かった放課後の音楽室
そこでヤンチャ君たちは・・・なんと!
歌を唄ってくれたのでした!ほんとにドキドキがフワフワに!!!
私にもなにか歌えと彼ら!
そのころ広島市内の4畳半の下宿でノートに歌詞とギターコード記してポツポツと唄ってた2曲をanswer songsに
「愛のかけひき」「君の微笑み」・・・あとで思えば中学生の彼らには背伸びした歌詞だったなぁ・・・
今年69歳の高齢者だけど甘酸っぱい思い出!
リアルタイムで訊いてたアルバム・・・まだまだ青い青い省吾さんの声・・・大切な宝物です!
オールナイトニッポンの今仁さんが「イントロ大賞」をくださった『路地裏の少年』・・・思い出すとあの真夜中の時空にタイムスリップです!
今年もライブ楽しみにしていますね!
広島の会場で高齢者の「省吾さぁ〜ん!」がお耳に届いたら私かもしれませんよ!
あねりおっと
2024/08/01
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私は浜省省吾の顔も知らず友達からこんな詩を書くアーティストが居ると詩を読み虜になった。すぐにお小遣いで買った武道館のライブ2枚組LP ON THE LORD
を聞き 家庭も色々とあり 歌詞がその頃の自分と同じで全てがマッチして居て救われた❣️あの曲を聴いてなければ ここまで追いかけた事もないだろう。
そして極め付けは
陽はまたのぼる‼️最後には笑える様に兄貴の自殺をされた自分にとって 助けてられなかった悔しさ 悲しみ 最後 アニは何を見て何を考え
逝ってしまったのか?笑えずに終わらせてしまった己を
思うといつも ライブで涙が溢れるのだ・
ロード
2024/08/01
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この曲がヒットしてた頃 生まれてはじめての浜田省吾のコンサートのチケットを2人分取り 当時付き合っていた彼と行くはずでした。
ところがコンサート前のある日、彼の浮気が発覚!
裏切られた気持ちと彼に仕返しする気持ちが働いて、そのコンサートに彼と共通の知り合いの男性を誘い行くことに…その後 彼と付き合うことになり その後結婚、現在の主人となりました。もう彼のことは忘れてしまえよ まだ君は若くその頬の涙 乾かせる誰かがこの街のどこかで 君のことを待ち続けてる
まさしくこのフレーズ
この歌がなかったら 今の私はありません
今はとても幸せです
シュガーは控えめ
2024/08/01
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一浪の末やっとのことで大学に入学した1989年。仙台。一目惚れで告白し、春からお付き合いを始めた彼女。残念ながらふとしたことで仲違い。秋に別れを迎えたが、思いを断ち切れない僕。大学は学生運動もとても活発な頃で、授業は休講もしばしば。授業にも身が入らず退屈な毎日、夜のバイトに明け暮れる。空はいつもどんよりとした曇り色。それでも時々大学に来たのは一目でも彼女に会いたいから。彼女は丘の上にある理学部。僕とは学部が違うので、偶然彼女と会えないかと、用もないのに学生課に訪れては、無意識にいつも彼女を探している自分。でも彼女は現れない。次に会えたら今でも君が好きだと伝えようと心に決めてたのに。この恋が運命なら、それでもいつかきっと会えると勝手に信じていた。時は流れ大学を卒業後、東京で就職。5年後東京で彼女が同じ町で暮らしていることを知る。運命の時が来たと思った。知人の伝手で彼女の電話番号を知り心を決して電話。「久しぶり。元気?」話の流れで恋人と幸せに過ごしていることを知る。その時ようやく恋が終わったのだと悟った。それからようやく違う人を愛することができた。それが今の愛する妻。あれから25年強。今でも本当に素敵な恋をしたと思っている。ありがとう。
カンノタクヤ
2024/08/01
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90年前後だったでしょうか当時はまだ客船が東京と釧路で運航されていました。ヒッチハイクの徒歩旅も終えて帰りに釧路から乗船しました。普通は乗船ブリッジから船に乗りますがその頃護岸工事をしており地上に掛かる大きな鉄板のトラック甲板から乗船しました。そこにツアートラックがいたのです!!白いトラックには大きくON THE ROADの文字が!!北海道旅の思い出も吹き飛び今でも最高の思い出です。帰路頭の中は♪この道の彼方〜、鳴り続けていました。
まふゆ
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
大学3年生の春、カナダバンクーバーにホームステイしていた私のところに、アメリカを一人旅していた同級生の彼が来てくれ、省吾の曲を聴きながら一緒にバンクーバーの街をドライブしたり、郊外のスキー場でスキーをしたりと、楽しみました。初めて腕の中で眠ったのもその時。またアメリカへ旅を続ける彼をバンクーバーの空港で、泣きながら見送ったのを思い出す曲です。
その後お互い結婚し、離れ離れになりましたが、また再び巡り合い、一緒に省吾のライブに行きます。
全ての曲にその時の自分がいますが、特にこの曲を聴くと、広くてどこまでも続くフリーウェイやカナダ、アメリカの街並みが思い出されます。青春の一曲