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初めて浜田省吾さんのコンサートに行ったのは中学2年の夏でした。母が友人と行くはずだったのですがその方が観た方がいいからとチケットを譲ってくれたのです。
コンサート自体初めてのことでワクワクしてました。
初めての代々木体育館。母が家で聴いている浜田省吾さんを初めてリアルに観ることができる…。
席はアリーナ席でした。今考えたらこんなすごい席を譲ってくださった母の友人に感謝です。
ライブが始まってからの事は実はあまり覚えていません。ですがこの曲だけは強烈に覚えています。
省吾さんが「君を守りたい」と歌ったとき両手を広げて力強く歌っていました。
この人すごい!!!絶対に守ってくれそう!と思いました。まさに省吾さんに恋した瞬間でした。
それから40年近く経ちますが今もずっと恋してます。
しょうみお
2024/08/01
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二十歳の時、大親友が交通事故で急に亡くなりました。
頼りきっていたし、心の支えだった
唯一無二の人でした。当分は、どうやって生活したかわからないくらい、泣き暮らしていました。
が、あれほど悲しかったし、生きていけないと思っていたのに、しばらくすると、普通の生活になりつつある自分を、そうしなければ生活できないと思う反面、薄情者!と嫌悪感を感じていました。その時、まさに以下のフレーズが耳に入って
驚きました。
今の気持ちをそのまま表現されていたので。『二度と立てぬ 痛手なのに
受け入れてく 不思議だ人は
追いつけない この悲しみあとに残して
今日も 明日も』だから人なんだと、妙に納得しました。
罪悪感を感じても、何にもならない。親友のぶんも幸せになるというような考え方は、あまり好きではなくて
事実だけ受け入れて、
だけど、悲しみだけはいつまでも残ったまま、それでも、
彼女のいない毎日を送って
もう40年弱過ぎました。不思議です。人は。
ゆみゆみ
2024/08/01
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高校2年生、付き合った男の子の家で「浜田省吾って知ってる?カッコいい歌なんだよ」って初めて省吾さんの歌を聴いファンになりました。
その頃、街ではマイホームタウンがよく有線で流れていました。
間違いなく私の青春の始まりでした。
あっちゃん
2024/08/01
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2001の始まった頃、インターネットでの交流がやっと一般的になりつつあった。ファンの作ったホームページに集まりチャットや掲示板で交流が盛んに行われていた。そんな掲示板で彼女と出会った。地元の1日目のコンサート会場でファンクラブのブースに居るとのことでリアルに会えるのを楽しみにしていた。
その地元のコンサートの前日に隣の県でのコンサートに参加した。駐車場で隣に停まっていた車の女性と会話をして、次は地元のコンサートに行くと言っていた。また会えたらいいねと軽く会話をして別れた。
次の日、彼女がファンクラブブースに居ると言ったコンサートの日、地元では珍しく大雪となってコンサートに間に合わなかった。彼女とはファンクラブのブースに居るとの会話しかしていなかったので、2日目もコンサートに参加するけど会場で見つけられないと悲しい思いで諦めていた。
コンサート前に会場裏で福田さんのモヒカンイベントが行われていた。ファンが何人か集まっていた。隣の県で会話をした女性も来ていた。また会えましたねって会話していたところ、その女性のお友達が彼女のことをニックネームで呼んでいた。かなりびっくりした。会えないと諦めていた彼女が、隣の県で会話した女性だったとは。なんであのときもっと会話しなかったのか後悔してた。あれから25年、ずっと仲の良い友達です。
かめさん
2024/08/01
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父が亡くなった日、病院から自宅へ帰る時、涙が止まらず色んな思いが頭を駆け巡っていました…
父が居なくなったこれからの事…
1人になった母の事…
父の苦しむ痩せていく姿を見続けた半年の闘病生活…
違う病院へ連れていった方が良かったんじゃないか…
違う治療があったんじゃないか…
苦しみに顔を歪める父の顔…
もっと感謝の気持ちを伝えれば良かった…
不安と後悔でいっぱいでした、
そんな中、この曲が運転中のカーステレオから流れて来ました…
この曲を聴きながら、自分が子供の頃の賑やかだった我家を思い出しました。
自分の思い出の中に出てくる父はいつも笑ってるよなぁ…と気が付きました。
泣くのは後にしよう、父の息子として、しっかり送らなければ!と覚悟が出来た時、車の窓に映ってる自分の顔は父によく似ていました。
自分の心の中とこの歌がピッタリ一致した気がしました。浜田省吾さんのコンサートは何回も行き大好きで、どの曲も大好きなのですが、この曲は特別な一生忘れられない曲です。
mar
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
浜田省吾さんとの出会いは、まだ小学校低学年でテレビのCMのカップヌードル。誰の曲かもわからないけど、心に染みました。口ずさんでました。
それから六年生の時にNHKラジオでカセットテープに録音したラストショー。まだ浜田省吾ってわかってなかったです。その後、中学2年生の時に担任の先生が音楽室でレコードをかけてくれました。その曲は、僕と彼女と週末に。
先生はこの曲はどんな意味の曲なのか、そして浜田省吾がどんな曲を世に送ってるのか、中学生の我々に教えてくれました。物凄く社会性のある曲に心打たれた思いだった記憶です。それ以来先生の家に行って浜省を一緒に聴きながらいろんな人生の話をしたり、凄く楽しかった思い出です。それ以来、今55歳。ずっと浜田省吾を追いかけて一緒に走ってます。全てのアルバムと曲が自分の人生の場面場面に繋がって浜省なしでは語れません。
また恩師の先生と浜省で一緒に語り合えたら最高の時ですね!