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43年前、高校の修学旅行で青森から京都へ向かう電車のなかでクラスメイトがこっそり持ってきたラジカセから流れてきたラストショーのイントロ、聞こえてきた声、ざわつく車内でも私の耳に1度で誰?と雷に打たれたような衝撃でその後の旅行中ずっと気になってしまい丸5日間頭の中をぐーるぐる。
帰宅後ラジオを聞きまくり浜田省吾のラストショーという曲にたどりつきそこから毎日聞いていました。
幸運にもすぐにツアーがありライブに参加してからは寝ても覚めても浜田省吾1色の日々。
今年還暦になるけれど今でもラストショーのイントロを聞くとあの日の衝撃を思い出すほど色褪せない私にとってのNo.1ソングです。
ぎっちゃん
2024/08/01
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今から四半世紀前に、ワーキングホリデービザでオーストラリア大陸を現地で買ったおんぼろバンでひとり一周旅行をしました。当時はカセットテープで、日本から持って行った小さなラジカセで一日中聴いていた曲の中でも、「この道の彼方」ではじまる曲が毎日ひとりで運転する自分に重なって今も心に残っています。もちろん今も聞き続けている一曲です。
たつ屋
2024/08/01
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初めて「CLUB SNOW BOUND」を聴いたのは、少しずつ寒くなってきた晩秋。その1ヶ月ほど前に彼女と別れていたボクは、傷心のさなかだった。
このクリスマスソングを集めたミニアルバムに針を落とすと、 ボクの心はもっと切なく、もっと寂しく、もっと哀しくなっていった。クリスマスの暖かく楽しげな曲の中に、あえて孤独な自分を演出していた。一人で聴いているのに(笑)
それが、3曲目になったとき、ゆっくりと素に戻っていく自分に気付いた。重厚感あふれる音とともに、失恋エピソードが辛辣に積み重なっていく。降り出した霙まじりの雨が雪に変わっていく頃には、どっぷりと感情移入していた。
その冬ワンシーズンは、夕方近くなるとこの曲を聴きながら、賑やかな街並みを一人黄昏たり、誰もいない港や飛行場に佇んだりと、よくセンチメンタルに浸っていた。恥ずかしいけど(笑)
前年の「DOWN BY THE MAINSTREET」を聴いていた時期は、希望とか挫折とか、とにかく充実した毎日を送っていたので、 これは僕にとって精神的に一皮剥けた20代のエポックソングといえる。
Midnight Flight ーひとりぼっちのクリスマス・イブ。大好きな一曲です(^o^)
若杉孝人
2024/08/01
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中学生の時雨の中を家に帰ろうと歩いていたら近所のお兄さんが車で送ってくれました。その時車内のカセットテープから流れて来た曲が君が人生の時で初めて浜田省吾さんの曲を聴きました。
もっとじっくり聴きたくて翌日の学校帰りに街中のレコード店へ寄り初めて買ったLPレコードが君が人生の時です。
他にも何枚か浜田省吾さんのレコードがあったのですが中学生では何枚も買えずに我慢。
それから間もなく新聞配達を初めてイルミネーションや他のアルバムを少しずつ購入し同級生からフォークギターを中古で1万円で購入し初めて行ったオンザロード1982コンサートで購入したステッカーをギターに貼り弾き語りを練習し高校の文化祭のステージで歌った事を思い出します。
ギターは押し入れの中に眠ってますが時々引き出しては挫折しています。
当時はボクシングをしていてインターハイへ出場出来る程夢中になり
彼女との恋愛も上手く出来ずに後悔ばかりです。
他の誰よりも1番大切に思い続けていた事は間違いないのに結局3年間行動に移すことが出来ずに彼女の方から高校3年の時に別れ話をされてそのまま卒業してしまい自分の気持ちを打ち明けることも出来ないまま40年が経ちました。
この40年間の中で何度も彼女の事を思い出したことがあり後悔ばかりです。
今頃はどんなおばあちゃんになっているのだろうか?
きっと可愛らしい優しいおばあちゃんになっているのだろうと想像してます。
あの時もっと積極的にアプローチしていたらどんな人生になったのだろう?
でも今は当時の彼女と同じチビでおっちょこちょいな可愛い嫁との生活にとても幸せな人生を送ってます。
あの時の失敗で学んだお陰で素敵な女性に出会うことが出来ました。
かっちゃん
2024/08/01
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
自分が40代半ばの頃、全国の職場で約3000人の人員削減計画が持ち上がった。
当時私は労働組合の幹部をやっていて反対運動に取り組んできたがそれを阻止できなかった。
削減は数年かけて行われることになり、阻止できなかったことに責任を感じたし、率先して削減されることを希望する人も少なかったので、私は最初の削減者に手を挙げた。
転職先ではイジメにあったが、今ここで辞めてしまっては、あとに続く仲間に申し訳が立たないと思って歯を食いしばっていた。しかし、第一陣で共に削減されて他の職場に転職した仲間たちが自殺したりメンタルをやられて辞めたり休職したりするのが相次いだ。自分や友の状況を思うと、人生ってなんだろう。一生懸命頑張ってきたことは無駄だったのかな。これから俺は何に価値や、やりがいを見い出して生きて行けばいいんだろうと悩んでいた時期によく聞いていた曲です。今の自分の状況やメンタルに共振していて、辛いけどいつか必ず道を開いてやると毎日、自分を奮い立たせていました。