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「1人で居るのは苦痛じゃないでも2人でいる寂しさなら知りすぎてる」これほど切ない気持ちが痛いほど分かったことが辛すぎました
結婚当初から主人は仕事が忙しくスポーツ新聞社で編集の仕事をしていました。ヨーロッパ時間のスポーツだと終了してから紙面に仕上げていくのでどうしても日をまたいだ時間になることの毎日です。普通の人とは真逆です。顔を合わせるのはお昼ご飯を一緒に食べる時、食べ終わると15時には出勤です。そういう日を
送って居た時にこの曲を聞き自分の気持ちをこれほど
までに表現してる事に涙しました。初めて主人と一緒に行ったマイファースト・ラブ・イズ・ロックンロールの
ライブ
主人が「君と歩いた道」のMVでの最後のシーン
おじいさんがん1人になったシーンをしんみりと見ていた姿が亡くなった今も忘れられません
本当の1人になった寂しさを残していった主人ですがこれからもずっと愛しています
ゆうはる
2024/08/09
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10代の頃すごく仲良くしてた男友達がいました。
恋人ではなかったけれどすごく気が合う最高の男友達でした。
色々なところへ遊びに行ったり毎晩3時間くらい長電話したり
彼の自転車を譲ってもらい1台ずつ自転車漕いで大きな橋をいくつも渡って大阪から京都まで淀川沿いを走って一緒に帰ったり…そんな時に発売になったFather's Sonに入っていて良く聞いてた曲です。
その頃大阪城ホールであった省吾さんのコンサートにも一緒に行きました。
春に初就職した日にはおめでとうと部屋がいっぱいになるくらいのお花が届いて感動したのを覚えています。
数年後それぞれ別々の人と結婚して彼は横浜、私は大阪に住む事になり携帯などもない時代で連絡取れなくなって会えなくなったけれど
今もこの曲を聴くとあの頃の楽しかった想い出を懐かしく思い出し彼はどうしてるだろう?今もどこかで元気にしてるかな?と思います。
みか
2024/08/09
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僕の両親は共に浜田省吾さんのファンで、それが縁で結婚した夫婦です。父は埼玉生まれ、母は京都の生まれでした。住まいは埼玉でしたので母方の祖父母の家に遊びに行くときは、もちろん新幹線もありましたが車で行くことも多くありました。その車内でよくかかっていたのがこの曲だった記憶があります。夏休みの混雑を避けて、夜の高速道路を走る車窓には数々のトラック、バス、そして窓ガラスに映る自分の顔…。父の顔をバックミラー越しに見ながら、家族のためにと黙々と車を走らせるその表情を頼もしく思ったのを今でも思い出します。そんな私は今年33歳。今度は自分が車を運転することも多くなりました。窓ガラスに映る顔は心なしか父に似てきたような気がします。父と息子。あの頃父は何を考えて生きていたのかな、あの頃父が思い描いていた姿に自分はなれているのかな、家族とはいえ、人のために頑張るってやっぱり大変です。ありがとう、父さん。そんなことを思いながら、つい気がつくとこの曲を聴いている自分がいます。
じゅん
2024/08/09
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学生時代の友人にはなぜか浜省好きが多くいました。
ある時、電話(当時はまだ家電)がかかってきて、相手「やあ僕さ、元気かい?」
私「誰だよ」
相手「今から出てこないか、どこかで飲もうぜ」
私「誘っておいて場所も決まってねえのかよ…」そんな相手は10年ほど前、40過ぎで病気で急逝。
この曲を聴くたび、あのくだらない会話をまたしたいなと、心の中で合掌。
テキサス・ブロンコ
2024/08/09
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「夢のつづき」を聴くたび2015年3月、夢を叶える為 大学進学で北海道へと旅立った日の事がよみがえり9年経った今でも胸が熱くなり涙が溢れてきます。
遠く離れた息子と私を繋ぐのは浜田省吾様なのです。一人暮らしの息子の所に行くたった一つの口実、それは浜省のコンサートです。毎回2人でツアーTシャツを着て参加するのが生き甲斐となってます。
その息子も今年4年目の社会人!
獣医師になるという夢を見事に叶え
動物病院と夜間救急病院とWワークで頑張っているようですが頑張り過ぎている息子の体調が心配でなりません。「遠い街で一人暮らす君の無事を
いつも祈ってる」
この歌詞は私の心に刺さります。
ベル
2024/08/08
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クラスの女子がアイドルに夢中だった高校3年生の時、私は浜田省吾さんが、大好きだった。当然、クラスの女子とも上手くいかず浮き気味だった。それでも1人だけ話せる友達がいた。彼女は成績か良かったが地元の大学に進学を希望、私は目標ができ都会の大学に進学を希望した。毎晩、受験勉強のお供は浜田省吾さんの曲。成績も上がり大学に推薦してもらえる事になった。ある日、担任に呼ばれ彼女が私の希望大学の推薦を希望した事、彼女の方が成績がよいのでこのままでは危ないと告げられた。その時のショックは本当に悲しかった。担任からは彼女の希望を聞かなったことにと口止めされていたので誰にも言えずにいた。そんな時、ラジオから「明日なき世代」が流れた。♪泣かないで〜の歌詞にハッとし♪まだ倒れちゃいない〜の歌詞に「私の歌だ!」と感じました。レコード店に行き、シングルレコードを買って登校する前に何度も聴いてから家を出る生活を受験が終わるまで続けました。結局、彼女は地元の大学へ、私は希望の大学に進学しました。浜田省吾さんの大好きな曲はたくさんありますが、この曲は青春の大切な一曲です。
なお
2024/08/08
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
1989年夏から1991年秋までの単身でのイギリス駐在中に、アルバム "誰がために鐘は鳴る" がリリースされました。日本に残してきた彼女(今は最愛の妻)にCDを送ってもらい、ロンドンの街中でいつも聴いてました。90年の夏に仕事を辞めた彼女がロンドンに来てくれ、3ヶ月ほど一緒に暮らしました。インターネットなどない時代、週に一度の国際電話と手紙だけが彼女との繋がりだった僕にとって、その人がいつもそばにいてくれたあの夏は、本当に幸せで輝かしい日々でした。
そんな夏に休みをとって、オンボロ車で一週間かけて二人でスコットランドを旅した間、繰り返し聴いた "夏の終わり" はあの地の空気の匂いや光の色を、そして二人の若さを、あれから30年以上がたった今でも明瞭に思い出させてくれます。
さて、浜田さんの曲はイギリスの雰囲気に合うのか?心配不要です。浜田さんの曲はどこにいてもちゃんと沁みます。
しかし、"夏の終わり" の歌詞を聴いて、浜田さん歌うの止めちゃうの?、と心配になったなぁー。