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40年ほど前の高校生の頃、付き合ってた彼女が
どうも不安定な感情に陥り、何を言っても信用してるような、していないような時期がありました。当時は手紙のやり取りが主流の時代。その手紙に「浜田省吾の歌の一節に...」ということで、この曲の最後のフレーズを書き記しました。「もしも、この愛に形があれば伝えられるのに 偽りのかけらも 無かったことを」
まさに形があればわかってもらえるのに~という想いがぴったりだと思いました。その想いが伝わったかどうかは覚えてはなく、また、その彼女が今の妻でもなく...
いい落ちではないけれど、当時はSand Castleのバラードに聴き惚れていました。
とっしー
2024/08/07
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私が19歳の時、父の仕事が倒産に追い込まれ家族がバラバラに過ごす事となりました。私は、アルバイトをしながら通信教育の大学生となり、アルバイト先で知り合った石川雅美(男性)先輩が『浜省は男の中の男!』を口癖に私に浜省イズムを叩きこんでくれた恩人です。先輩は無念にもその10年後、膵臓ガンでこの世を去る事になりました…私の人生のテーマソングが“Money ”となり、今も上昇志向を心にチャレンジしてます。on the road 2023 では、1月6日の埼玉スーパーアリーナ公演に雅美先輩の位牌画像と共に伺わせていただきました。
Piiche(天川貴司)
2024/08/07
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今から約20年前。息子を保育園に預けて仕事と子育てに奮闘していた頃の話。
我が家は主人も私も省吾ファン。妊娠中から胎教にはチカラを入れて毎日省吾のアルバムを聴かせていました。いつものように仕事帰りに保育園にお迎えに行き、園を出発する頃にはゲリラ豪雨になっていました。
仕事にも疲れている上に雨にまで降られ、きっと私は落ち込んだ顔をしていたのでしょう。
自転車の後ろに乗っていた年長の息子が、
「🎵パワーシャベルで削った丘の上いくつもの〜」とまるで私を励ますかのように歌い出しました。
うれしくて私も一緒に歌いながら、雨の中自転車を漕ぎながら帰りました。そしてココロの中ではもちろん、
『胎教、大成功‼︎』と叫んでいました。〈終〉
さっち
2024/08/07
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社会人になり遠距離恋愛していた彼は学生でサッカーしていました。秋頃、試合観戦に行き、帰りは友達の車を借り空港まで送ってくれました。
お互いに別れを惜しみながら時間となりわたしは機内へ。飛行機が動き出し離陸すると一気に現実に戻され窓の外の景色を見ながら涙していました。その時に頭の中でずーとMIDNIGHT FLIGHTがが流れていました。機内ではサービスで回っていた客室乗務員の方は泣いている私に気付いてくださり声をかけずそっとしてくれていたんだろうなと後から思った記憶があります。
その彼とは結婚し、30年と半年になります。
まこまこ
2024/08/07
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10代の時初めて聴いて、曲がカッコいいって歌詞の意味も解らないで唄ってました。
20代の時歌詞の中身が社畜っぽく聴こえて、ちょっとカッコ悪いと思ってました。
30代になって社会で自分も唄の中のJ.BOY と同じ境遇になり、初めて歌詞の意味が解ったような気がしました。
日常を打ち砕いて、悲しみを乗り越え、孤独を受け止め、虚しさを吹き飛ばして40代になり、これまでなんとか生きてこれたと思ったら少し涙が出ました。
そして50代になって、自分にもですが他の若い世代に、頑張れってエールを送ってるような気持ちで今もこの唄を聴いてます。
もしかしたら浜田さんも同じような気持ちで唄って下さってるのかも知れませんが。
せいいち
2024/08/07
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もう30年も前。
彼、彼といっても友達以上恋人未満のような彼は22才。私は23。
お互いの気持ちは手に取るように分かりながら、状況やら見栄やらプライドやら本音やら建前やらそんなくだらない事にがんじがらめになって身動きが取れなくなっていた。顔を合わせても少し悲しげな笑顔で当たり障りのない笑い話をしてたよね。
ちょうどその頃共通の友人から誘われた浜田省吾のLIVE。
グループデートのような軽いノリでそのLIVEに参加しあの時あの場所であの曲「少年の心」を聴くまでは、
曖昧な気持ちのままこのLIVEの帰り道を最後にもう会わなくなるんだろうって、苦い薬を飲み込むように分かっていて。
あの曲を聞いてる時彼はどんな顔して聴いているのか彼の顔を見たかったけれど、こんな泣き顔向けられないなと思って下を向いてしまって。
LIVEの帰り道「次の日曜、海までドライブ行こう、お前の車で」って言われた時、いやあの曲を聴いた時点で曖昧ではないお別れの時が来るんだとハッキリと分かっていたのかも。
とても辛い眠れない日が少し続いたけど、その日曜日は今まででいちばんの笑顔の私とワインボトルを車に積んで、ゆっくりドライブに行ったな。
今はどこかで幸せにしているであろう彼との思い出は、その後何度色んな恋愛をしても霞むことなく、色薄れることなく心の中に描き出されたまま。これからも大切にしまっておこう。
にっちゃん
2024/08/07
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学生の頃に友達の影響で、初めて聴いた浜田省吾。それからずっと聞き続けて、社会になって数年後に、初めてコンサートに行く事が出来ました。きっかけは、同じ職場の7歳年上の同僚。お互いに浜田省吾が好きな事で意気投合。まだライブに行った事の無い自分を、一緒に行こうと誘ってくれて実現しました。
2008年マイファーストラブ。地下鉄、真駒内駅で待ち合わせ。綺麗で、優しくて、ノリノリのその方と、ドキドキしっぱなし笑。だって、ひとつだけ、どうしてもやりたい目標があったから。その方と手を繋ぐ。君と歩いた道の間奏で思い切って手を繋ぐ。憧れのその人と。
初めてのライブはホント最高で、激しくて、カッコよくて!あっという間の幸せな時間でした。そして、いよいよ手を繋ごうと決めた間奏の時。
僕はあなたに恋をしました。
優しくニコッと笑い、優しく握り返してくれましたね。今では僕にとって1番大好きな曲になりました。
今はお互いに別々の場所で過ごしてますが、お元気ですか?僕は今でも、直子さんが大好きです。
とんぼ
2024/08/07
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
『アップルパイの甘酸っぱい香りと淡い想い出』
私は車の免許は26歳ぐらいに取得したので、勤め始めた頃は、バスで通勤していました。
朝6時頃起き、食事や身支度を済ませ、7時15分のバスに乗り通勤するのが日常でした。
バスではいつも一番後ろの席に座り、本を読んだり景色を眺めたりしながら片道40分ぐらいの道中を過ごします。
バスの通勤にも慣れたある日、一人の若い女性が途中のバス停で乗ってきました。
私より1つか2つ上ぐらいの髪の長いスレンダーな美人でした。
ちょっといたずらっぽいような小悪魔的な雰囲気のある女性でした。
その日から時々、彼女は同じバスに乗るようになりました。
そんな日が続き、いつの間にか彼女がバスに乗るのを楽しみにしてる自分に気づきました。
きっと彼女に淡い恋心を抱き始めていたのだと思います。
私も男ですから、彼女に話しかけてみたいという衝動が心の中でどんどん膨らんでいきました。
ですが他の乗客もいるので、恥ずかしさになかなか踏み切れないでいました。
よし来週こそは、声をかけてみようと自分に誓った金曜日、その日は忙しく残業になり いつもより遅い21時のバスに乗り帰路につきました。
途中の繁華街を通った時、偶然 バスの窓からある光景が目に飛び込んできました。
彼女が他の男性と仲良さそうに歩いていました。
私のバスでの恋が終わった瞬間でした。
ちょうどその頃、ラジオで聴き好きになった浜田省吾さんの『片想い』が、私の心の中で何度も繰り返されました。
そんな出来事から 20年ぐらい過ぎたある日。
私は、こじんまりとした洒落た喫茶店を偶然見つけ、立ち寄りました。
「いらっしゃい」 という声と共に注文を取りにきた女性の顔を見て驚きました。
バスの彼女でした。
彼女も当然、40歳になっていたと思いますが、変わらず綺麗でした。
コーヒーと小腹がすいていたので、アップルパイを注文して、待つことなく コーヒーとアップルパイが運ばれてきました。
他の客がいなかったので私は思い切って、「私の事を覚えていますか?」 と聞いてみました。
彼女が、怪訝そうな顔をしたので、「昔、バスで通勤されていませんでしたか? 私も同じバスに乗ってました」 と言ってみました。
彼女は懐かしいような表情を浮かべ、「あ、覚えています。いつも一番後ろに座られていた方ですよね。」 と言いました。
彼女の視界と記憶に私がいた事が嬉しくなり、それから少し話をしました。
彼女は、バスで通っていた若い頃から自分の店を持つ事が夢だったそうです。
「ようやく小さいですが店を持てたんですよ。」 と言って嬉しそうに微笑みました。
「夢を叶える事ができて良かったですね。おめでとうございます。」 と言って店を出ました。
彼女とバスで会ってから20年経ち、ようやく彼女に声をかけることができました。
その喫茶店にはその後一度も行く事はありませんでしたが、彼女の手作りの甘酸っぱいアップルパイの味と香りは今も心に残っています。