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5年前高校生だった私はいじめを受けてパニック障害になってしまいました。
毎日通学時3時間ずっと省吾さんの曲を聴いて頑張っていましたが
人に会うのが怖くなり笑顔もなくなった私を勇気付ける為
父が「1番大好きな人に会いに行こう」とサプライズでFFFに連れて行ってくれて生で聴けた【日はまた昇る】はまさに涙溢れ何も見えない状態でした…その日から私はどんどん回復していき
今度は両親からサプライズで航空券と武道館のチケットを貰い父と2人で行くことができました!私の人生を大きく変えてくれた省吾さんの曲は沢山あるけれどやっぱり日はまた昇るが1番の思い出です!
父と未だに仲良しなのは100%省吾さんのお陰です
10/26をモチベーションに頑張ります‼
ひかる
2024/08/06
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我が家は長い間、単身赴任家庭でした。
夏休みもなかなか家族揃って遊ぶことが叶わず、それを知っている兄家族や両親が一緒に遊んでくれていました。
娘が小学校6年生の時です。
実家から戻る車の中、いつもは後部座席で眠ってしまう子供たち2人ですが、その日は娘は起きていました。いつも車の中に流れているのは省吾の曲。私が好きな曲をセレクトしたカセットテープを聴きながら運転しています。
暗い窓の外を見ながら、娘が
「この歌を聴きながら、夜の風景を見てると、なんか切なくなるんだよね」この歌というのが♪sweet little darling。
兄夫婦も祖父母も、いとこたちも、よくしてくれて一緒に遊んで楽しく過ごしていても、帰り道に、どこかお父さんがいない淋しさを感じていたのでしょう。おねえちゃんでいようとする彼女の頑張りの中に、淋しさが蓄積されていたのかもしれません。甘えるのが下手な娘の気持ちがルームミラー越しに見えた横顔に浮かんでいる気がした。
もの思う春の入口にいる娘に、かける言葉が見つからず、ただフロントグラスを見つめ、ハンドルを握りしめながら
「♪いい曲だよね…」としか言えなかった。今でも、ライブでこの曲を聴く度に、フロントグラスに流れた夜の景色と、ルームミラー越しに見た娘の横顔が浮かんできます。
きゃんでぃ
2024/08/06
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私は子供の頃から、母に愛された記憶がありません。
優しい言葉をかけられたり、抱きしめられた記憶も全くない。
年子の出来のいい妹を溺愛していた。
ことごとく妹と比べられて、出来の悪い私の事を恥ずかしいと言った。
家の手伝い家事は私にやらせて、妹は勉強しないといけないと言って一切やらせなかった。
口答えも許されず妹にもバカにされ続けた。
私は一刻も早く家を出たくて、結婚して遠方に引っ越した。
年老いた母が病気で手術入院した時お見舞いに行った。
数日看病をして遠方に帰る時に、母の目に涙が光ってた。
その時、初めてそれでももしかして母なりに私を愛してくれてたのかなと気付いた。
歌詞にある
「時には誰かを許す事を覚えて欲しい」
この歌を聞く度にジーーンときます。
コニー
2024/08/06
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亡き主人との出会いは19才
浜省を原田慎二さんと勘違いしてた私は、
浜省嫌いと言って、主人を驚かせました。
それから、ドライブに行くにも、スキーをするにも海に行くにも、仕事の終わりも浜省の音楽がいつも一緒でした。
コンサートのチケットとるのに、徹夜でコンビニの前に
並んだりして。主人を思い出す時は、浜省の音楽も一緒でしたので、悲しくてあまり聞かなくなっていました。
でも、思い切って、去年の横浜アリーナに行き
一緒に来た日を思い出しました。
何故か、彼が私の為に歌ってくれている様で。特によくこの曲は私に歌ってくれてたいたので
まるで、一緒にいる様に、15年の時を遡り
幸せで涙が溢れていました。
浜省さんが、誰かのラブソングと仰って下さったように
私達のラブソングと時間と空間がよみがえりました。
感謝をお伝えしたかったので、ありがとうございました
ラッキー
2024/08/06
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誤字があったので再投稿。
この曲が収録されたアルバムが発売された翌年当時の妻と別れました。
同じ街に住んでいるので「もしいつか街角で出逢えたら初めからやり直せるかい」の歌詞の様にばったり出逢えたらやり直す事は無いけど「やあ!元気だったかい」と声掛けをしたかったけどそれは叶うことはありませんでした。なぜなら彼女は自分と別れた3年後に病気で他界してしまいA LONG GOODBYE (長い別れ)になりました。
自分と人生を歩んでいたならまた違う結果になっていたんじゃないかと思うと切ない気持ちになります。
この曲を聴くとそんな彼女を思い出します。
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2024/08/06
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
今から36年くらい前、私がまだ18歳位の頃、当時お付き合いしていた8歳程上の彼がよく音楽もなしに私の前で歌ってくれていました。その後お別れしましたが、彼のことを忘れたことはなく、ずっと、また再会したいという想いがあり続け、三年半程前に、彼に連絡がとれ、再会することが出来ました。彼は私が思っていた通り立派な人になっていました。そして今は、仕事のアシスタントとして選んでくれ良いお付き合いをしています。再会出来たこと自体夢のようなことで、これからの頑張る糧になり、感謝の気持ちでいっぱいです。