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このシングルが発売された当時は4歳でした。なんとなくMVを見ていて好きになりました。MVの中でお母さんが子供たちのためにケーキをホールで買っているシーンがあり羨ましくて母に買って欲しいと言ったこと覚えてますw
その当時は家族のシングルマザー家庭を表した曲だと思ってました。しかし、母からこの曲についての説明を聞いたときに別れの曲だと知って驚いたこと覚えてます。確かに最後、お母さんが消えて子供たちが泣いてるシーンがあって、当時の自分はよく分からなかったけど、今大人になってそう言った意味だと知って何度もMVを見返してます。
当時から省吾さんの楽曲の中で1番好きな曲がこの曲です。
HARU
2024/08/05
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忘れもしません、高1の剣道部の夏合宿で、休憩中に先輩がウォークマンで聴いていたのを、聞かせてもらいました。「愛の世代の前に」でした。 ガツーンと衝撃をうけた感覚は今でも覚えています。お金がなくて、友人のカセットテープを流してもらって、それを別のカセットデッキで録音して聞いていました。神奈川県民ホールのコンサートでは、機材運び&警備のバイトを2日連日しました。観客が暴走しないように、客席に向かって立っていなければいけませんでしたが、盛り上がるにつれて、ほとんど前を向いて、熱唱していました。機材の片付けで、舞台に沢山落ちていたピックを拾って友達と分けました。お金を貯めて、念願の横浜スタジアムの野外コンサートにいきました。遠いスタンド席でしたが、クライマックスで舞台から沢山の紙吹雪が飛んできて、汗だくの左頬に張りつきました。今でも大事にとってあります。
ティーグッティー
2024/08/05
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小さい頃から両親が、家にいても車の中でも浜田省吾さんの曲をかけてて、幼少期から高校1年生くらいまで正直、好きになれないアーティストの1人でした。サングラスかけて、どこか暗い感じで歌って、歌ってる内容も正直分からなかったのですが、
高校1年生の夏休み暇ですることもなく、何気にコンポでFather's Sonを歌詞カード見ながら聴いて見たんです。
そして1曲目のBLOOD LINEで稲妻が走りました。
すごい、我々日本人にとって大切な事を歌ってると。
そこから一気に熱が上がりましたね。
今まで聴いてたアーティストやバンドから興味がなくなり、今では日本のアーティストさんは浜田省吾さんが1番好きですし。メディアを頼らず地道にライブ1本でここまで成し遂げた日本人はなかなかいないと思います。
路頭に迷う少年
2024/08/05
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30年ほど前、当時付き合っていた彼が、NYへ転勤に。行くまで、行ったすぐは、不安や寂しさから、メール、電話、手紙が頻繁にありました。
でも、少しずつNYでの生活に慣れて行くにつれ、連絡が減り、1年後、会いに行った時には、もうすっかり生活、仕事を楽しんで、私の事を置き去りにして…。
私は、もう彼の中に居ない事を思い知らされ、帰りの飛行機では、涙が止まりませんでした。
20台半ばの若い私たちには、乗り越えられない距離でした。
それから別の人と結婚し、子供を授かった頃、アメリカでのテロが勃発。
彼の事を1番に心配し、連絡を取ってしまいました。
当時 日本に帰っていて、無事だった事、結婚したこと。お互いに若かったね。と 笑えたこと。
お互いに仕事の楽しさ、大変さを見を持って知り、あの時のあの選択しかなかった事を今は理解しあえて…。
あぁ 良かった。彼を好きになって良かった。
幸せにね。と
それから、私は離婚し、シングルマザーに…。たまたまタウン誌が掲載した勤め先のカフェでの私の写真を見つけ、彼から連絡が…。
名字、戻ってる?と
それから、10年、ようやく入籍します。Midnight Flightは、NYからの帰りに聞いていた曲です。行くなと言ってほしかった。帰るなと言ってほしかった。
男女逆ですが、置いてけぼりにされて、伝えたいことを伝えられずに切なかった頃を思い出します。今は、やっと、幸せになれます。
5年前この曲をコンサートで、2人で手を繋ぎなから聞きました。切なくて、若くて…。また泣きました。
南 貴子
2024/08/05
浜田省吾
1952年生まれ、広島県出身。
1975年、ドラマーとしてデビューし、翌1976年ソロデビュー。
デビュー当初からライブを活動の中心に置き、1982年には自身のツアーを“ON THE ROAD”と名付け、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、常に変わらないスタンスで活動を続けている。
代表曲は「悲しみは雪のように」(1981年)や「もうひとつの土曜日」(1985年)、「片想い」(1978年)などの名バラードの他、「J.Boy」(1986年)、「Money」(1984年)、「路地裏の少年」(1976年)など多岐にわたる。シングル「悲しみは雪のように」、アルバム「J.Boy」はそれぞれオリコン・ウィークリーチャートで1位を獲得、2000年にリリースされた初のベストアルバム「The History of Shogo Hamada “Since 1975”」は150万枚を超える大ヒットとなっている。
現在までにオリジナル/ベスト盤を合わせて35枚のアルバムを発表している。
Shared Episodes
中学生のときこの曲の歌詞
純白のメルセデス プールつきのマンション
[最高の女とベットでドンペリニヨン]→てっきり最高の女とベットでどっぷりイチャイチャすることだと思い、いや~ん省吾もエッチねーとウブだった私(笑)ドンペリニヨンを知ったとき自分が恥ずかしくなりました(笑)